被団協新聞

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「被団協」新聞2023年6月号(533号)

2023年6月号 主な内容
1面 5・13集会”ふたたび戦争被害者をつくるな!”
 G7広島サミットを前に日本被団協などが開催

核兵器廃絶が世界の流れ 人類が生きのびるために対話を
 NHK「日曜討論」で木戸事務局長が発言

2面 座標 被爆者の声無視のG7広島サミット 核兵器なくし命まもる道を
G7サミットを終えて、広島から
 核廃絶の展望示せず

”ふたたび戦争被害者をつくるな!” 集会アピール
3面 被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
 核戦争を拒否する権利

今年度の活動始まる 北海道
サミットに被爆者の声を 愛知
平和行進が出発
各地で総会 久しぶりに対面で議論
継承センター実現へ広く寄付を訴えよう 継承する会が総会
非核水夫の海上通信(226)
4面 相談のまど
 デイサービスでの入浴介助を断られました。どうすれば…

 

5・13集会”ふたたび戦争被害者をつくるな!”
G7広島サミットを前に日本被団協などが開催

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会場をうめた参加者

 G7広島サミットを前に5月13日「ふたたび戦争被害者をつくるな! “ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウオー”今戦争体験者は訴える」を掲げた戦争体験者の集会が、東京・四ツ谷の主婦会館プラザエフで開かれました。実行委員会(全国空襲被害者連絡協議会、日本被団協、民間戦争被害の補償を実現する沖縄県民の会)が主催し、シベリア抑留者、韓国人BC級戦犯遺族の団体が協賛、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会ほかが後援。
 会場に70余人、オンラインで30余人、記者などを合わせて約130人の参加がありました。

第1部
戦争被害者の訴えと報告

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吉田由美子さん
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石倉勝さん
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鄭理恵子さん
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瑞慶山茂さん
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吉田裕さん
 空襲連共同代表の吉田由美子さん(81歳)は、東京大空襲で両親と生後3カ月の妹を亡くし、3歳で孤児となりました。親戚の家に転々と預けられ「空襲でお前も死んでくれればよかった、と言われたことが忘れられない。78年間、国からは謝罪も補償もありません」と訴えました。
 シベリア抑留体験者の石倉勝さん(98歳)は、20歳から3年間収容所に。栄養失調状態での資材運搬や農作業、真冬の作業に悲鳴を挙げたことは脳裏から離れない。60万人のうち6万人が亡くなり、遺骨は2万柱しか収集されていない、と語りました。
 韓国・朝鮮人元BC級戦犯者「同進会」会長の朴來洪(パクネホン)さんの声明を〓理恵子さんが代読。日本軍がとらえた捕虜の監視員にあてられ、「日本人」戦犯として罪を負わされながら、日本政府が一切の援護から排除。救済されていない事実を受け止め早急に解決を、と求めました。
 民間戦争被害の補償を実現する沖縄県民の会の瑞慶山茂さん(79歳)は、沖縄戦の教訓は「軍隊は住民をまもらない」こと。米軍は基地のある島を攻撃した。基地が戦争を呼び起こした。今また南洋諸島の軍事要塞化が急ピッチで強行され、戦争準備をしていることは許されない。沖縄を矛(ほこ)とする核の最前線基地化に断固反対する、と訴えました。
 日本被団協事務局長の木戸季市さん(83歳)は、原爆は人間として生きることも人間らしく死ぬことも許さない絶対悪の兵器、核兵器から人類を守る唯一の道は核兵器の廃絶と述べました。そして、日本政府がこれまで被爆者の願いに背を向けてきたのは、「およそ国家の非常事態における戦争の犠牲は国民ひとしく受忍すべき」という政策がとられてきたからであると述べ、日本国憲法を守り国民の命と自由を守る国民主権の日本に、と訴えました。

第2部 討論

 はじめに、東京大空襲戦災資料センター館長で一橋大学名誉教授の吉田裕さんが、問題を整理し4点を挙げました。

「受忍論」は国民にも

〈問題整理〉
 ①戦争犠牲者への後始末、戦後処理がされず、総括ができていない。
 ②なぜ、補償ができていないか。「受忍」論があり、司法がそれを後押ししている。国民のなかにも戦争だから仕方がないという「受忍」論がある。また国際法に照らしての責任追及が弱く、被害と加害の問題もあいまい。戦争責任をめぐって対外(95年村山談話の「反省とおわび」)と国内を使い分けるダブルスタンダードがある。
 ③戦後、二度と戦争は繰り返してはならいという、日本人がつちかってきた平和への意識は保守・革新を超えて幅広く形成されてきた。それが揺らぎ始めている。国家指導者への責任が先送りにされてきた問題をどう問うていくか。
 ④いまや戦後生まれは9割。軍隊経験者が1万人を切った。体験と実感に支えられてきた平和主義が揺らぎ始めた。何をどう継承するのか。
 続いて沖縄平和運動センターの岸本喬さんの、沖縄の今を伝えるビデオレポートがありました。 沖縄が日本に復帰して51年、「新たな戦前」に向かっている。辺野古新基地建設の埋めたてが進められ、南洋諸島に監視体制・ミサイルも配備、日米軍事訓練が行なわれる現状の中、「基地のない、戦争のない沖縄」をめざして奮闘する決意が述べられました。
 参加者からは次のような発言がありました。
 ◆今の状況は戦争前夜に似ている、「台湾有事」といって戦争に巻き込まれないようにしなければならない。
 ◆横田基地近くに住んでいる。1日の終わりに日米国歌が流されるのを聞くと日本がいまだ占領下にあるように思う。平和時に戦争反対をいうのは楽だが、中国の侵攻などがあったとき、そう言えるだろうか。
 ◆平和や戦争について話し合えるコミュニティーを作っていくことが必要。「受忍論」についても大学で知ったが、知らない人が多い。もっと知ってもらうことが必要。

まとめ

 吉田裕さんが「感想」として次のように述べました。
 ①戦争体験の継承を、どのように伝えていくかが重視されてきたが、なぜ、何を継承するかが重要になってきている。
 ②体験をもった人が若者に伝えていく継承は、中間が抜けている。私たち第二世代が次の世代にどう伝えようとしてきたか、伝えきれなかったのか、を見直してみる必要があるだろう。
 ③日本の歴史をふり返り、戦争にどう向き合ってきたか、何を継承し何を忘却してきたか、させられてきたか、を考えてみたい。
 最後に、被団協事務局次長の児玉三智子さんが「アピール」(別項)を読み上げ参加者で確認。このアピールは、岸田首相と外務大臣、各政党に送付されました。


核兵器廃絶が世界の流れ
人類が生きのびるために対話を
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NHK「日曜討論」で木戸事務局長が発言

 NHK総合テレビの生放送番組「日曜討論」に5月14日、日本被団協の木戸季市事務局長が出演しました。
 テーマは、「G7広島サミット“核なき世界”への道は」。出演者は木戸事務局長のほか、佐々江賢一郎日本国際問題研究所理事長、川崎哲ICAN国際運営委員、中村涼香ノー・ニュークス・トウキョウ代表、樋川和子大阪女学院大学大学院教授。核兵器をめぐる現状をどうみるか、核抑止力、サミットにどんな成果を望むか、核なき世界実現のため日本が果たす役割、など7つの論点が提示されました。
 木戸事務局長は7回の発言の中で次のように述べました。「第二次世界大戦の終わりに原爆投下があった。第三次世界大戦は核戦争で始まるのではないかという恐怖を抱いている」「各国首脳には1発の原爆で何が起きたのか原爆を受けた地上で何が起こったかを見てほしい」「2009年にノーベル平和賞受賞者が声明を出し『核戦争が起こらなかったのは歴史の偶然ではない。被爆者が訴え、それを支持した世界の人々の願いと運動によってである』と言っている。そのことをきっちり受け止める必要がある」「NPTの会議に参加してきたが、議論は分断の方向ではない。圧倒的多数の国々が核兵器をなくす、NPT体制を強化していく方向に向かっている。核兵器国と同盟国がその世界の流れに抵抗しているように見える。世界の市民と多くの国々は、核兵器をなくしましょうという方向に歩んでいることに希望を持っている」「世界を守る議論は国連でやるべき。第1号決議をはじめ、第二次世界大戦でこれ以上戦争してはだめだということから国連は生まれた。多くの国々の願いを議論する場として国連の存在意義を改めて確認したい」「日本被団協は『基本要求』で原爆とは何か、どうやって核兵器から人間を守るのか、という提案をしている。その中で、武力で紛争を解決することはできない、対話で問題を解決するべき、と言っている。対話というのは『武力か対話か』ではなく、人間が生きる力を身に着けること。人類の誕生ともに対話が始まっている。その対話の意味をきちんととらえて、人間が人間になるという姿勢で、世界の問題を解決する立場に立ちたい」「今の日本政府が本当に対話しているか。国民の声をきちんと聴いて何を願っているか―具体的には核兵器禁止条約への署名批准を、ぜひやってほしい」。


座標
被爆者の声無視のG7広島サミット 核兵器なくし命まもる道を

 被爆地広島で行なわれたG7サミット。核問題に関する結論は、核抑止論の確認と継続。核廃絶は究極目標に追いやられました。
 日本被団協は5月21日のサミット閉会後に記者会見し「核兵器禁止条約に全く触れず、核抑止論で戦争をあおり、被爆者の願いを踏みにじった。核兵器は非人道の絶対悪の兵器である。核兵器の廃絶は最優先課題だ」と訴えました。
 会議参加首脳は資料館を見学、一人の被爆者の証言を聞き、慰霊碑に花をささげました。しかしいずれも儀礼的で短時間。人として何を受け取ったのかは伝わってきませんでした。
 日本被団協はサミット開催前、岸田首相に要請書を出し外務省の審議官と話し合いました。要請は、核兵器の禁止や軍縮を議題にすること、時間をかけて資料館展示と向き合うこと、被爆者・日本被団協の代表と懇談すること。これらはすべて無視されました。
 さらにウクライナのゼレンスキー大統領の参加でサミットは一変、ロシア批判、ウクライナ支援の会に。結果、ウクライナ戦争の継続と長期化、核使用の危機が増えましました。
 G7サミットは従来、経済問題の議論を主とするもので、核問題を議論する場ではありませんでした。今回、会場を広島にして核問題を議題にしましたが、参加国の核保有を正当化するものとなりました。
 戦後日本は戦争せず、戦争によっては一人の命も奪い奪われていません。国際紛争を解決する手段は武力・戦争ではなく武力をもたないことであると、日本国憲法が証明しています。核兵器を無くし、命を護り、自由に生きる道をつくるのは日本国民であり、世界市民である私たちです。事実を知り、語り合い、核兵器も戦争もない世界をつくるため、共に進みましょう。


G7サミットを終えて、広島から
核廃絶の展望示せず

田中聰司
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 先進7カ国首脳会議(G7サミット)が5月19~21日、被爆地広島で初めて開かれ「核なき世界へ」の議題に注目が集まりましたが「核軍縮に関する広島ビジョン」は核抑止体制を肯定し、期待にほど遠いものでした。日本被団協も広島被爆者7団体も、岸田文雄首相(サミット議長)と各国首脳に要請、提言を重ねましたが、ほとんど聞き入れられませんでした。
 各国首脳たちの原爆資料館の見学は、被爆者1人との面談を含めて約40分。展示物の一部を一区画に集め、館長も広島市長も締め出されました。窓も目張りをされ、非公開。「どんな資料をどれだけ見たのか」―箕牧智之代表委員は、いぶかりました。「複数の被爆者から体験だけでなく意見を聞いてほしい」との私たちの要請は断られました。雨の公園をテレビで見ながら、「死没者の涙だ」と思いました。
 届いた要望もありました。日韓首脳による韓国人原爆犠牲者慰霊碑への参拝が実現。もう1つは首脳たちに原爆慰霊碑の碑文「過ちは繰返しませぬから」を説明したことです。「過ち」とは、戦争、原爆投下であり、核兵器を持つこと…全首脳がこのことを受け止めたなら、また「核兵器をなくせる日へ共に」(バイデン米大統領)などの芳名録に記した決意が生かされれば…。
 ところが、その夜発表された広島ビジョンにあぜんとしました。「核兵器は防衛」を前提に構成され、「77年間の核不使用の記録の重要性」とか「核兵器の減少は継続すべき」などと評論家のような記述。当事者として核不使用を宣言し、核削減・軍縮を進める主体的意思を全く表明していません。核情報の透明性、核兵器用核分裂性物質生産禁止条約と包括的核実験禁止条約の実効性、原子力の平和利用、世界の人々の被爆地訪問などの促進を列挙しましたが、核兵器自体を削減~廃絶する本題から外れています。ロシア、中国を非難し、自分たちの核には踏み込まなかったこと、電撃訪問のゼレンスキー・ウクライナ大統領への支援に焦点が当たり、停戦―和平への提言がかすんだことも問題です。
 4月に国内外のC7代表の皆さんと首相官邸に直訴したとき「命がけで取り組んで」と訴えました。議長として被爆国首相として、覚悟をもって一押し、二押し…被爆地の心と魂がこもったビジョンにしてほしかった。
 広島の街がかつてない厳戒態勢になり、市民生活は多大な規制、影響を受けました。開催に意義を認める声の半面、「がまんの甲斐がなかった」など、怒りや失望が入り混じった余韻が街に漂っています。
 閉会翌日の22日は核兵器禁止条約の発効日。平穏が戻った平和記念公園に、被爆者7団体は恒例の署名活動に集まりました。まず核兵器禁止条約に入るようあらためて訴え、「条約が定めた世界の核被害者の援助に賛同・支援の表明を。第2回締約国会議にオブザーバー参加を」の要望をあらためて掲げ、署名運動の推進仲間を増やし、国民、国会、政府に訴えていくことを誓い合いました。(日本被団協代表理事・広島被爆者団体連絡会議事務局長)


”ふたたび戦争被害者をつくるな!” 集会アピール

 ウクライナでの戦争を機に、世界中に高まる核兵器使用の危険や軍備増強の空気に、私たち戦争体験者は居ても立ってもいられない思いで今日ここに集まりました。
 日本が1931年に開始・遂行した15年戦争を体験した私たちは、それぞれ被害の態様こそ異なるものの、戦争がもたらしたからだやこころの苦しみを抱えながら、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意」した日本国憲法を支えに、今日まで生きてきました。
 しかし、戦後78年になろうとする今日まで、日本政府は自ら開始した戦争が内外の人々にもたらした甚大な被害の全容の調査もせず、その責任をとろうともしてきませんでした。戦後講じられてきた補償制度からは、外国籍や民間人の被害が除外されてきました。およそ国家の非常事態における戦争による犠牲は「国民ひとしく受忍すべき」だとする政策が貫かれてきたからです。
 戦争の総括や後始末もしないまま、いまや、岸田内閣は「国会の論議」を無視して、安保3文書(「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」)を改定し、新たな戦争準備を国民に「受忍」させようとしています。集団的自衛権の名のもと、米軍と一体となった敵基地攻撃を可能とする軍拡政策は、平和国家として戦後国際社会に受け入れられてきた日本を世界有数の軍事国家へと変えてしまいます。私たちは先の戦争体験者として、ふたたび日本が戦争の過ちを繰り返す危険を座視することはできません。
 被爆地広島で開かれるG7サミットを前に、私たち戦争体験者は岸田首相と国民のみなさんに訴えます。核兵器や戦争で人間のいのちやくらしを守ることは絶対にできません。
 1.戦争がつづけば、核兵器使用の危険は増大します。二度と核兵器が使われないためには「完全に廃棄」するしかありません。「戦争被爆国」を自称する日本政府は速やかに核兵器禁止条約に署名・批准し、核兵器国への「橋渡し」をすべきです。
 2.住民を巻き込んだ沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」「基地が戦争を呼び起こした」ことです。国家間の緊張を高め戦争につながる軍備増強はやめるべきです。
 3.政府は戦争がもたらした被害への責任を認め、外国人・民間人を含むすべての戦争犠牲・被害に対し差別のない補償を行うべきです。それは二度と過ちを繰り返さないための何よりの証しです。
 4.戦争を避ける最良の安全保障は、戦争の口実を与えないことです。日本は特定の国を敵視する軍事同盟や軍事力の強化ではなく、憲法9条にもとづいて、国際的な紛争を徹頭徹尾話し合い、交渉によって解決するよう求めます。


被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
核戦争を拒否する権利
室田素良 明治学院大学2年

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 私は日本の戦争加害と被害について学んでいる学生です。本の中で印象に残ったことは59ページにある内容です。「被爆者が『ふたたび被爆者をつくらない』ために立ち上がり、国に原爆被害を補償する法律」の制定を要求し続けたことは、日本国憲法に定められた基本的人権を、「二度と『お国のため』の犠牲にはさせまいとする、主権者としての『不断の努力』でもあったのです」。
 1人1人の命が「お国のため」犠牲になることは致し方ない、という考えは本書で指摘された原爆被爆者対策基本問題懇談会の示した意見、「『受忍』論」(38ページ)のことです。原爆の被害者、戦争の被害者1人1人の命、人生は、かけがえのないものです。「国家の遂行した戦争」(74ページ)による被害に対し、国は責任をとるべきだと、私も思います。
 核兵器禁止条約が発効した今、私たちは「核戦争を拒否する権利」(44ページ)を、世界中の人々とともに、いっそう主張しなければならないと思います。


今年度の活動始まる

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北海道

 コロナ禍の規制解除もあって、5月に入りいっせいに諸活動が動き出しました。
 5月7日に礼文島を出発した国民平和大行進は20日に札幌に入り、市内6コースの行進と合わせて札幌集結集会が行なわれました。北海道被爆者協会からは6人が参加。廣田凱則会長はG7広島サミットに触れながら「核兵器は無くさなければならない」と訴えました(写真)。平和行進は東京に向け、スタートを切りました。
 ノーモア・ヒバクシャ会館への見学者も徐々に増えています。札幌市内の学校への被爆者派遣事業には過去最高の26校がエントリーしました。
 こうした中、被爆者協会はボランティア基金の助成も受けながら「被爆の実相を後世に伝えるDVD作成事業」に取り組んでいます。(北明邦雄)


サミットに被爆者の声を

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愛知

 日本政府に禁止条約批准を求める署名すすめる愛知県民の会は5月13日、名古屋市の繁華街で「G7広島サミットの開催に呼応!被爆者の声を届ける愛知行動」を行ないました。金本弘愛知県原水爆被災者の会理事長は「岸田首相は広島出身と言うが何もしていない。一刻も早く禁止条約に参加してほしい」と訴え。平和委員会の澤村さんは「G7各国首脳は原爆資料館で人類と核は共存できないことを学んでほしい。被爆者の『核兵器をなくして』という声を聞いてほしい」と訴えました。(大村義則)


平和行進が出発

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 東京・江東区夢の島の第五福竜丸平和祈念館前広場で5月6日、広島を目指す国民平和大行進出発式が、約700人が参加して行なわれました。
 日本被団協の家島昌志代表理事が連帯の挨拶。ウクライナ戦争で高まる核兵器使用の危機の中、核廃絶をアピールしようと呼びかけました。ほかに東友会や第五福竜丸平和協会、日本青年団協議会、日本山妙法寺、高校生・学生平和ゼミナールなどの代表や、国際青年リレー行進のフィリピン代表、和歌山市民生協ピースリレー代表が挨拶し、広島までの通し行進者の紹介があって午後1時夢の島を出発しました。


各地で総会
久しぶりに対面で議論

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岩手

 岩手県被団協は4月26日、今年度の定期総会を開催しました。会員7人(特別会員1人)が出席し、核兵器禁止条約が国際法となってから2年の活動を振り返り、県内の運動の広がりに確信をもち、新年度の方針を確認しあいました。
 特に今年度は規約改正で、被爆者運動の現状と組織と運動を継続発展させる立場から、規約第2条(構成)に「会の運動に賛同し参加する者」を追加することになりました。総会後に昼食会を行ない、会員相互の交流を深めました。(下村次弘)

神奈川

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 神奈川県原爆被災者の会は4月25日、第58回定期総会を開催しました。
 2020年と21年は書面決議、昨年は対面でしたが被爆者のみで実施、今年は一部来賓を招いて開催しました。
 活動方針では、今後の在り方について今までの活動方針のほか新しい行動計画が示され了承されました。核兵器廃絶国際デーの9月26日に街頭署名活動、核兵器禁止条約の発効3周年を記念して1月22日講演会の開催、などです。
 活動方針案、予算案、規約改正案ともに出席者の質問も多々ありましたが拍手をもって承認され予定の時間内に終了しました。(木本征男)

兵庫

 兵庫被団協は5月13日神戸市内で会員26人(二世6人)が出席し第64回定期総会を開きました。
 立川重則理事長があいさつで「G7各国首脳が広島の資料館を見学し成果につながることを願っている。政府が軍備拡大を進めつつあるが、『仮想敵国』を刺激するのではなく外交努力こそ求めたい」などと述べました。
 参加者から、「市役所の人にも手伝ってもらって署名を集めた」「国家補償を求めてきた運動を理解するため、『被爆者からあなたに』を二世の会で勉強する」など、活動体験をふまえた活発な意見交換のうえ、全議案を異議なく承認しました。(副島圀義)

福岡

 5月22日に福岡県被団協第65回定期総会を開きました。昨年度の収入が減少し、今年度予算はさらに厳しい設定となりました。理事会で今後5年間ほどのシミュレーションを作成し議論する予定です。被爆者健康手帳所持者数を根拠とする日本被団協の会費の負担が重いと感じています。
 G7後の日本政府の政策について、核兵器禁止条約への署名と批准を行なうことなどを求める要望書を岸田首相あてに送付しました。(南嘉久)


継承センター実現へ広く寄付を訴えよう
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継承する会が総会

 認定NPO法人ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会の第11回通常総会が5月20日、対面出席とオンライン出席、書面議決を交えて東京都内で開催されました。厳しい財政状況から、会員、賛助会員を増やすこと、広く寄付を訴えることが話題になりました。
 参加者から「継承センターへの寄付が諸団体にとって社会的イメージアップにつながるような取り組みが必要だ」などの発言がありました。また、奈良、岐阜、宮城から活動報告がありました。
 奈良 手記集『奈良県のヒバクシャの声』発行ととりくみ=公立の全小学校180校の全教員に配布し、中学校96校・高校31校・公立図書館51カ所に2部ずつ届けた。受け取った教員から「各教室に備えて修学旅行のときだけでなく生徒の調べ学習で活用したい」などの声が寄せられている。
 岐阜 「国連原爆展 inGIFU」にとりくんで=岐阜県原爆被害者の会(岐朋会)が昨年、岐阜市立中学校23校に被団協の「原爆と人間展」パネルを寄贈したことからつながって、市長が岐朋会との共催を決断、3月に開催した。4日間の入場者は千人を超えた。
 宮城 「核兵器廃絶ネットワークみやぎ」=2021年1月22日核兵器禁止条約発効日のイベントで、ヒバクシャ国際署名の活動終了に伴い被団協提唱の日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める署名にとりくむことを宣言して発足。活動は、①毎月22日に街頭署名 ②県内自治体に職員の署名や意見書採択を呼びかけ ③市民へのアピール(イベント、ミニ集会と行進など)、声明の発表 ④宮城県原爆被害者の会の支援。被爆者に寄り添いながら、活動を続けていきたい。


相談のまど
 デイサービスでの入浴介助を断られました。どうすれば…

 【問】被爆者である夫は「要介護4」で寝たきりに近い状態です。最近まではデイサービスで週2回入浴をさせてもらっていましたが、職員の手もギリギリで入浴介助は無理と断られました。
 夫はもともとお風呂が大好きだったので、断られたことをとても残念がり元気もなくなってきてしまいました。訪問入浴を頼みたいのですが利用料が高額です。被爆者健康手帳での助成はないのでしょうか。

*  *  *

 【答】暑くなる季節を迎えて、入浴は身体の清潔を維持するだけでなく気持ちよく過ごすためには必要なことです。
 デイサービスでは事業所によっては機械浴を導入して介護度の重い利用者の入浴も受け入れているようですが、すべての事業所ではありません。人手不足や職員の高齢化もあり、介護度の重い方の入浴目的の利用を減らしてきているのかもしれません。
 自宅での入浴は介護する人には大変な負担です。ヘルパーの支援は病状や利用者の状態によっては難しく、訪問看護による入浴介助という手もあります。一度ケアマネジャーに訪問看護で入浴介助が受けられないか相談してみたらいかがでしょうか。それも無理という場合は訪問入浴サービスを利用することになります。訪問入浴の報酬は高額で(地域により自己負担額は異なりますが)、週2回の利用で月額1万円を超えます。
 しかし、今のところ訪問入浴は被爆者健康手帳での助成はありません。
 被団協では厚労省に訪問入浴利用料への助成を要請しています。
 引き続き、訪問入浴利用料への助成を厚労省に迫っていきたいと考えていますので、皆さんの声を日本被団協中央相談所までお寄せください。