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「被団協」新聞2026年5月号(568号)

2026年5月号 主な内容
1面 日本政府は非核三原則を厳守せよ! NPT再検討会議で役割を果たせ!
核兵器にお金を貸すな 三井住友銀行と懇談 DBOBキャンペーン
4団体共同行動を計画 NPT再検討会議で
2面 座標 公布80年、平和憲法守れの声大きく 被爆者の思い、世界の人々と
写真部門奨励賞 本紙新年号が受賞
アジアの人々と交流=ピースボート乗船記= 和田征子
日本被団協 活動日誌
非核水夫の海上通信(261)
3面 日本被団協結成70年に寄せて
 いつまでも若く、元気で 被爆者の声が平和運動の歴史を創ってきた

ノーベル平和賞を励みに手記を出版
被爆証言デビュー ノーベル平和賞きっかけに
投稿 平和憲法に込められた国民の願いと決意
4面 相談のまど
 OTC類似薬「特別料金」今年度中に実施の方針 薬剤費の25%自己負担、被爆者も

「証言集」増刷しました

 

日本政府は非核三原則を厳守せよ!
NPT再検討会議で役割を果たせ!

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田中重光さん 家島昌志さん

 日本被団協は4月17日、4月末から国連本部で始まる核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議を前に、日本政府に対し「非核三原則見直し反対、NPT再検討会議で核兵器廃絶の促進を求める」要請集会を、日本原水協、原水禁国民会議と共に衆議院第2議員会館で開催しました。
 全国から各県被団協関係者47人を含む約100人が参加。主催者あいさつで田中熙巳代表委員は「世界の情勢はどんどん悪くなっている。特に高市政権になってから日本全体を戦争の方向に導いているようだ」と危機感を述べ、「NPT再検討会議は今回失敗すると条約そのものが危うくなる。核兵器国に『核兵器は使わない』と約束させよう」と訴えました。
 日本被団協、原水協、原水禁の代表がそれぞれ「非核三原則の厳守」「NPT再検討会議での核廃絶に向けた日本政府の積極的な役割」「核兵器禁止条約への署名・批准」を求める要請書と「非核三原則の堅持を求める」署名12万9430人分を、日本政府を代表して出席した外務省軍縮不拡散・科学部の中村仁威部長に手渡しました。
 中村部長は「非核三原則は政府として政策上の方針として堅持する。NPT再検討会議では、核兵器国と非核兵器国が一致できる点を見出す努力をする、議長と連携し最大限の熱意をもってすすめる。TPNWは核なき世界への‘出口’となる重要な条約であるが、安全保障の確保と核情勢を見極めて慎重に考えたい」などと述べました。
 外務省からの回答を受け、日本被団協代表理事の金本弘さん、同二世委員長の大村義則さん、日本平和委員会の千坂純さん、原水協の高草木博さん、日本被団協代表委員の田中重光さんが発言し、「NPT再検討会議で核保有国に条約第6条を守るよう求めてほしい」「この要請内容をきちんと高市首相まで届けてほしい」「非核三原則は国是であることを明確にしてほしい」などと訴えました。

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外務省要請(院内) 中村部長(左)、濱住さん(右)
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原水協の安井さん(右) 原水禁の谷さん(右)

議員会館前で集会

 その後場所を議員会館前に移し、陽射しが残る春風の中、300人余が賑やかに集会を開きました。日本被団協の濱住治郎事務局長は「いま、力の支配で戦争が行なわれている。NPTそのものが問われている。今回の会議で合意文書が出せるよう、日本政府が先頭に立ってリードするためにも、日本は核兵器禁止条約に署名すべきだ」と訴えました。集会には10人の国会議員(立憲、国民、公明、維新、れいわ、中道がそれぞれ1人、共産と社民がそれぞれ2人)が参加しあいさつ。日本被団協の田中重光代表委員と家島昌志代表理事が被爆者として「核廃絶の前進なしに死ぬわけにはいかない」「核廃絶のために全国で大きな波を作っていきたい」と呼びかけました。
 最後にNPT再検討会議への参加団体から原水協の嶋田侑飛さん、原水禁の近藤和樹さん、日本生協連の上村慶輔さん、核兵器廃絶日本キャンペーンの川崎哲さんがそれぞれ決意を述べました。

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国会前で声をあげる被爆者ら

核兵器にお金を貸すな
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三井住友銀行と懇談
DBOBキャンペーン

 日本被団協は、反核医師の会、核兵器をなくす日本キャンペーンとともに「核兵器にお金を貸すな(DBOB)キャンペーン」の一環として4月10日、三井住友フィナンシャルグループとの懇談を行ないました。
 DBOB(Don't Bank on the Bomb)キャンペーンは、金融機関に対し、核兵器製造企業(世界で24社)への投融資をやめるよう求めるもので、世界中で取り組まれている行動です。
 国内では、りそな銀行はじめ28の銀行と生命保険会社が投融資禁止を表明していますが、3大メガバンク(みずほ、三井住友、三菱UFJ)は合計約4・6兆円の投融資を行なっています。今回、3大メガバンクに対し懇談を申し入れ、三井住友とみずほの両行が応じました。
 日本被団協からは田中熙巳代表委員、濱住治郎事務局長、和田征子事務局次長が参加。他の代表とともに、「自分たちが預けたお金が核兵器製造に使われているのは許せない」「銀行が‘核兵器には使うな’と言っても製造企業に融資すればその先の使い道はわからない」「銀行はみんなで一致して投融資をやめてほしい」など訴えました。


4団体共同行動を計画
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NPT再検討会議で

 日本被団協と日本生協連、日本原水協、原水禁国民会議の4団体は4月7日、東京都内で記者会見し、第11回NPT再検討会議(4月27日~5月22日)に向けたニューヨークでの共同行動について発表しました。
 4団体が参加するのは現地および各国からニューヨークを訪れた人々と共同で行なうNGOパレードと国際シンポジウム、4団体が共同で開くイベント「核兵器のない平和な世界へ転換を・国際連帯」。また、ニューヨークの日本政府代表部への要請も共同で行ないます。(2面に日本被団協代表団の予定)


座標
公布80年、平和憲法守れの声大きく
被爆者の思い、世界の人々と

 国会議事堂周辺で開かれる「平和憲法を守るための緊急アクション」の参加者が増え続けています。ペンライトを振り「平和憲法は日本の宝」「焼野原より花畑」などのコール。参加者はSNSで情報を得た若い人を中心に3月10日の8千人から、日を追って1万人余、2万人余…4月19日は国会前3万6千人と全国190カ所で5万人余が。憲法公布80年の今年、戦火の絶えない世界情勢の中、憲法を守り戦争を拒否する声が高まっています。
 昨年の高市政権発足後、非核三原則見直しの打ち出しや、政府高官の核保有発言があり、突然強行した総選挙によって自民党が圧勝すると、殺傷能力をもった武器輸出の開始、憲法「改正」への意欲も。
 ウクライナ戦争、ガザ地区へのイスラエルの攻撃が続く中、アメリカはベネズエラを攻撃し、イスラエルとともにイランを攻撃しました。子どもを含む多くの市民が殺されています。
 アメリカとイスラエルの国際法を無視した武力による侵略行為に、NATO諸国からも批判が高まる中、高市首相はトランプ大統領に対し、批判どころか訪米時に「世界に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」と持ち上げました。
 そのアメリカでは「王はいらない」抗議行動が広がり、3月28日には全米3300カ所以上で800万人参加と伝えられています。
 アメリカの「核の傘」にしがみつき、長期距離ミサイルの配備など大軍拡をおしすすめ、核兵器禁止条約に背をむけながら「唯一の戦争被爆国」を自称する日本政府。今こそ核兵器廃絶を求める世界の先頭に立つよう、世論を高めていかなければなりません。
 核戦争の体験は私たちを最初で最後にしてほしい…被爆者の思いを、世界中の多くの人々と共有したい。


写真部門奨励賞
本紙新年号が受賞

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 日本機関紙協会が主催する全国新年号機関紙誌コンクールで、「被団協」新聞新年号に写真部門奨励賞を受賞しました。
 講評で、「昨年、日本被団協のノーベル平和賞授賞式を報じる機関紙の1面写真の扱いを、『被団協という団体が、ぶれずに何を求めてきた仲間たちなのかということをよく表している紙面でした』と講評しました。それは、『団体が望んだことは、ノーベル平和賞を受賞することではなく、大見出しとなった‘核兵器も戦争もない世界を’なのだ。そのことに深い感動を覚え』たからです。今年の紙面もやはり1面の扱いの見事さに触れたいと思います。『日本政府は核兵器禁止条約に参加を』との見出し。それは大書きではなく控えめでさえあります。しかし、だからこそ、その見出しを支える写真が引き立つ。「3449012」をバックに大勢の仲間が写る。笑顔の人も含め、被団協の仲間にそして、世間に世界に‘覚悟’を問うているような写真です。その写真を最大限に扱い、団体の‘意志’を示しました。文句なしに伝わる1面でした。(毎日新聞・東海林智)」と称され表彰状と盾が授与されました。


アジアの人々と交流
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日本被団協の船上展示で
=ピースボート乗船記=

和田 征子

 3月下旬の10日間、シンガポールから横浜までANT-HIROSHIMAの渡部久仁子さんと一緒に、ピースボートに乗船しました。昨年12月に神戸を出航し108日間で世界を巡った旅の、最後に参加したことになります。
 1983年に設立したピースボートは、教科書にはないアジアでの日本の侵攻の歴史を知り学ぶことを出発点にして始まった平和活動の船で、現在はクルーズ船として年に3回運航しています。1回の航海で参加者は約2000人、スタッフは700人とのことです。
 船内では毎日いろいろな集会、イベントが開かれ自分の興味によって自由に参加することができます。また乗船してからイベントを自主企画として立ち上げることもできます。寄港地では観光ツアーに、船内でできた友達と出かける人もあり、新しい出会いが生まれているようです。

水先案内人

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アンジャネト・カッティル
駐台湾マーシャル大使(左から2人目)らと

 私は「水先案内人」として船内で被爆者としての証言や日本被団協の活動の話をするほか、いくつもの講座に参加して、国内にいては簡単に出会うことがなかった方たちとの有意義な交流がありました。
 乗船初日からシンガポール現地の中学生と保護者、新聞社が被爆者の話を聞くためにと乗船。最初に、日本人として過去に日本が行なった行為に対して謝罪の言葉を述べてから、原爆の話を始めました。中学生から原爆の話をする意義は何かという質問も出ました。新聞の取材は彼らの下船時間が迫るまで続き、後日詳しく現地の新聞に掲載されました。

「学び舎」のとりくみ

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「学び舎」のとりくみ
 船内で結成された「学び舎」のメンバーの中には、船内の「日本被団協の歴史」展示のボランテイアガイドもいます。乗船してから日本被団協の歴史を学び、練習を重ね自分の言葉にしてガイドを続けておられました。

台湾・基隆に寄港

 台湾の基隆(キールン)は、ピースボート初めての寄港地で、現地市民も多く参加してのピーストークがありました。謝市長のお父様は原爆前に長崎大学に留学しておられたとのこと。集会後のレセプションでは、マーシャル諸島の駐台湾大使とも懇談。アメリカの核実験の汚染土壌をコンクリートで封印した「ルニット・ドーム」のことも案じておられました。台北とマーシャルが近く、支援を続けていることも初めて知る事でした。

多くの出会い

 他の講義では、インドネシアで従軍慰安婦(性奴隷)の証言を聞き取りしている人、ペシャワールで中村哲さんの遺志をつぎ支援をしている人など、多くの出会いがあった10日間でした。
 神戸到着時には、船体にSTOP KILLING!との30メートルの横断幕。甲板に300人がNO WARのサインをもっての入港でした。


日本被団協 活動日誌

4月
2日 外務省要請・国会行動(17日実施)3者(被団協、原水協、原水禁)打ち合わせ
3日 組織・情宣部会
6日 事務局会議
7日 事業・財政部会、NPT行動4団体(被団協、生協連、原水協、原水禁)記者会見
8日 日本被団協NY代表団説明会
10日 DBOB要請(三井住友)
13日 事務局会議
16~17日代表理事会
17日 外務省要請、国会前集会
20日 事務局会議
22日 NPT行動4団体会議
24日 NPT再検討会議NY行動日本被団協代表団出発

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日本被団協結成70年に寄せて
いつまでも若く、元気で
被爆者の声が平和運動の歴史を創ってきた
高草木 博(日本原水協代表理事)

 日本被団協結成70年、おめでとうございます。
 1950年代、「冷戦」の時代が進み、日本が再軍備と改憲へと動くなかで原水爆禁止が国民的な運動となり、「もしこのまま死んでしまえば、被爆の実態をだれが知らせてくれるのか」との被爆者の声が人々の心を捉えました。この70年、たくさんのドラマがあり、2024年には日本被団協がノーベル平和賞も受賞しました。悲劇の実相を訴える被爆者の声が反核平和の運動と響きあい、内外で歴史が創られてきたと思います。
 核兵器禁止条約が発効し、核兵器の廃絶は核保有国や同盟国でも圧倒的な多数世論となっています。でも道はなお半ばです。核大国はなおその現実を受け入れることができず、アメリカは非核兵器国のイランに武力攻撃を加え、被爆国日本の首相がその大統領を「安全と繁栄」を託せる人と持ち上げる異常な出来事も続いています。
 2026年は、世界でも日本でもそうした行動を正す草の根行動の大きな前進の年になると思います。被爆から81年のいまも、会合でも街頭でもマイクをとり、言葉をだしてくださる被爆者のみなさんはとても魅力的で、だれもが「いつまでも若く、元気で」と願っています。


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ノーベル平和賞を励みに手記を出版
青森の被爆者・佐々木さん(95歳)

 青森県原爆被害者の会の会員である佐々木寿美子さん(95歳)は、県立長崎高等女学校の3年生で兵器工場で働いていた時、爆心地から1・3㎞で被爆、がれきの下敷きになったが隙間から見えたゲートルをつかんで助けを求め、九死に一生を得ました。その後、縁あって青森県三沢市で70年以上暮らして来ました。
 高齢になり、残された時間を思う中で、あの日を体験した一人として「戦争と核兵器をなくすために小さいけれども力を尽くすことが被爆者の一人としての責任」と感じ、日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことが励みになり、家族の後押しが原動力となり、幼少期の長崎の街での暮し、女学生での被爆体験、その後の三沢での生活を綴り、出版しました。
 「何があっても明日をあきらめない」「人生を手放さない」という覚悟は、被爆以来佐々木さんの心構えになったと綴られています。核兵器をなくすことは到底無理だといわれても、希望を持ち続けたいと、今の時代を生きる被爆者として発信しました。(辻村泰子)
 『ゲートルがくれた命』幻冬舎メディアコンサルティング発行、1600円(税別)


被爆証言デビュー
ノーベル平和賞きっかけに
島根の佐々木さん(90歳)
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 4月3日、松江生協病院で新入職員の研修会が開催されました。ここで被爆体験を初めて語ったのは佐々木シノブさん90歳。島根県では数少ない長崎被爆者です。
 島根県では証言活動をする被爆者が激減し、数年前証言活動を依頼しようと佐々木さんに連絡をしましたが、ちょうど骨折で入院中でした。諦めていたところ昨年「私に出来れば…」と電話がありました。娘さんたちが聞いてみたいと言われたことと、日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことがきっかけになったとのこと。今被爆者で証言をする方はほんの2~3人、とても嬉しく思いました。
 生協病院新人研修参加の皆さんは研修医、看護師、薬剤師、臨床工学技師、放射線技師など35人とリモート参加の方々。何回も練習したと言われていましたが、堂々と当時の様子を静かに語られました。一本足の鳥居の山王神社とクスノキは遊び場だったとか、その時間防空壕で遊んでいて自分は助かったが、その後防空壕に逃げてきた人が「水を」と言われ、あげたら亡くなられたこと。お母さんを探しに町を歩いた時の様子は忘れられないと。やっと会えたお母さんは1週間後に亡くなり、奇跡的に助かったお父さんと二人、本当に貧しい生活だったと話されました。
 そして、帰りの車の中で「自分の生きがいとしてこれからも証言していきたい」と話しました。
(本間恵美子)


投稿
平和憲法に込められた国民の願いと決意

堀口士郎(千葉)

 私は長崎の爆心地から1・8キロの稲佐町で胎内被爆しました。両親は当時のことを次のように語っていました。「空襲警報が解除になり、防空壕を出ようとしたところで‘ピカッ’ときた。防空壕の入り口に横たわっていた男の人の背中がメラメラと燃えていた。家の中は畳が1枚残らず吹き飛び、タンスもどこにいったのかわからない状態だった」「食べるものがなく、栄養失調で目が見えなくなった。足は3倍くらいに膨れ上がり、座ると立つことができなかった。どれほど1杯のご飯にあこがれたことか、原爆で死んだ方がよかったと思えるほどの苦しさだった」。家も仕事も失った家族は疎開先を転々とし、私は熊本県で生まれました。両親は「あの原爆さえなかったら」と生涯言い続けていました。
 今、戦争を知らない世代が国政の中枢を担うもとで、憲法9条を改正して自衛隊を明記すべきと主張する声が高まっています。次の短歌をご存じでしょうか。「六二三、八六八九八一五、五三に繋げ我ら今生く(ろくにいさん、はちろくはちきゅうはちいちご、ごさんにつなげ、われらいまいく)」<西野防人(さきもり)2010年朝日歌壇賞>。六二三は20万人以上が犠牲になった沖縄での地上戦が終わったとされる6月23日、八六八九は広島・長崎の原爆投下、八一五は無条件降伏・終戦の日、五三は平和憲法施行の1947年5月3日のことです。作者はアジア・太平洋戦争で310万人を超える同胞が犠牲になったことを忘れてはならないとの思いであえて数字仕立てで詠んだのだと思います。
 膨大な国民の命を犠牲にして生まれた平和憲法には、再び戦争する国にはならないという国民の願いと決意が込められています。そのことを思い起こし「五三に繋げ我ら今生く」の深い意味を考えたいと思います。戦争で命を奪われ、苦しみ・悲しむのは庶民です。今必要なことは思想・信条の違いを超えて「戦争はイヤだ。戦争だけは起こしてはならない」という声を国民一人ひとりが上げることではないでしょうか。先人の願いと決意を受け継いで、平和な未来をめざしていきたいと思います。


相談のまど
OTC類似薬「特別料金」今年度中に実施の方針
薬剤費の25%自己負担、被爆者も

 【問】最近「OTC類似薬」というのを新聞などで目にするのですが、被爆者手帳を持っている私にも関係しますか。
 私は内科や整形外科に受診し、湿布薬や痛み止めなど何種類かの薬をもらっています。以前、先発薬とジェネリックについて話を聞いたことがありますが、それとは違うのですか。今飲んでいる薬は私にとってはとても大事な薬で、これらの薬を飲まないと日常生活に影響します。よくわからなくてとても不安です。どういうことなのか教えていただけませんか。

*  *  *

 【答】まず「OTC類似薬」という言葉ですが「OTC」は「オーバー・ザ・カウンター(Over The Counter)」の頭文字をとった略語で、薬局で薬剤師が対面で手渡す市販薬のことを指します。「OTC類似薬」は、医師が処方する保険適用の薬で市販品と同じ成分を含む薬のことをいいます。
 「OTC類似薬」を保険適用から外すことは以前から政府・与党内で検討されていました。保険医協会など医療機関や国民の反対が大きくなり、保険適用から外すことは引込めましたが、自民・維新の両党協議を受けて政府は、77成分・約1100品目について、保険適用後の窓口負担とは別に「特別料金(薬剤費の25%)」を患者に負担させると決めました。
 この「特別料金」は保険外になりますので、被爆者健康手帳を持っていても薬局の窓口で支払うことになります。
 対象になる薬剤は痛み止め(ロキソニン)や花粉症治療薬(アレグラ)、皮膚疾患の保湿剤、風邪薬やビタミン剤などです。被爆者もそうですが難病助成や小児の医療費助成を受けている患者も処方される薬によっては「特別料金」を負担することになります。
 提案されているのは77成分・約1100品目ですが、拡大されていくという懸念もあります。「特別料金」を支払うのなら医者にかかるより市販薬で、となると、別の病気が隠されていて手遅れになってしまうという事態も起こります。
 被爆者健康手帳を持っていても、社会保障の後退に併せて、自己負担が生じてきています。様々な団体が反対の声を上げています。被爆者も、しっかり内容をつかんで共に声を上げていくことも大事だと思われます。


「証言集」増刷しました

 日本被団協が1985年11月~86年3月に行なった原爆被害者調査は、1万3000人余の回答を得ました。その中の自由記述欄への記入をまとめた証言集が、「日本被団協原爆被害者調査資料集」としてⅠ『「あの日」の証言その1』、Ⅱ『「あの日」の証言その2』、Ⅲ『被爆者の死その1』、Ⅳ『被爆者の死その2』の4冊にまとめられ、89年に発行。また数多くのボランティアの協力を得てそれぞれの英語版も89年~95年にかけて発行しました。
 国内外での証言活動とともに普及し、ノーベル平和賞受賞後はノルウェー平和センターに展示されました。
 日英あわせて8種類のうち、日本語版のⅠとⅡ、英語版のⅠが在庫切れとなっていたため、このたびそれぞれ500冊を増刷しました。
 ぜひ、被爆者の会やグループで1セットを手元に置いて、国内外での実相普及に役立ててください。
 送料別で日本語版1冊1000円、英語版1冊2500円。お申込みは日本被団協まで。

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