原爆裁判・集団訴訟

トップ >> 核兵器の廃絶と国家補償を求めて >> 原爆裁判・集団訴訟 >> 集団訴訟 >> 原爆症認定制度見直しにあたっての要求の根拠

1 被爆者援護法の趣旨・目的と被爆者救済の必要性

 (1) 被爆者援護法の趣旨・目的
  原爆症認定は放射線起因性と要医療性が認められることが要件(被爆者援護法10条1項)とされているが、それが正しく運用されるためには、被爆者援護法の趣旨・目的に即してなされなければならないことは言うまでもない。
  同法前文は、原爆が「一命を取りとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷痕と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした」ことから「原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るために」各般の施策を講じてきた」が、「被爆後50年のときを迎えるに当たり」、「国の責任において、原爆投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護策を講ずる」と、その趣旨・目的が被爆者救済にあることを明確にしている。

 (2) 被爆者の置かれた状況と原爆症認定の意義
  現在、全国に約26万人の被爆者がいるが、被爆後60余年、その多くが身体的・精神的・物質的に苦難の生活を強いられ、いまや平均年齢は74歳を超えており、癌をはじめとする健康被害に侵されつつある。そうした状況の中、現在、全国で原爆症認定申請を却下された283名の被爆者が国を相手にその違法性を訴えて裁判を行っている。
  被爆者にとって、被爆体験とその後の健康状態からして、医療特別手当の支給を受けることも重要であるが、自分の病気が放射線に起因する原爆症であると国から認められることを求めている。それが、被爆者として苦難の人生を生きた証となるからである。逆に認定を却下されることは、被爆者としての苦難を否定されたものであり、決して容認できない。却下処分が続く現状を放置すれば、裁判に訴える原告が後を絶たないことになろう。
  最大の問題は高齢化と病気の進行のために、すでに原告の内36名が死亡し、多くが明日の命も危ぶまれる状況にある。一方、以下に指摘するように、国が現在用いている「審査の基準」とこれに基づく運用は、相次ぐ敗訴判決によって、その破綻は明らかである。今や被爆者にとって一刻の猶予も許されず、早急にこれを改める必要があり、法の趣旨・目的に沿った救済が不可欠である。
  その点で強調しておきたいのは、被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」とは、昭和33年の原爆医療法制定の際の趣旨説明で厚生大臣が「原子爆弾の放射能の影響を受けていると考えられる人」と述べたように、また、現行被爆者援護法が被爆者の定義を定めた1条3号で「前2号に掲げる者のほか(中略)身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情にあった者」と規定しているように、相当程度の放射能の影響を受けたことを国が認めた者である、という点である。認定行政は先ずこの点から出発しなければならない。

2 「審査の方針」の問題点と放射線起因性についての各地裁の判断

 (1) 「審査の方針」に対する裁判所の判断
  国が現在原爆症認定の基準としている「審査の方針」は、松谷訴訟最高裁判決で国側が敗訴したことをきっかけに、2001年に策定されたものであるが、その基本はDS86ないしはこれを修正したDS02という被曝線量推定方式を用いて、申請被爆者の被爆距離から被曝線量を推計し、申請者の被爆時年齢と疫学調査を基に被曝線量(被爆距離)、申請疾病及び性別ごとに分けて作られている原因確率表に当てはめて、申請者の申請疾病の発生が放射線の影響を受けている確率を求めるというものである。
  「審査の方針」の当否が争点となった6つの判決で、各地裁は原・被告から出されたおびただしい科学文献や科学者の証言を基に、その問題点を次のように指摘している。

 1. 大阪地裁
  DS86及びDS02はあくまでシミュレーションにすぎず、計算値と実測値の不一致があり、また原因確率は「1つの考慮要素」として位置づけられるべきものであり、原因確率が小さいからと行って直ちに経験則上高度の蓋然性が否定されるものではなく、特に遠距離被爆者や入市被爆者については、審査の方針に定める被曝線量の算定には問題があり、残留放射能や内部被爆の可能性も念頭において判断しなくてはならない。

 2. 広島地裁
  DS86,DS02は、比較的正確に放射線量を算定できるのは初期放射線(直爆放射線)の限度であり、これは「一応の最低限度の参考値」とすべきであり、原因確率も様々な限界や弱点があるので、「一応の単なる目安」としてあつかい、審査の方針は「あくまで放射線の起因性の一つの傾向を示す、過去の一時点における、一応の参考資料として評価するにとどめるべきである。

 3. 名古屋地裁
  原爆投下後に実施された測定によっては放射線降下物や誘導放射能を十分に把握できず、放射線降下物や誘導放射能による被爆の影響を考慮すべきことを推認させる調査結果や知見等には十分な根拠がある。また疫学調査における各種の誤差要因の存在も否定できないことから、原因確率を形式的に適用して被爆者らの負傷及び疾病の放射線起因性の有無を判断したのでは、誤った結果を招来する危険性がある。

 4. 仙台地裁
  残留放射線による影響を過小評価している疑いが否定できず、原因確率によって推定される寄与リスクの数値については、推定値が低値であっても、有意なリスクが認められる限り、当該疾病が放射線の被曝によって生じた可能性を否定できないことから、原因確率を機械的に適用することによって、放射線起因性を否定する結果を生じさせることは可能な限り避けなければならない。

 5. 東京地裁
  DS86による初期放射線推定はDS02による検証を経た後も100メートル以遠において線量を過小評価している可能性があり、誘導放射能及び放射性降下物について十分な実測値が得られておらず、原因確率の算定上、低線量被爆者と位置づけられている者のリスクが過小に評価されている可能性があることから、これらの形式的な適用のみによって放射線起因性を否定してしまうのは相当ではない。

 6. 熊本地裁
  審査の方針に従って算定された当該申請者の被曝線量は、実際の被爆線量よりも少ない可能性があること、原因確率が小さい場合であっても本来の原因確率は高いことがあり得ること、低線量領域における寄与リスクは実際より低い値となっている可能性があることなどを念頭に置きながら、飽くまでも1つの考慮要素として用いるにとどめるべきである。

 (2) 起因性を判断するにあたって考慮すべき事実 
  それではこれらの裁判所が、原告らに対する却下処分を違法と判断するにあたって、放射線起因性についてどのような判断要素ないしは判断枠組を示したかを纏めると以下のとおりである。

 1. 大阪地裁
  放射線被曝による人体への影響に関する統計学的、疫学的及び医学的知見を踏まえつつ、当該申請者の被爆前の生活状況、健康状態、被爆状況、被爆後の行動経過、活動状況、生活環境、被爆直後に生じた症状の有無、内容、程度、態様、被爆後の生活状況、健康状態、当該疾病の発症経過、当該疾病の病態、当該疾病以外に当該申請者に発生した疾病の有無、内容、病態などを全体的、総合的に考慮して、原爆放射線被曝の事実が当該疾病の発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断すべきである。

 2. 広島地裁
  疾病発症等の医学的機序を直接証明するのではなく、放射線被曝による人体への影響に関する統計学的、疫学的知見に加えて、臨床的、医学的知見をも踏まえつつ、各原告ごとの被爆状況、被爆後の行動・急性症状などやその後の生活状況、具体的症状や発症に至る経緯、健康診断や健診の結果等の全証拠を、経験則に照らして全体的、総合的に考慮する必要がある。

 3. 名古屋地裁
  原因確率には種々の誤差要因が内在していることを踏まえた上で、審査の方針が定める原因確率を斟酌するとともに、個々の被爆者ごとの被爆時の状況や被爆後の行動、被爆前後の健康状態、被爆後の急性症状や疾病の発症状況、その推移の状況等、個別・具体的な事情を考慮して判断する必要がある。
  遠距離・入市被爆者に生じた脱毛、下痢等の症状は、放射線の被曝による急性放射線症状と認めるのが相当であり、これらの放射線症状を呈したか否かは、被爆者がどの程度の放射線を浴びたかについての重要な指標になるというべきである。

 4. 仙台地裁
  被曝線量の推定値及び原因確率を一つの要素として考慮しつつも、これを機械的に適用することなく、個々の被爆者の具体的な被爆状況、被爆後の行動、被爆直後に現れた身体症状の有無とその態様、被爆後の生活状況、病歴、申請にかかる疾病の症状や発症に至る経緯、治療の内容及び治療後の状況等を総合的に考慮した上で、原爆放射線による被曝の事実が当該疾病の発生を招来した関係を是認できる高度の蓋然性が認められるか否かを検討すべきものと解するのが相当である。

 5. 東京地裁
  当該被爆者の被爆状況、被爆後の行動、急性症状の有無・態様・程度等を慎重に検討した上で、DS86による推定値を上回る被曝を受けた可能性がないのかどうかを判断し、さらに、被爆者のその後の生活状況、病歴(健康診断や検診の結果等を含む)、放射線起因性の有無が問題とされている疾病の具体的な状況やその発生に至る経緯などから、放射線の関与がなければ通常考えられないような症状の推移がないのかどうかを判断し、これらを総合的に考慮した上で、合理的な痛常人の立場において、当該疾病は、放射線に起因するものであると判断し得る程度の心証に達した場合には、放射線起因性を肯定すべきである。

 6. 熊本地裁
  被爆状況、被爆後の行動、被爆直後に生じた症状の有無、発症時期、内容及び程度、被爆前被爆後の生活状況及び健康状態、申請疾病等の発症経過及び病態並びに申請疾病等以外に生じた疾病の有無及び内容などを全体的、総合的に考慮した上で、原爆放射線被曝の事実が申請疾病等の発生又は治癒能力の低下を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を認められるか否かを経験則に照らして検討すべきである。

 

3 裁判所の求める審査と現実の審査

 各裁判所の放射線起因性について示した判断要素ないしは判断枠組は、表現の仕方は異なるものの、その内容はほとんど同じであるといってよいであろう。
  裁判では、被爆前から今日に至るまでの、健康状態をはじめ、生活状況を含めた上記のような事実について、多くの時間をかけ、双方から提出された証拠や本人の尋問も丁寧に行い、それを基に、原告一人一人について判断をしているが、問題は、医療分科会で同様な運用がされているかにある。
  資料でわかるとおり、これまで疾病・傷害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会が行った原爆症認定の審査時間は、1件あたり、平均して5分弱にすぎない。分科会の委員を勤めたことのある碓井広島県医師会長は、読売新聞のインタビューで、「結局は、放射線の被曝の距離で機械的に処理されています」と答えているが、それが実態である。
  したがって、裁判所が提起したような様々な要因について、それを全て考慮の対象にすることが起因性の判断を正確にするには必要であるとしても、分科会としては、裁判所が求めているような項目について、提出された資料に基づき、あるいはそれが不足の場合には新たな資料を取り寄せ、さらに申請者に会って直接に事実を確認したうえで、これを詳細に検討し、個々の申請者の疾病毎に放射線起因性を的確に判断することは、実際には全く行われていないし、現実問題としてほとんど不可能といってよいであろう。

 (2) 行政処分に求められる公正性と迅速性
  さらに、行政に求められることは、処分の公平性・迅速性である。裁判所が提示するような事実関係を個別に考慮に入れて審査するとしても、一件毎に相当の時間を要するばかりか、処分にあたって判断の基になる基準がなければ、統一性が保てず、公平性も害される恐れがある。
  ところが、これまでの判決で指摘されたように現在の審査会が用いている「審査の方針」には、前述のとおり、その前提となる被曝線量推定についても、原因確率についても様々な限界や問題があり、「一応の最低限度の参考値」とか「一応の単なる目安」にすぎず、それを機械的に当てはめることは許されないとすると、これに代わる公正で合理的な基準を新たに設けることが必要となる。但し、「審査の方針」をそのままにして、受給者をただ単に現在の10倍程度に改めるといったことでは、合理性もなく、公正性も担保されない。

4 実態に即した起因性判断の要件とその合理性

 「審査の方針」に代わる新たな基準を定めるにあたって最も重要なのは、前述したように被爆者援護法の趣旨と目的に沿った、しかも被爆の実態に即したものであることである。
  まず、すべての判決に示されているように、初期放射線のみによる被曝影響では被爆実態を説明できず、遠距離被爆者に対する放射性降下物、入市被爆者に対する誘導放射能といった残留放射能の影響を考慮しなければならない。とりわけ残留放射線による内部被曝の影響を考慮すると広範な被爆者が原爆放射線による被曝をしていると推定される。
  また、晩発性障害(疾病)に臨床医学的に特異性があるわけでなく、また全身被曝であることから、傷害を受けた臓器間の相互作用、さらに免疫機能の低下、ホルモンの異常など、これらが晩発性障害発生に与える影響やそのメカニズムが完全に解明されているわけでない。特に最近
問題になっている低線量の遺伝子障害やその晩発的影響については、その多くが未解明といえよう。
  このことに関して、放射線影響研究所の大久保理事長は、地元中国新聞のインタビューの中で、「長い期間を経過して現れる『晩発影響』で分かっているのは、まだ5%程度かもしれない。最終的な答がでるのは、いま約4割の人が生存されている対象集団の追跡調査がすべて終了する時点だろう」と答えている。
  放射線の人体影響に関する医学的知見は今後とも進展していくことが期待されている。しかし、確立した医学的知見に固執すれば、結局は被爆者が死に絶えるのを待たなければならないことになる。原爆症認定制度の見直しに当たっては、進展しつつある科学的知見・医学的知見を踏まえつつ、放射線の人体影響がなお未解明であること、未解明であることを理由に切り捨ててはならないことを肝に銘ずべきである。

 (2) 新しい「認定基準」の内容とその合理性
  このように原爆による放射線の影響が未だ未解明な段階において、被爆者援護法の趣旨・目的を実現するためには、行政による被爆者の切り捨てをできるだけ避けるべきで、とくに高齢化する被爆者を早期に救済する必要性があることから、科学的な知見を踏まえつつ「疑わしきは、被爆者の利益」の方向で、広く認定する基準を設けることが重要である。
  そのためには、一般に放射線起因性が認められてきた疾病を類型化して政令で定め、その類型に当てはまる疾病に罹患した場合には原爆症と認定するのが合理的である。現行被爆者援護法11条2項で、「当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること(中略)が明らかであるときは」審議会の意見を2007年9月20日聴かずに認定してよい、と定めており、起因性が明らかである場合を政令で定めることは現行法でも可能である。但し、医学的知見の進展を反映させるために、政令で定める疾病が随時付加される方向で、見直されなければならない。
  そして、類型化に当てはまらない疾病については、裁判例が積み重ねた基準に従い、放射線の影響を受けたことを肯定できるかどうかを総合的に判断し、起因性が否定できない疾病に罹患したと認められる場合に原爆症と認定すべきである。

5 医療分科会委員の専門性と構成

 昭和43年原爆特別措置法の審議の際、当時の厚生省公衆衛生局長は、現在の医療分科会にあたる原爆医療審議会の当時の審議の状況について、「明らかに原爆に起因していないという判定をされたものは除かれるが、疑わしいものが排除されるとは、審議の模様から受け取れない」「ペンディングあるいはそのすれすれというものについては、認定の中に入れていると承知している」と述べている。今日の被爆者切り捨ての認定行政とは全く異なる運用がされていたのである。
  現在の疾病・傷害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会委員は、その多くが被爆者援護法の趣旨・目的も理解せず、被爆者がどのような生活史・疾病史を経てきたかについての理解も乏しい。さらに、一部の委員をのぞくと個別の専門分野での知識は豊富でも、被爆者を診察し、被爆者から被爆の話をじかに聞くという被爆者医療の経験がほとんどない。また、原爆による放射線による人体への影響について新しい知見を審査に積極的に生かそうとする意識もない。
  一層重大なことは、松谷訴訟最高裁判決以降、大阪高裁、東京高裁(小西訴訟、東訴訟)で下された裁判所の確定判決、そしてこの間の原爆症認定集団訴訟で、連続的に示されている判決についてもその本旨を理解する熱意と誠実さにも欠けていることである。
  新しい「審査の基準」を導入するにあたって、上記の事実を踏まえて、審査委員を一新し、新たに各方面から専門の委員を委嘱し、行政の公正性を保障すると共に、被爆者援護法は本来、被爆者のためのものであり、被爆者の納得と信頼を得るために、その内の半数は被爆者団体が推薦する委員で構成するように改めることを要請する。

2007年9月20日

(参考資料)
  1 これまでに認定された疾病名とその時期についての一覧表
  2 原子爆弾被爆者医療分科会での審議時間
  3 2006年8月3日付読売新聞掲載の碓井静照広島医師会会長(元原子爆弾被爆者医療分科会委員)のインタビュー記事
  4 2006年8月6日付中国新聞掲載の大久保利晃放射線影響研究所理事のインタビュー記事
  5 2006年8月5日付中国新聞に掲載の「識者談話」
  6 2007年8月15日付熊本日日新聞 鎌田七男「原爆症認定基準」
  7 2007年8月24日付朝日新聞 坪野吉孝「原爆症認定 米補償参考に「疾患」指定を」
  8 原爆症認定申請集団訴訟における各地裁判決要旨
  9 裁判所に証拠として提出された医師団意見書
  10 全国弁護団連絡会「原爆症認定問題のすべてーQ&Aで厚労省の嘘を切る」
11 各地裁判決後の各新聞の社説