被団協新聞

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「被団協」新聞2014年 9月号(428号)

2014年9月号 主な内容
1面 ― ヒロシマの継承 ― 高校生がヒバク証言を絵に
2面 座標 ―― 安倍首相の沈黙
2015年NPT再検討会議 代表団募集と募金のお願い
核保有国大使館に NTP再検討会議の成功めざし要請
韓国追悼式に参列
胎内被爆者連絡会結成
認定制度抜本改正求め署名
非核水夫の海上通信121
3面 若者たちが被爆手記朗読 反核・平和おりづる市民のつどい(石川)
原爆展に7千人(岡山)
市役所で原爆展(芦屋)
若い人も多く来場(神戸)
語りと講演が好評(博多)
原爆死没者肖像画9点展示
制定30年 ―― 「原爆被害者の基本要求」とは
アメリカで被爆証言 8月4日〜11日
4面 相談のまど 私は胎内被爆者なのでしょうか
こんなこと、聞いてもいいですか…? 受け継ぐための質問部屋

― ヒロシマの継承 ― 高校生がヒバク証言を絵に

Photo 原爆の絵を描いた高校生(左の5人)と証言者を迎えて開いたつどい(8月5日)

 日本被団協は8月5日午後、「ヒロシマの継承-高校生がヒバク証言を絵に」との集いを広島市中区の広島工業大学広島校舎ホールで開き、約100人がつどいました。
 ヒバク証言を絵にする活動は広島平和記念資料館の呼びかけで、2007年度から広島市立基町高校普通科創造表現コースの生徒が取り組んでいます。7年間に制作した絵は56点にのぼり、資料館が収蔵、被爆証言などに活用しています。
 会場には最新の今年制作の5点が展示されました。証言した被爆者4人のうち2人と、絵を制作した高校生5人全員が出席し、出席できなかった証言者からはメッセージが寄せられました。

中学の時テレビ見て
 証言者の井口健さんは発言の際、絵を描いた伊東良隆さん(2年)に「私一人でできるものではない、いっしょに」と声を掛け、2人で絵の前に立ちました。「福島川の河川敷はまさに生き地獄。目の前に立っていた大きい人の夢を何回見たか。伊東さんの心が私の心になって、立派な絵になった」と話しました。
 伊東さんは「中学の時テレビで原爆の絵の特集を見て興味を持った。描くのは難しく、井口さんに支えられ仕上げた。このような経験をした僕たちが情報発信の中心になれるよう努力したい」とのべました。
 会場でも証言した新宅勝文さんの話しを絵にした岡本実佳枝さん(3年)は「私にできるのは絵しかないと思った。新宅さんの話を聞き自分の思いも絵に入れた。絵の中の1人1人の気持ちを想像して」と訴えました。
 田中晴気さん(2年)は「普段受ける平和教育はクラスや学校という大人数で証言を聞く。今回初めて1対1で体験を聞けた」と振り返りました。
 中川佳乃子さん(2年)は「中央に描いたクスノキを見に現場に通った。生の体験を聞くことが何よりも勉強になった。戦争の恐ろしさや被爆の怖さ、戦争はあってはならない思いもよりリアルに感じた」と話しました。

託し、学び、平和へ
 神垣優香さん(3年)は「証言者は思いを高校生に託し、高校生は戦争の記憶を聞き学ぶ。絵が証言活動の力になり世界が少しでも平和に近づけば嬉しい」とのべました。
 指導した橋本一貫先生は「体験者が描く絵以上に凄いことはない。当初は高校生が描く意味を考えた。心配する声もあったが、途中で止めた子はいない。経験のない者が理解する努力は続けたい」とのべました。
 会場からは高校生の取り組みに感謝の声が相次ぎ、「絵の力に圧倒された。高校生が被爆者に寄り添い、うなされ泣きながら絵を完成させ、被爆者の方々も感謝でいっぱい。素晴らしい継承だ。大人の責任を重く受け止めた」(50代・女性)との感想が寄せられました。

座標 ―― 安倍首相の沈黙

危険な意思表示見過ごすな
 日ごろ能弁な安倍首相がこの夏、大事な場面で口をつぐんだ言葉があります。
 8月15日、東京の日本武道館で行なわれた政府主催の全国戦没者追悼式でのことです。歴代の首相が「加害」への反省と「不戦の誓い」を述べてきました。安倍首相は式辞で「今日は、平和への誓いを新たにする日」としながら「加害」への反省も「不戦の誓い」も一切述べませんでした。
 もう一つは8月6日、9日の広島、長崎での平和記念式典でのあいさつです。
 前年のあいさつと同じ個所が多く「コピペあいさつ」と問題になりましたが、ここでも口を閉ざした言葉があります。
 歴代内閣が「憲法上許されない」としてきた集団的自衛権の行使を安倍首相のもとで容認すると閣議決定したことです。前日5日の閣議に報告された『防衛白書』は、閣議決定を「わが国の平和と安全を一層確かなものにしていくうえで、歴史的な重要性を持つ」ともちあげたばかりです。
 式典後、広島の被爆者団体代表との懇談で、被爆者代表から憲法解釈変更は、「戦争をできる国にするもので、失われるものはあまりにも大きい。閣議決定の撤回を」と求められ、「戦争をする国という考えは毛頭ない。国民の命と平和な暮らしを守るためだ」と述べ撤回を拒否しました。長崎でも同様のやりとりがありました。
 式典での沈黙は何を意味するか。
 集団的自衛権行使は、他国民を「加害」し自国民が「被害」を受け、犠牲者を出すことは誰の目にも明らかです。沈黙で批判をかわし、「不戦」を誓わず、「戦争をする国」へ突っ走る危険な意思表示を見過ごすことはできません。
(コピペ=コンピュータ用語。文章などを複写し別の個所に張り付けること)

2015年NPT再検討会議 代表団募集と募金のお願い

 日本被団協は、2015年4月にアメリカ・ニューヨークの国連本部で開かれるNPT再検討会議に向け、代表団の派遣を決めていますが、このたび団員の募集が始まりました。
 訪問期間は来年4月24日(金)〜5月1日(金)の8日間で、成田空港発着となります。参加費はひとり40万円(航空運賃、宿泊費、共通経費ほか)を予定しています。
 募集人数は50人、締め切りは10月31日で、証言の添付が必要です。各都道府県被団協からの推薦として申し込むことになっており、個人から日本被団協へ直接の申し込みは受け付けません。募集要項は、各都道府県被団協に配布されています。
 その他詳しくは日本被団協または各都道府県被団協にお問い合わせください。

募金にご協力を
 2015年NPT再検討会議に向け、日本被団協は代表団を送るとともに国連本部ロビーでの原爆展も計画しています。また、代表団の行動費用は、負担いただく40万円を超えることは間違いなく、これらを含めた行動経費は2000万円を要すると思われます。
 被爆者の思いを国連へ届けてほしいと願うみなさん、被爆者の運動に理解を示してくださるみなさん、来年の国連原爆展と被爆者のニューヨーク行動のための募金にご協力くださるよう、訴えます。本紙に振り込み用紙を同封しています。よろしくお願いいたします。

核保有国大使館に NTP再検討会議の成功めざし要請

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中国 イギリス
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フランス パキスタン
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ロシア  
 来年に迫ったNPT(核不拡散条約)再検討会議の成功のため、日本被団協は7月に、東京にある核保有5カ国大使館を訪問、要請しました。
 訪ねたのは、7月16日フランス、24日イギリス、中国、25日にロシア、パキスタンで、アメリカは9月以降になる予定。
 要請項目は(1)2000年NPT会議で約束した核兵器削減の誠実かつ速やかな実行(2)核兵器禁止条約の締結に向けて多国間交渉を開始すること(3)CTBT(核実験の包括的禁止条約)への批准、発効への努力(4)今年12月のウィーン会議への参加(5)被爆者の体験を人類の遺産として伝えること。
 パキスタンは大使、ロシアは一等書記官、フランスは参事官、イギリス、中国は二等書記官が対応しましました。
 どの国も、NPT再検討会議の成否、CTBTの現状に深い関心と尽力する意欲を示しました。
 日本被団協の国際活動はよく知られており、被爆者が世界に核兵器の非人道性を訴えていることに、敬意と激励が寄せられました。

韓国追悼式に参列

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 韓国原爆犠牲者追悼式が、8月6日ソウル赤十字文化会館で行なわれ、日本被団協を代表して参加しました。黙祷のあと韓国原爆被害者協会の朴会長、日本大使館の佐々山公使に続き追悼の言葉を捧げました。
 現在韓国内の被爆者は約2500人、追悼式への参加は約200人とのことでした。式のあと昼食をいただき、協会の事務所を訪問して12人の被爆者の方たちと懇談しました(写真)。韓国内ではテグ(広島と姉妹都市)およびハプチョン、プサン方面に住む被爆者が多く、現在ソウル市内にある協会本部・事務所の移転話がある、とのことでした。日本被団協と今後も連絡をとりあっていくことを確認しました。(日本被団協代表理事 大和忠雄)

胎内被爆者連絡会結成

Photo 「つどい」に集まった22人の胎内被爆者たち

 8月5日広島市内で第1回胎内被爆者のつどいを開催し、原爆胎内被爆者全国連絡会(略称・胎内被爆者連絡会)を結成しました。広島、東京、奈良、香川、愛媛の5都県から22人が集まり、母親や家族の被爆を語り合い、胎内被爆者としての思い、連絡会への期待などを出し合いました。日本被団協から田中熙巳事務局長が参加し、激励のあいさつをいただきました。
 連絡会の活動として、胎内被爆者同士の交流・懇談、諸先輩、父母の被爆体験を継承するための取り組み、胎内被爆者としての証言活動、自分史をまとめる、被爆者の相談・世話活動、日本被団協や各都道府県の原爆被害者組織と連携した活動などを確認し、被爆70年の来年8月5日に第2回つどいを広島で開催することを決めました。加入資格は、胎内被爆者だけでなく原爆投下前に生まれた同学年の被爆者も入会可能としました。
 問い合わせは、同連絡会事務局の三村(090-7375-1211)まで。

認定制度抜本改正求め署名

ノーモア・ヒバクシャ訴訟全国原告団・弁護団
 ノーモア・ヒバクシャ訴訟全国原告団・弁護団(東京都文京区湯島2-4-4東友会気付)が、原爆症認定制度の抜本改正を求める署名に取り組んでいます。宛先は内閣総理大臣と厚生労働大臣、要請項目は、(1)現行の原爆症認定制度を廃止し原爆被害の実態に見合った援護施策の確立、(2)国は新たに確立される援護施策に基づきすべての裁判を解決すること。各地の協力をお願いします。

若者たちが被爆手記朗読 反核・平和おりづる市民のつどい(石川)

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3万羽の折りづる献納
 今年で29回目となる「反核・平和おりづる市民のつどい」が7月27日、金沢市の小高い丘、卯辰山に建つ「平和の子ら」像前広場で開かれました。
 力強い太鼓で幕明けのあと、石川県原爆被災者友の会の西本事務局長が開会あいさつ。「集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。憲法9条に守られてきた平和国家日本はどこへ向かおうとしているのか」と危機感を訴えました。
 活動報告では、石川友の会は2世部会結成を報告。「はだしのゲンを広める会」は、カンパでの県内小中学校への本贈呈がとても喜ばれている、全学校に行き渡るよう今後も頑張る、と決意を述べました。
 「平和の子ら」像への折りづる献納は3万羽にも及び、像を見事に飾りました。ひときわ感動的だったのは、青年団中心の若者たちによる被爆手記の朗読でした。
 地元のフォークソングループ「でぇげっさぁ」が作詞、作曲した「平和の子ら」を全員で大合唱し、平和の誓いを固めあいました。

原爆展に7千人(岡山)

 岡山市原爆被爆者会は広島・長崎原爆の日を前に、原水禁、原水協、日本山妙法寺など平和行進団一行の岡山市原爆被爆死没者供養塔参拝をはじめ、中学生による供養塔清掃などに取り組み、8月6日は供養塔前で慰霊祭を行ないました。
 5日〜15日は第22回「原爆平和展」をNHK岡山放送局ひかりの広場で岡山市との共催で開催、6637人が来場しました。今年は集団的自衛権行使容認の閣議決定があったことで関心が高く、話しかけてくる来場者の聞き役で当番者も少々疲れました。地元マスコミも報道してくれて、充実した取り組みとなりました。

市役所で原爆展(芦屋)

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 芦屋市原爆被害者の会は8月1日〜12日、芦屋市役所で「原爆と人間」展を開催しました。
 正面玄関から市民課への通路だったので、通りすがりに足をとめ見入る人もありました。会の幹事は会場当番を受け持ち、時には被爆の様子を語りました。来場者は署名にも快く協力してくれました。被爆70年へはずみのつく展示になったと思います。


若い人も多く来場(神戸)

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 神戸市原爆被害者の会は、7月31日から8月5日までJR神戸駅南地下街のデュオこうべギャラリーで今回で14回目を迎える「原爆と人間写真展」を行ないました。
 期間中の来場者は5386人でした。小さな子どもを連れた若い人が多く、被害の実相を伝えるのに有意義であったと思います。


語りと講演が好評(博多)

Photo 講演をきく参加者

 福岡市原爆被害者の会博多区支部は8月17日、第5回「原爆と人間」パネル展を博多市民センターで開催。約100人の参加者を迎えました。
 展示とともにメインとなったのは、被爆体験の語りと、弁護士による「集団的自衛権の問題点について」の講演でした。
 昼のTVニュースで見たからと駆けつけてくれた若いご夫妻もあり、初めて語りを務めた被爆者が今後の活躍を決意するなど、実り多い催しとなりました。


原爆死没者肖像画9点展示

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平和美術展に4千人来場
 第62回平和美術展が8月12日〜20日、東京都美術館(東京・上野)で開かれました。「すべてのいのちを大切に、平和の壁に花一輪を、日本を戦争する国にさせない」をスローガンに、絵や書、写真などさまざまなジャンルの作品が展示され、来場者は4000人を大きく超えました。
 1959年の第7回展から取り組まれている原爆死没者肖像画は、今年は9点が制作・展示されました(写真)。訪れた人は足を止め、遺族から寄せられた思い出が書かれたキャプションとあわせて見入っていました。
 肖像画は、各県被団協を通じて遺族に贈られます。なお美術展での小品売上の中から9万円が、日本被団協に寄付されました。

制定30年 ―― 「原爆被害者の基本要求」とは

(8)「平和の礎」法として
 日本被団協は2011年6月の第56回総会で「原爆被害者は国に償いを求めます-現行法改正要求」を決定しました。
 それは、現行法(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律)が、被爆者の悲願である「原爆被害への国の償いとしての被爆者援護法」ではないからです。基本懇答申に従って、戦争被害についての「受忍」を国民に強いる立場に立っている法律だからです。
 そして〈すべての人が核兵器も戦争もない世界で、平和に生きる礎となる法律を求めています〉とうたって、次の3項目の改正要求を提示しています。
 (1)法の目的を明記すること
 (2)原爆死没者に償いを
 (3)すべての被爆者に償いを
 昨年6月の日本被団協第58回総会決議は、原爆被害国家補償法=「平和の礎」法を被爆70年の2015年までに実現することをめざし、国民運動として広げようとよびかけています。

アメリカで被爆証言 8月4日〜11日

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広島原爆追悼集会(8月5日)
車いすの人の左が柿田さん、右が箕牧さん
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子ども平和サマーキャンプ(8月7日)
左から3人目が箕牧さん、4人目が柿田さん

 アメリカの平和団体の要請を受け8月4日〜11日、日本被団協代表として箕牧智之さん(広島)と柿田富美枝さん(長崎・被爆二世)がワシントンDC近郊で証言活動を行ないました。

平和ねがう心はひとつ/柿田富美枝
 広島、長崎の原爆投下時刻に合わせて集会があり、証言しました。5日午後7時15分、キング牧師像前の広島追悼集会には50人が参加、8日午後10時2分、ホワイトハウス前の長崎追悼集会には20人が参加しました。松井広島市長、田上長崎市長より、それぞれの集会へのメッセージを預かって行き、集会の中で披露されました。参加された方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 アメリカン大学、メリーランドの教会では、持参した画像をスクリーンに映し、証言。大学では学生が集会を運営、学長が挨拶に立ち、私たちを歓迎しました。
 子どもの平和サマーキャンプ訪問は楽しいひとときでした。「アメリカを憎いと思いますか」「どうしたら平和になると思いますか」という質問を受けました。
 今回、私は母の体験、山口仙二さん、谷口稜曄さんの体験と、被爆二世としての思い、核兵器廃絶を訴えました。参加者から、被爆者を支え継承してほしいなど、二世への期待の発言もあり、暖かい歓迎を受け、平和を願う心は世界でつながっていると実感しました。

心の交流に感激/箕牧智之
 子ども平和サマーキャンプでは折りヅルの飾り物とTシャツをいただきました。私が広島から持参したお菓子を全員に差し上げましたら、先生が今食べないで家でご両親に見せなさいとの指導をされ、感心しました。
 メリーランドの教会では、最初にこの大戦は日本軍と一部の政治家によってパールハーバーを奇襲攻撃によって勃発、私は日本の一市民としてお詫び申し上げますと謝罪しました。証言後に女性から「感動した、アメリカ市民として原爆投下について謝罪したい」との走り書きのレターをいただき、感激しました。

相談のまど 私は胎内被爆者なのでしょうか

 【問】今年の夏、胎内被爆者の会が発足したと聞きました。
 私は昭和21年4月10日に生まれました。母親は長崎で被爆して、被爆者健康手帳を持っていましたが、すでに死亡しています。私は胎内被爆者になるのでしょうか。胎内被爆者であれば、今から被爆者健康手帳の申請はできますか。母親が死亡したときに、被爆者健康手帳は県に返却してしまったのですが、大丈夫でしょうか。

 * * *

 【答】原爆が投下されたときに母親の胎内にいた場合は、「胎内被爆者」として、被爆者健康手帳が交付されることになっています。誕生日がいつまでかなど法律の定めはありませんが、広島市、長崎市が内規として定めているものが適用されています。それによると、広島の場合は昭和21年5月31日まで、長崎の場合は6月3日までとなっています。医学的な胎児期間は、280日といわれていますので、内規は妥当なものと思われます。
 お母さんがすでに亡くなり、被爆者健康手帳も返却されたとのことですが、手帳を交付した都道府県の担当課に問い合わせれば、お母さんが手帳を交付されていた事実は確認できます。
 被爆者健康手帳の交付手続きは、被爆者健康手帳交付申請書に戸籍抄本、お母さんが被爆者健康手帳を交付されていた事実を証明するものを添付して、都道府県知事に申請してください。

こんなこと、聞いてもいいですか…? 受け継ぐための質問部屋

話しづらいと感じるときは
 被爆証言をするときに、話しづらい、伝わりにくいと思ったことはありますか。聞き手の私たちに、何か、語り手の手伝いをすることはできますか。(東京・平和グループ会員の主婦・41歳)

読者からの回答

◆視線を合わせて本気で 岡山・広島被爆・86歳
 語り部の人は、自分が被爆体験をした時の真実を本気で語ってみてください。その時、真剣に聞いてくれている生徒さんに視線を合わせて語ってみてください。すると聞いてくれる人が増えると思います。その人たちにも視線を合わせて語ってください。すると興味を持って真剣に聞いてくれる味方が多くなり、だんだんと自信もついてくると思います。
 どうか勇気を持って語り続ける人となってください。

◆キャッチボール形式で 熊本・長崎被爆・72歳
 機会があるたびに、子どもからお年寄りまでを対象に、語り部というより、また訴えるというより、「皆さんならどう思いますか」というキャッチボール形式で話を進めています。
 一方的に話をすると、子ども達は理解できないまま退屈して終わります。こちらが的を射た質問をすることで子ども達の目は輝き、その時のことを知ろうと質問をしてきます。これがキャッチボールで、自然に素直で純粋な意見を述べてくれ、気持ちを通わせることができます。実相を受け入れてくれるのです。
 中学生から罵声をあびせられたというニュースは、何か行き違いがあったのでしょう。訴えたいという思いがあっても、相手の心に届かない限り空しい思いが残ります。語る側は相手の気持ちを察して、表情を見て話を進めたいものです。

 * * *

 ★被爆体験の継承に関する質問をお寄せください。受け継ぐ立場の方はもちろん、被爆者からの質問もお待ちしています。被爆体験を話したときに、質問されて難しかったこと、困ったことはありませんか。どんな答えが考えられるか、このコーナーでいっしょに考えましょう。
 ★質問は「質問部屋」係宛てに郵便、FAXでお送りください。電話でも受け付けます。
〒105-0012 東京都港区芝大門1-3-5
ゲイブルビル9階 日本被団協「質問部屋」係
FAX 03-3431-2113
TEL 03-3438-1897