月のすきま(8月)

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2001/08/02(木) ぼうよう

 

 きのうは近くの競馬場で花火を見た。
 シンセサイザーに合わせて打ち上がる花火は見事だった。
 小梅が3時間も前からオバサンたちと格闘しながら場所取りをしていてくれた。
 観覧席は700mほどあり、すべてひとで埋まっていた。
 群衆は苦手だ。
 ゴジラがやってきて丸焼けにしてしまいそうだから。

 この「すきま」も6ヶ月目にはいった。
 なんだかますます暗中模索、五里霧中、前途茫洋、
 ボ〜ヨ〜。
 
 迷っていますな。
 迷うしかないんかな。


2001/08/03(金) 筒のかたちで


 朝から体調が悪いのであった。
 昼休みは竹林のなかに新聞紙敷いて弁当食った。
 見上げるとさわさわさわさわ空が呼ぶのであった。
 喉を上げ座ったまま筒のかたちで、(三木成夫の声で)、

 おぉ〜おぉぉ〜ん

 と洞を鳴らした。3回鳴らした。洞が鳴った。
 それから握り飯をぱくついた。
 

2001/08/04(土) 変態


 朝からべっとりまとわりつく暑さだわい。
 市営住宅のアメリカフウとヒマラヤスギの剪定。
 樹幹を詰めてくれと言われ、てっぺんにかじりつきながら、
 えっちらおっちらノコ挽いて、
 何を思ったか真裏にもノコ挽いて、
 2mの幹がてっぺんで踊り出した。
 わしのぼんやりした顔の眼鏡をはじき、
 わしの首をむち打ちながら、
 踊った幹は落ちていった。
 ぼんやりしていたんだ。
 クマのプーさんの12ページから17ページぶんくらい「ぼぉ」っとしていた。
 きょうもシャツ4枚とりかえ、汗くさいリュック背中に、自転車に乗って帰ってきた。
 ちかごろなんだか眠れない。
 幼虫が脱皮するときみたいに身体が火照る。
 縦になったり斜めになったりしてやりすごす。
 変態するのかな。
 

2001/08/05(日) idiot

 

 宝くじがあたって1億円とか3億円とか手にしたら、わしの人生何が変わって、何がかわらんのかな、とか、ぼんやり考えた日曜日であった。
 さいきん我が家では「ぼんやり」がはやっている。
 でも、金というのは切実に欲しくなるもんだな。
 いままで、ぼんやりしていて気づかなかったよ。

 さて話は変わって、「ぼんやり」のことだが、
 むかしイギー・ポップに「idiot」というアルバムがあった。
 上半身裸のイギーが不眠の筋肉で挑発していた。
 
 おれがもし1億円持っていたら、どうにかして3億円にしたいと考えるのだろうか。
 結局おれは金がほしいんだろうか。
 いや、たぶん持ってないものがほしいだけなんだろう。
 もってないものが欲しいのなら、持ってるものはいらないんだろうか。
 いやもってるものを捨てると、持ってないものになるから、たぶんそれも欲しいのだろう。
 なんだかアタマがむずかゆくなってきた。

 それじゃ、こうしよう。
 おれは欲しいんだけれど、ほんとは何が欲しいのかわからないんだから、魂のことを考えよう。
 それはぼんやりしているのが一番だから、どうしたらぼんやり暮らせるのか、そんなことを考えよう。

 おお、
 マイブームだな、これは。
 
 さて、話は変わって金のことだが、これはこれで、あるにこしたものではないですかな。

 

2001/08/06(月)  月桂樹(熊本弁バージョン)


 きょう電話かけてきた客の息子は、庭せせりが高じて精神に変調ば来たした。
 庭がきちがいのごてなった。収集がつかんごつなったのでほとんどコンクリでびっしゃいた。それで少し落ち着いたので梅の木ば抜きたか。梅の木が低いので二階の窓から見っと空ば飛んでいるごたる気になる。窓に少しかかるくらいの常緑樹が欲しか。

 で、おれは武者立ちの月桂樹ばばすすめた。息子ばクルマに乗せて畑までやけてゆき現物ば見せた。葉の匂いばかがせた。息子はよかですねえ、よかですねて言うた。息子は庭石の位置の微妙なあり具合で、精神のリズムが変動すっとたい。

 言葉が剥落する。そうして生活が積み重なる。おれは刃物ば研いで木の葉ばはさみビールにありつく。妻の手料理。息子の母はおれに親切にしてくれた礼にと新潟の米ばくれた。所帯ば持つとほんなこつコメがありがたい。おれは息子ば幸福にする庭がつくれるどや。

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 「日熊翻訳」が出来るサイトを見つけた。
(http://www.08.alphatec.or.jp/~kaoru/index.html)
 標準語(文章語)を書き込めば、たちどころに熊本弁に変換してくれる。
 以前、GUAN!にその熊本弁はちと違うと指摘されたことがある。
 こんどはどやろ。

 きょうはユンボ操作とクレーン操作。
 習うより慣れろ。われながらうまくなったな。
 ユンボ操作なんて神業に思えたもんだが。
 明日は早出。

2001/08/07(火)   ぶぶぶ


 朝3時間、帰り2時間。遠くの現場は疲れませり。
 首都高の皇居周辺のオフイス街を走る時いつも「東京だよ、おっかさん」と思ってしまう。
 そう、おれはそういう時代に育った。

 ところでいま、「東京」というのは物語たりえるんだろうか。
 相変わらず高層のインテリジェントビルというのはあちこち建築中だけれど。
 大したこたぁ、ありませんね。
 そういう時代にいつの間にかシフトしてしまったんだろね。

 高度成長の時代というのは、たぶん元禄だとか、文化文政だとか、そんな括られ方をする時代なんだろう。
 あたりまえに思われていた雰囲気が、あ、これとこれとこれが絡み合った時代ね、と要素分解されてしまうんだろう。

 じぶんが社会や世間の中に簡単に取り込まれて殺されるように死んでゆくのはあたりまえのように想像できるのに、じぶんがじぶんと対峙するとき、そんな日のすきまでは、いつもじぶんがじぶんとぶれてぼやけてしまうのはなぜなんだろう。
 
 この屈折点というのが「主体」なんだろうな、おっかさん。ぶぶぶ。
 

2001/08/08(水)  


 きょうは行きが2時間、帰りが2時間半。
 まったく首都高という奴わだ。(特に皇居周辺)
 クルマを降りて思いっきりダッシュしたくなった。裸で。叫びながら。首都高を。

 今日は春日と雪見の灯籠設置。ぐらつかないように1円玉を挟む。
 つくばいも設置。技能士試験の時を思い出しながら。熱中してやった。

 石というのは不思議なもんだ。
 どう不思議かは上手く言えないが。
 たぶん「質量」というのがからむんだろう。
 星星め。
 「いい顔みせてくれよ」とつぶやきながら、
 汗だくで転がす。
 いい顔を見せた石はとなりの石と話し出す。
 いろんな関係を露わにし出す。
 それはじぶんのことでもあるし。
  

2001/08/09(木)  それにしても

 

 表現が、「人間存在を根底から揺さぶり、世界を初源の位置にまで立ち戻らせる可能性を持った唯一無比の希望である」たぁ、小梅の奴も太いことをゆぅなあ。(→小梅の雑記帳)
 オイオイ((T_T)) ウレシナキ

 めもらいずのサーバーがダウンしてアップできない。ハミガキをサボったような気分。
 

2001/08/10(金)  ダボシャツ


 暑い一日。日陰がなく昼寝が出来なかった。
 松の手入れで手が真っ黒。はじめてダボシャツで仕事する。
 思ったより涼しさはないがいい感じ。
 柔道着、空手着の、あの身が引き締まる感じ。
 ユニフォームってのは、大事だねぇ。

 今日もめもらいずは復旧せず。
 

2001/08/12(日)  盆帰省


 軽トラにサルスベリと脚立と着替えを積み込んで出発。
 サルスベリは親父の所望。脚立は実家の庭の手入れのため。
 今回はじめて阿武隈の山裾をゆくコースを取った。
 自分は浜通りの町っ子だから、山里は爺婆の時間の中でしか意識されていない。
 そのじじばばの時間がいま妙に気になる。
 要するに田舎暮らしがしたくなったということなんだろうが。
 故郷は小雨が降っていた。涼しい。

2001/08/13(月)  2年前に

 

 実家の庭手入れ。弱った赤松をなんとか整える。
 午後、死んだ同級生の母親を訪ねる。
 小学校の頃からつきあいのある母子。
 死んだ奴のことより俳句の話や、村の話をする。
 ここ数年、帰省するたびにこの母親に会いに行く。
 ゆうべは20年ぶりに中学の同級生から電話があり、仲のよかったAも死んでいたことを知る。2年前に。
 小梅と隣町にある万葉の遺跡へゆく。山の霊気が匂う。生き死にのはじまりの匂いがする。

 

2001/08/14(火)  墓参り


 父の里の墓参り。
 蓮の葉にボタモチやらキナコモチを載せて供えている。
 小梅はそれが珍しいという。
 座敷には死者の写真と天皇一家の写真。
 東の畑でキュウリをもぐ。ジャガイモをしこたまもらう。5月に田植えを手伝った礼だと玄米20kgもらう。トマトももらう。
 この家の跡継ぎは行方不明だ。
 8年前、海岸の断崖に軽トラを残して忽然といなくなった。
 海を探したが死体は出てこなかった。
 嫁は子どもを連れて出てゆき、年老いた伯父夫婦がふたりで慶応4年に建てた家に住んでいる。
 その老夫婦が、米だ、ジャガイモだ、キュウリだ、とくれてよこす。
 

2001/08/15(水)  移動


 移動。
 阿武隈の山裾から浜、山なかの盆地、また浜、そして高速、トンネル、霞ヶ浦、牛久沼、利根川、そして梨畑。梨屋はもう梨を売り始めた。幸水、豊水。
 

2001/08/16(木)  職業じゃなく


 妻を広島へ送り出した後、図書館で『荒川洋治全詩集』を借りてぱらぱらめくる。
 このひとは昔から苦手だ。けれど気になる存在だった。いまは何か分かるかと読んでみたが、やっぱりよくわからんわ。
 小梅はオレの学生時代の「現代詩手帖」をめくって、いまと執筆メンバーが大差ないじゃないか「けっ」と言った。
 録画しておいた篠原勝之(クマ)の「波瀾万丈伝」を、「ぬ」の下着を干しながら見た。「ゲージュツというのは職業じゃなく生き様だからよ」とクマは言った。

 クマさん、オレはオマエが好きだ。でも明日仕事だからもう寝ます。
 

2001/08/17(金)  おほほほほ。


 マンションの土入れ。ブロック屋とかち合いながら。
 午後は霊園の植栽。霊園は好きだ。
 コンビニで弁当買って、割り箸を袋から出そうとしたら、はずみで、中の楊枝が中指の皮下3枚あたりを縫うように根本まで突き刺さった。
 痛みをこらえ袋を見たら「ご注意ください」と書いてあった。腹減ってるんだからそんなのは見ねえよ。
 夜はインスタントラーメンに卵2つ入れ、100円のレトルトカレーを食パンですくって食べた。うまかった。
 まじめに洗濯し、床拭きし、ゴミ出しもしたが、どうしても食器を洗う気にはならない。
 そういえば独身時代は、ひと冬じゅう流しに食器が積み重なり、それをよけながらハミガキしていたっけな。
 食後はメルマガ読み。ウィークリーまぐまぐに紹介されるたびに登録しているから、膨大な数になっている。たまにめっけもんがある。盆休みにその発信者のひとりに会いに行った。阿武隈の山の中に住んでいる。パワフルなひとだった。
 

2001/08/18(土)
桜庭和志


 ゆうべ寝しなにマルチ商法関連サイト覗いて、爆笑というか、イヤ〜な気持ちになった。
 やっぱり「アカルサハ、ホロビノスガタデ、アラフカ」
 マルチでも宗教でも、関わって来る奴らから、人間の精神の深さを感じたことは一度もない。
 お前らと一緒にすんな、何がネットワークビジネスだ、救いの道だ、夢だぁ? なめんなよ!

 縁なき衆生。
 オレの「縁」はこの世の外だ。

 結婚式も葬式も正気の沙汰とは思えない。
 なんでそうなるの?
 誰も根っこから応えられない。

 「むこうを向いているオットセイ」(金子光晴)
 でも群れの中にいるから「むこう向き」なんだよなあ。
 まあ、それぞれがそれぞれの初源を見れたらいいね。

 なんてことを考えながら仕事した。
 今日は目通り167cmの枯れた大シラカシの伐採。
 枝下ろしのロープに瞬間こすられ、タッちゃんが手首にケガをした。
 やはり手甲は大事なり。

 夜、洗濯物畳みながら桜庭のビデオをみる。
 桜庭和志。面白い顔したプロレスラー。
 異次元で闘う男。
 

2001/08/19(日)  定まらない


 精神が定まらない。
 数秒前とまるで違う。
 スーパーのガラスに映る自分の顔を見てぎょっとする。
 人殺しのような顔をしている。

 Coccoが武道館で喋っている映像をみて唸った。
 この人はボーダーラインだ。あるいはノロ(沖縄の神女)。
 これからは音楽活動やめて絵本を描くのだと言う。
 懸命な判断だ。
 モンキービジネスにはまるで向いていない。

 「三年寝太郎」がいいな。
 村の外れに住んでデクノボウと呼ばれ、いつも寝てばかりいる。
 起きても夢の反芻ばかりしている。
 けれど村の変事には案外クールに先を見る。

 たとえば自意識って奴は、どこかで自分の本来の居場所を求めている。
 現実と本来がズレているから、不幸になり、自分でいっぱいになる。
 そんな他人を許容するほど、他人は自分に余裕がないから、「甘えるな」と思う。

 「自」の「意識」ってのは「この世の外」ではないかしら。
 だからたぶん、みんなこの世の外に根っこを持って、
 この世の共同性に、不幸な舞台を演じている。
 「じゃあ、なんで群れるの?」って17歳は訊くかも知れないが、
 それはきっと、神さまじゃないからだよ。
 みんな神さまじゃない。
 死んだらおしまい。
 けれどこの世は外。

2001/08/22(水)   河原で暮らす


 嵐のなかひとりでマンション植栽。
 ひとりはいいな。
 嵐を楽しんだ。

 多摩川の中州に住んでいたホームレスらしき人物が、台風の増水で取り残され、消防隊員が救助に向かうと、自分から川に入り、流されて行方不明になった、とラジオで告げていた。
 まるで自分が川に入ったように情景が浮かんだ。
 関わりを絶つことでやっと生きられる人の心もある。
 どんな気持ちで日々河原で暮らしていたんだろう。
 こんな始末のつけ方に憧れる気持ちもある。
 いまごろもう海に出たんだろうか。
 

2001/08/23(木)   今日は


 暑い日だったよ。
 楽しみはビールなんだが、必要以上に虫さされする小梅が、あちこちキンカン塗りたくるもんだから、臭くてたまんないよ。
 そよとも風は動かない。
 野宿のひとは大変だろうな。
 弁当を公園で食べたら、ホームレスのひとたちが、きのうの雨で濡れた衣服や家財道具を干していた。
 今日は暑い日だった。
 

2001/08/24(金)   sora


 きっときついからだろ。
 なぜきついんだろ。
 せっかくのふかさなのに。
 きょうもあつかった。
 おもわずしごとちゅうにびーるをのんだ。
 しごとちゅうのさけはごはっと。
 のんべのおやかたからおしえられた。
 それでもふっとのんでしまった。
 えんえんとつづくぼさぼさのまつ。
 あたまがぼんやりした。
 ぬすむようにびーるをのんで、まつにのぼり、
 ふっとじぶんがらくになった。
 しあげたまつにかぜがなる。
 たましいをかこうな。
 そらをみろ。

2001/08/25(土)   red

 じぶんから飛び込んだんだそうだ。
 多摩川に流されたオヤジは。
 おれは、
 今日も日に炙られ帰ってきた。
 「また焼けたね」と家人が言う。
 昼は、公園のベンチに寝た。
 ヒヨドリのギャーギャー鳴く声に起こされた。
 夢を見たような、みなかったような。
 午後は墓地の芝張り。
 荷台からスコップで土下ろし。
 傾く、傾け、傾くな。
 「おーい」と誰かが呼んでいる。
 夜、
 月が赤かった。
 
2001/08/27(月)  


 今夜はやけに霧笛が聞こえやがるぜ。
 だからどうということはないが、
 海がそばまで来ている。
 小梅は低血圧の本を読んで、
 そうだ、そうだ、これはまさしく私のことだ。
 と感心している。
 さっきの夕食中は、
 ふたりでむっつりケンカしていたので、
 おなかに入らなかった、 
 と、スープをあたため直してまた食べている。
 今日は芝張りと、小学校の裏山の藪払い。
 狸道があったので、笹竹を払いながらたどってゆくと、
 思いがけず明るい市道に出た。
 藪から突然現れた刃物を持つオレを見て、
 マンションの奥さんは一瞬ギョッとしたか。
 駅も近い住宅街なのに、
 案外タヌキは棲んでいる。
 以前、ぼうぼうの草地をハンマーナイフで刈っていたとき、
 とつぜん狸が飛び出したことがあった。
 最後に残した真ん中の草むらからだった。
 ぜんぜん気づかなかったが、
 狸は周りからだんだだん追いつめられ、
 いよいよと思って飛び出したのだろう。
 あっという間に山へ逃げていった。

2001/08/28(火)  夏の終わり


 蝉がつがったまま地べたに落ちていた。
 ヒマワリが黒い種子を集めて首を垂れていた。
 夜明けにすだく虫の声。
 かすかに漂う梨の香。
 少しずつ空が遠のき、
 また夏が終わる。
 夏が終わりはじめる。

 はじめる?
 おお、そうか。
 秋が始まりはじめる。
 秋が終わりはじめる。
 冬が始まりはじめる。
 冬が終わりはじめる。
 春が始まりはじめる。
 春が終わりはじめる。
 …………

 いつも「はじめる」だ。
 

2001/08/29(水)   舞台


 今日は猛ったなぁ。
 バスケットボール大のスズメバチの巣をやっつけたし、
 ちんたらしている職人をどやした。
 いやになるなぁ。

 夜、「屋根の上のバイオリン弾き」の映画を観た。
 牛乳の注ぎかただとか、コサックダンスだとか、ナイトキャップだとか、
 そんな細かいところに感心した。
 そう言えば、ヒゲの剃りかたを習ったのも映画だし、
 ひとりごとの言い方を学んだのも映画だった。

 このあいだ「メリル・ストリープ自らを語る」という番組で、
 彼女の恋人役は実際彼女に恋してしまうし、敵役は彼女を憎んでしまうという紹介があった。
 相手が役に入りやすい雰囲気をメリルは作ってしまうのだ。それも無意識に。自分の役に入ることによって。

 女優は実際に悲しくて泣くのではない。悲しみの記憶を引き出して、そのカタチを泣くのだ。本当に泣いてしまったら演技が出来なくなる。

 そう思っていたらメリルは違うらしい。なにか役の魂のようなところに触れると、多重人格のようにスイッチが入るらしい。彼女はそのスイッチを自在に操るトレーニングを積んだのだ。

 自分や相手をもっと客観的に見る力がほしいなぁ。


2001/08/30(木)   木を切ってるんだよなぁ


 小学校の裏藪のエノキの大木に登っていると、隣のマンションの5〜6歳くらいの子ども達が、「何やってんですか〜」と声をそろえて来た。
 またか、と思いながら木の葉の陰からいいかげんに応える。
 「わから〜ん」
 子どもらは、笑いながら「木を切ってるんだよなぁ」と言い合っている。
 わかってるんだったら訊くなと思いながら、「お前らは何やってんだ〜?」
 「見てるんです〜。オジサンは何やってるんですかぁ〜」
 「見られてるんだよ」
 笑いあうこども。
 「オジサンはどっから登ったんですかぁ〜」
 「登ったんじゃないよ」
 枝を落としながら、
 「空から降りてきたんだよ」
  え〜!
 「何で降りてきたんですか〜」
 羽だよ。羽。見えるだろ。背中に、ほら。
 「見えないよな」顔を見合わせる子どもら。
 ああ、オジサン、羽もがれちまったよ。
 だからもう地面に降りるよ。もう飛べなくなっちまった。
 「あ、降りてくる」

 さ、もうメシだ。
 メシにするべ。

 

2001/08/31(金)   クチナシの実


 雨の中草むしり。
 雑草も秋のものに移ってきている。
 もっと夏をさわっておくんだった。
 もっと夏の真ん中をやるんだった。
 トカゲのように干からびて
 スズメバチのようにきりきりまい
 猿のように放埒に
 木から木を伝って人間界を去ればよかった。
 たとえば海に入ってない。
 生臭い鮫の背びれをつかんでいない。
 岩礁を伝って海淵に光る深海魚を見ていないんだ。
 背中に降る秋の雨。
 オオムラサキツツジにも
 クチナシの実にも雨。
 

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