月のすきま

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2001/10/01(月) 06:39:00  こっちのもの


 大腸に内視鏡カメラを入れる。
 傍らのモニタでファイバースコープが潜入してゆく様子を見る。
 前処置ですっかり洗われた大腸はホルモンのように旨そうだ。
 くねった襞の陰からエイリアン怪獣が出てこないかと心配した。
 怪獣の代わりにところどころに炎症や潰瘍があった。
 おお、これがテロリストたちか。
 もう十数年もオレの中に巣くっている。
 しっかり目に焼き付ける。

 病気は身体のテロリズムかもしれない。
 けれどオレは敵対するつもりはない。
 特に原因不明の慢性疾患に対してはそんな気がする。
 ある閾値を超えた時の対処法を知っておけばいい。
 根絶しようとすると無理がかかる。
 その部分がクリーンになっても、きっと他の処で別種のひずみが起きる。
 ゆるやかに全体を変えることが大切だ。
 病気も身体の訴える表現の一つだから、感受して楽しめるようになればいい。
 なかなかそれが大変なことなんだけれども。

 生老病死。
 楽しめばこっちのもの。
 

 

2001/10/02(火) 18:29:00  ありがたいなぁ。


 芝のグランド周りのマテバの剪定。
 やわらかい秋の陽射し。
 ありがたいなぁ。
 芝はクッションに優れ、走りたくなった。
 で、突然走り出す。
 とたんに腿のあたりが肉離れのように傷んだ。
 それでも全力疾走。
 ダメダ…。
 足を引きずり帰って風呂上がりに湿布。
 ばかだなぁ。

 夜空は満月。
 

 

2001/10/03(水) 22:08:00  夕焼け


 大きなシラカシを3本剪定。
 木の懐に入り込みながら枝の混沌を一本一本拓いてゆく。
 自分の身体を螺旋形に入れながら邪魔な枝を下ろし上ってゆく。
 枝葉の濃淡。
 風と光のからみ。
 あるときふと全体が「ぱあっ」と明るくなり剪定のカタチが出来てくる。
 木から下り、遠く離れて自分の仕事をみる。
 夕焼け。
 きょうも一日働かせてもらいました。
 ありがとうございました。
 

 

2001/10/04(木) 22:30:00  どんぐり


 休憩中、なんの気なしに周りに散らばるマテバシイのドングリを鋏で割って食べてみた。
 む? むむ…?

 旨いじゃないか!
 ピーナッツに少しアクがついた感じ。
 じゅうぶん生食できる。

 どこかでものの本に、マテバの実は大きいがアクが強くて食べられない、とあったので鵜呑みにしていたが、だまされた。
 帰ってインターネットで調べ、縄文人の常食だったことを知る。
 ドングリは「団子栗」の転訛らしい。
 アク抜きしてすりつぶして団子にして食べたのだと言う。
 マテバはアクが弱いので生食もできるとある。
 よっしゃ!
 これで生き延びれるでぇ。
 どんぐり拾って、柿の実盗んで、夕陽を浴びて、
 この秋を生きよう。
 

 

2001/10/07(日) 20:04:00  法事


 またメモライズの調子がヘンで書けなかった。
 日のすきま、気分が乗った時に即興で書くというのが、ここの存続要件なので、ちょっとでも不具合があれば、流れてしまう。流れてしまうんだよ!
 と、出すもの出さないと欲求不満で凶暴になる。
 今日は伯父の一周忌で足腰弱った父を上野で迎え、町田まで行った。
 金剛杵振りかざして唸り上げる密教坊主の読経はそれなりに見物だったが、どうしても、どうしても、どうしても、「ほんとかよ」と思ってしまう。
 それは坊主、オマエに生死の迷いがないからだ。
 仏事の謂われを滔々と説いて啓蒙するのはいいけれど、その根っこをオマエはどうするよ。
 ほんとに一切衆生引き受ける気概でそのアタマを丸め、金糸銀糸の袈裟を羽織るか。

 会うたびに老い衰える伯父伯母たちと霊前に献杯しながら黙然と飲み悪酔いして帰る。
 父を上野まで送った後、喪服のネクタイはだけて「その男凶暴につき」とやさぐれて家路に向かう。電車の中のオマエとオマエとオマエをぶん殴る。

 玄関のドアを開けると小梅が「わあ」と言うから、「どうよ、ビートきよしみたいだろ」と眉間にシワを寄せてみる。「きよしかよ」と突っ込まれながら…。
 

 

2001/10/08(月) 23:19:00  雨の音


 雨の中、道路沿いの植え込みの草むしり。

 夕食後、妻は親戚から送ってもらった栗の皮むき。
 私は公園で拾ったマテバシイのドングリの皮むき。
 ものすごく手間がかかる。
 茶碗一杯分のドングリを剥くのに2時間はかかった。

 テレビやラジオはアフガン空爆に興奮している。
 私たちは縄文人のように木の実の皮を剥いて冷たい雨の音を聴いている。
 

 

2001/10/09(火) 23:43:00  こんやも


 やりたいこと、
 やらなければならないこと、
 かんじること、
 かんがえなければならないこと、
 たくさんあるのに、 こんやも、
 どんぐりのからむきでいちにちをおえてしまいました。
 

 

2001/10/10(水) 00:22:00  雨雨雨


 雨の中クレーンで高木剪定。
 寒くなってきたので合羽の下に新聞紙を巻く。
 昼前から倉庫で古箒ばらしてコボーキ作り。
 竹細工職人みたいでいいな。

 今夜は栗の渋皮むき。
 10年前福岡で買ったまま放っておいたナイフを研いだ。
 雨の日は刃物を研ぐのにもってこいの日。

 栗をくりくりむきながらイラン映画など観る。(『運動靴と赤い金魚』)
 なにげない日々の暮らしを破綻しない距離で表現するのが一番難しい。
 小津安二郎がそうであったように。
 ハリウッド映画よりよっぽど文化レベルは高いのだ。
 

 

2001/10/11(木) 22:33:00  トカトントン


 道路際の、蔦にからまれ、電線の間を縫うように伸びた杉の木を、かじり付いて上から下ろしてきた。
 先端の梢をノコで挽いた時はスリルだった。
 最期かと思ってまわりを見渡した。
 秋日和。
 トカトントンと大工さんの音がして。

 小梅は栗の渋皮煮に入れるのだと言って、二千円もするブランデーを買ってきた。
 オレが発泡酒で我慢しているのに、なんで栗がブランデーなんだろう。
 

 

2001/10/12(金) 00:11:00  コスモス


 今日は4tロングにキンモクセイとトウカエデを載せて運んだ。
 大型どうしですれ違う時や、狭い路地を通る時は緊張するけれど、オレもこれで4tマスターだ。
 現場では久しぶりに三又チェーンブロックを使った。じゃらじゃらじゃら。
 1tはある松の盆栽の大鉢をつり上げた。運搬はコロを使った。


 やっとドングリと栗の下ごしらえを終えた。
 縄文生活は大変な手間暇なんめり。
 祖先達はいったい何を考えて手を動かしていたんだろう。
 そしてこんな膨大な時間の中から仕事の道具は考え出され、改良されてきたんだろうな。

 隣の空き地のコスモスが秋の陽射しにゆれている。
 あれはいったいなんだろう。
 

 

2001/10/14(日) 22:49:00  マキ


 5時半に起きて、小梅を6時に起こし、首都高に乗って、練馬の友人の庭のお手入れ。
 小梅はせっせと草むしり。だいぶ作業が速くなった。
 こちらのお宅は年2回お手入れさせていただいているので、もう、小透かし剪定だけでよくなっている。
 今回は時間があったのでマキは刈込みではなく、木ばさみだけで透かし剪定にした。
 手間暇がかかるので、マキは大抵刈込み仕立てをするが、葉の切り口が赤く傷つくし、どうしても樹形が固くなるので、心苦しく思っていた。
 やわらかくいい匂いのする葉の中に、やさしく手をいれ指をいれて、ひとつひとつ梳かしてゆく。
 女の子の髪をなでるように、傷ついたものを癒すように。
 マキ。
 オレのマキ…。

 恍惚となっている脚立の下で、小梅がヤブ蚊と格闘している。
 
 天気もよかった。
 

 

2001/10/15(月) 22:49:00  枯れるマンション


 マンションの緑地にモチノキの移植。20尺の丸太で八掛支柱。
 丸太のクレオソートの臭いが抜けない。
 樹冠の方が枯れる樹木は必ず根っこが悪い。
 根っこというよりも土壌が悪い。
 マンション植栽地は特にひどい。
 いろんなガラが埋め込まれ、上っ面だけ良土をかぶせている。
 1〜2年は自力の根鉢でなんとか生きるだろう。
 忘れた頃に所業は現われる。
 外構がこれだと建物の方も疑わしくなる。
 枯れなければいいけれど。
 

 

2001/10/16(火) 21:34:00  赤とんぼ


 夕暮れ、畑道を自転車で帰ると、上空を3機の軍用ヘリが通過して行った。

 最近、池澤夏樹のメールマガジンに刺激を受けている。
 http://www.impala.co.jp/oomm/index_i.html

 またパキスタンからの現地レポートを載せているサイトもある。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/obahan.htm

 そこでの情報で、米軍が爆弾とセットで投下した援助物資は現地でほとんど燃やされていること。
 日本がかつて送った難民への援助物資は識字率数%の飢えた子どもに対してノートと鉛筆だったこと。
 パキスタンでの反米デモは、CNNなどのテレビ局がブッシュ人形や星条旗などを与えてのテレビ的演出だということ。
 アメリカが落とす最新鋭の爆弾1発の数億円で、アフガンの200万人民が数ヶ月飢えずにすむということ。

 等々、国会答弁よりはるかにリアルな状況を知ることが出来る。

 今日も、おだやかな秋日和だった。
 マテバシイにぶら下がると、赤とんぼが、つ、と来てとまっていった。
 

 

2001/10/17(水) 18:39:00  雨の音


 冷たい雨。
 クレーンに乗って、マンションのシラカシ剪定。
 冷えてきたので合羽の下に新聞紙を入れた。
 それでも寒いので古合羽を二枚重ねした。
 いちにちじゅう雨だった。

 キャベツ畑にも雨。
 夕闇の舗路にも雨。
 合羽のフードで視界が悪いので音ばかり聴いて世界を帰った。
 

 

2001/10/18(木) 21:05:00  無窮花


 12月初旬とか11月末の気温と言っていたからじゅうぶん着込んだが寒かった。
 冷たい雨のなか木槿(ムクゲ)の剪定。

 ムクゲ。韓国の国花。無窮花(ムグンファ)と言って、一日花だが梅雨の頃から十月頃まで次々と咲き続ける。旺盛な生命力。
 日本では「槿花(きんか)一日の栄」とか「槿花一朝の夢」という故事で見る。栄華のはかなさ。
 初秋の茶花には欠かせない花だが、夕方にはしぼむので、この花が生けてある部屋に通された場合は長居をしないのが礼儀だとされる。
 木槿は柔らかく鋏を握る手にやさしい。公孫樹の感触に似る。

 道のべの木槿は馬に喰われけり  芭蕉
 道すがらうかぶ木槿や徒労ばかり  石田波郷
 花木槿家並の低き漁のまち  石工冬青
 母の間に風少し入れ白木槿  日下部宵三
 木槿垣とぼしき花となりゆくも  島谷征良

 
 夜、寒気がするので極楽へゆく。帰ってビールとバーボン。
 仕事中、中島みゆきの、

   ♪ 前から読んでも後ろから読んでも
     よのなかばかなのよ ♪

 という唄のフレーズが頭から離れなくてまいった。
 

 

2001/10/20(土) 06:07:00  勉強、勉強


 今朝の夢。
 お笑い番組のスタッフ会議に出て、「おまえらお笑いのなんたるかが分かっていない」と激高。大暴れ。目が覚めてもしばらく呼吸が荒かった。

 久しぶりに夜明け前に起きた。
 昨日は茶庭作り。つくばいと飛び石設置。
 突き棒千本突きで疲れた。
 庭作りは面白い。
 お茶の稽古場なので、よ〜く勉強してかからないと。
 それにしてもありがたいなあ…。
 

 

2001/10/21(日) 10:41:00  窮屈な風景


 ローワン・アトキンスンが、宗教者をおちょくることを禁ずるイギリスの法案に反対する意見を表明したそうだ。
 まっとうなことだと思う。

 「笑い」は「真面目な」ものに対するまっとうな「距離」だ。
 距離のない精神構造は倫理的に痩せてゆく窮屈な風景を生み出す。
 ここには宗教に対し「笑い」を低レベルな精神作用と見る傲慢な態度がある。
 反テロに立ち向かう者に疑いを挿むことを禁ずるのと同じ精神構造だ。

 そいつは本当に立ち向かっているのか。
 実はテロに荷担し、あるいは新たなテロを行っているだけではないのか。

 「反」が同じレベルの補完になっているということもよくある話だ。
 テロリストの望むことは、世界を全部、自分と同じ憎悪の色に染めることではないのか。
 そのような憎悪の連鎖に距離を保持し距離を表明することは、精神のたいせつな自由の働きなのだ。

 今度の事件に発した一連の動きに対して、すべてを知った上で、無関心でいたり、おちょくったり、眉ひとつ動かさないでいる人がいればそれは凄いことなのだと思う。
 終末を知りながら、今日いちにちのするべきことをして、最期に机上に花でも飾るような、そんな姿にあこがれる。私にはとうてい出来ないが。

 もっと言えば、アメリカに反する者はテロの味方だという言説がまかり通ることと、アフガン難民に募金しない者は非人間的だという言い方とは、同じ精神構造だ。
 なぜこころの持ちようを群れに合わせて列び揃えなければならないのか。

 みんなで声をあげないとテロは撲滅できないだとか、新聞やテレビで最新の情報に目を通し、そのつどきちんと自分の意見を表明出来るようにしなければダメだとか、そういう脅迫的な啓蒙が、すでに同じ世界の構造なのだ。

 参議院議員になった大仁田厚がアフガンに行くと息巻いているそうだが、周りはいい迷惑だろう。行きたいなら私人としてそっと行けばいい。

 宮内勝典という作家のサイトを覗いてみた。オウム事件のとき、ちらりと見たテレビでの、物を言うときのたたずまいがよかった。(→MK対話)
 今度のことで彼が個人サイトを開いていると知り、覗いてみたが、そこにあるのは「ここをクリックすれば広告収入でアフガン難民を支援できる」だとか「このチェーンメールをみんなに送ろう」とかいう記述だった。
 失望した。

 うまくは言えないがそういうことではないのだと思う。
 アメリカでもアフガンでもオサマ・ビン・ラディンでもブッシュでも正義でも聖戦でもない、日のすきまがある。じぶんだけの日のすきま。本当はそこでしか人は生き得ないのではないか。そしてそういうときにしか人はつながれないのではないか。そんなことを考える。
 

 

2001/10/23(火) 05:40:00  いろいろ


 今朝の夢。
 知らない仲間たちと初めて桂離宮を見に行く。
 タクシーを止めっぱなしにするのは不経済だと思いながら。

 茶庭と茶道のにわか勉強。
 くいいるようにものの本を読む。
 昔から「**道」と名のつくものが好きだった。
 
 日曜日、小梅と高田馬場の Ben's cafe という所で、
 ポエトリー・リーデイングというのを見てきた。
 私には自分の詩を朗読するという行為に馴染めない。
 距離が自家中毒している気がする。
 詩はすでに作者の言葉の肉体なのだから、そこに生身の肉体を重ね出すには、
 新たに特殊な距離のカラダを作らなければならない。
 それは大変高度な作業で、
 それをするなら初めの言葉の肉体(詩作品)を高度にした方が良いと考えてしまう。

 ここ数日、回線が繋がらなかった。
 小梅がいろいろ調べて、フレッツISDNが不調であることを突き止める。
 NTTに連絡するとまさしく局内機器が壊れていた。
 偉いぞ小梅。そしてもうADSLに変えよう。
 

 

2001/10/24(水) 06:31:00  茶庭


 茶庭は今日完成の予定。
 幸いにも施主には気に入ってもらえている。
 隣の奥さんが見学にきてウチもやってくれと頼んでくれた。
 梅の木が真っ直ぐなのが届いたので、景を造るのに苦労した。
 枝折戸の取り付け方が分からなくて、茶庭の写真を穴のあくほど見た。
 なるほど竹筒を下に埋め込んで開閉の支点を支えるのか。
 上部は竹の輪を編んで棕櫚縄で四つ目の胴縁に結べばいいのか。
 なるほどなるほど。
 きっと他にも色々な方法があるのだろう。
 面白いなあ。
 

 

2001/10/24(水) 19:03:00  イイじゃん。


 枝折戸の上部の止めは近くの林の中から、野葡萄だか山藤だかの適当な蔓を取ってきて編んだ。いいよ。
 ぜんぜんイイじゃん。

 お茶のお弟子さん達が口々に庭の景を誉めてくれた。
 お茶やっている女性はみなステキな人たちとオレの中にインプットされた。

 仕事からの帰り道、家々から夕食の匂いが漂ってくる。
 家々の幸福。
 大好きな暮らしの情景。 

 小梅がバラと万葉で四六時中パソコン使っているので、朝早くとか、夕食の準備中の「すきま」にだけ、使わせてもらっている。
 おかげで読書がすすむ。

 今夜はカレーだ。
 

 

2001/10/26(金) 06:53:00  イスラムの暮らし


 夕べはニシンの塩焼きと筑前煮だった。
 しみじみと旨かった。
 秋だのぉ…。

 このごろ、イラン映画にはまっている。
 アッバス・キアロスタミ監督の「桜桃の味」「友だちのうちはどこ?」
 マジッド・マジデイ監督の「運動靴と赤い金魚」
 ほとんど素人ばかりをキャステイングして、淡々と追ったイランの日常の生活。
 モノが派手に壊れるわけでも、異常な性格者が背後に迫るわけでもない。
 練りに練られた脚本と、絶妙のカメラワーク、妥協を許さない編集。
 久しぶりに人間の深さと、暮らしの美しさを見たような気がした。
 

 

2001/10/27(土) 06:46:00  千歳飴


 このあいだスーパーで千歳飴を買って来た。
 レトロな紙袋が面白い。
 鶴亀と松竹梅と品の良い媼翁が図案化されている。
 なぜかふたりは熊手と箒を持っている。
 それも必ず爺さんが熊手で婆さんが箒になっている。

 子どもの頃食べた千歳飴は、そんなに旨いとも思わなかったが、
 あらたまった雰囲気の神社でもらって帰るのがうれしかった。
 5歳の時の記念撮影が残っている。
 秋の陽射しの中、親父と正装しておさまっている。
 貧しい暮らしの中、奮発して撮ったんだろうな。
 いまの自分より年下の親父は、痩せてがりがりだ。
 いまは白髪のおじいさん。

 千歳万歳、不思議なものに貫かれ、
 ここに、こうして、おりますか。
 

 

2001/10/29(月) 21:48:00  無関係


 日月と休みを取り、軽トラで房総半島を廻って来た。
 夕方から風雨が強まって、夜は嵐になった。
 眠れぬ頭で考えたこと。

 今度のテロ関連の発言で、一番「はっ」としたのは、
 先週のビックコミックスペリオールの橋本治のコラムだった。
 手元にないので正確な引用は出来ないが、要するに言っているのは、
 「無関係」ということだった。
 今度のことにオレは無関係だし、興味も持てない。
 日本という国に関係があるとも思えない。
 なにをみな騒いでいるのか。

 いま、表現者としてこういう発言をすることは、凄いことだと思う。
 無関係であるとはどういうことか。
 ほんとうは表現者というのは「無関係」という位置の者のことではないのか。
 無関係という孤独の場所。
 その場所に本当に耐えているのか。

 祖師に遇いては祖師を殺せ、仏に遇いては仏を殺せ。
 おのれの生死、そいつはオレには無関係だ。

 無関係の場所。

 それがあるから人は生き得るのではないか。
 それがあるから人は言葉を生み、魂を繋げるのではないか。
 

 

2001/10/30(火) 22:23:00  振り返った


 房総の、太平洋を臨む、とある岬の展望台へむかう山道を歩いていた。
 風が強まり、雨粒が落ち始めていた。
 ふと道端を見ると、何か毛皮のようなものが落ちている。
 「なんだ?」
 声に応じて、ビクッと振り向いた。
 タヌキだ。
 足萎えて、這うように動くが、すぐに力つきて肩で息をする。
 動けぬまま、精一杯の気を放ち、こちらを警戒している。
 なんとかならないの?
 妻は悲しむが、野生のものに手を貸せるだけの技量も経験も自分にはない。
 せめて見なかったふりをして通過するだけだ。

 展望台へは風雨が強すぎて登れなかった。
 買ったばかりの傘がいかれてしまった。
 また道を引き返すと、妻が道の途中で棒立ちになった。
 さっきのタヌキが懸命に這いながら道を横断していた。
 むかい側に藪があり、巣があるらしかった。

 私達は、無言でタヌキの道行きを見送った。
 藪の中に入ってゆくところで、タヌキはゆっくりこちらを振り返った。
 たじろぐような穏やかな目だった。
 

 

2001/10/31(水) 06:21:00  山茶花


 満開の山茶花の綾枝を抜く。
 はらはらと花の匂い。
 何かに憂え、
 気がつけば花のなか。
 秋の陽は斜め。
 まだ人でありましたか。