被団協新聞

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「被団協」新聞2008年 12月号(359号)

2008年12月号 主な内容
1面日本被団協全国代表者会議報告
原爆症訴訟早期解決を官房長官に申し入れ
2面座標―オバマ次期米大統領への手紙 ●非核水夫の海上通信
3面わが街の被爆者の会―栃木県被団協
中央相談所講習会、各地で
4面相談のまど「原爆症認定申請・5年前に手術の胃がん完治している場合は?」

核兵器廃絶の流れを確実な成果に 日本被団協代表者会議

 日本被団協は、11月11日と12日、東京で全国都道府県代表者会議を開きました。全国から90人を超える被爆者が参加しました。
 1日目は、田中熙巳事務局長による基調報告で、被爆者運動の成果と今年度の課題が提案され、各都道府県代表が、それぞれ地元での活動をもとに討論しました。

 2日目は、木戸季市事務局次長から「2010年NPT再検討会議の成功をめざす運動要綱」が提案され、全国で積極的に取り組んでいくことが確認されました。
 最後に、「核の傘から日本国憲法の平和の傘へ、軍事費やめて暮らしの予算へ、被爆者切り捨てから被爆者救済へ、戦争犠牲受忍政策からすべての戦争犠牲者に償いへ」チェンジさせようとのアピールを採択しました。

 会議冒頭、東京大空襲訴訟原告団の星野ひろし団長が連帯のあいさつ。次いで日本原水協の高草木博事務局長から、あいさつとともに募金100万円が坪井直代表委員に手渡されました。

被爆者運動の成果と今年度の課題

 基調報告では、まず各県の組織がそれぞれの力量に応じた実相普及活動を一貫して行なってきたことが、被爆者の基本要求実現の基礎であることを確認。またこれまでに実現させてきた被爆者援護施策は、原爆被害に対する国家補償を要求しつづけたことによって実現したものあると強調しました。
 今後は集団訴訟の解決にむけて、司法と行政との乖離を埋め、政治的な一括解決を求めることを確認。原爆の被害の実態にそった抜本的な施策の改善は現行法の改正によらざるを得ないとし、基本要求を土台にした改正法案の検討開始にも言及しました。

NPT再検討会議へ

 「運動要綱」では「ふたたび被爆者をつくらない」被爆者の願いの実現を目的に、会議にあわせて「国連原爆展」を開催し「被団協代表団」を派遣して、原爆被害の実相と核兵器の廃絶を訴えることを確認しました。

防衛省、外務省に要請

 代表者会議に続く12日午後の中央行動で、被団協は防衛省と外務省への要請を行ないました。
 防衛省へは、日米共同の弾道ミサイル防衛システムや原子力空母の横須賀母港化、米軍再編強化に反対を表明。さらに自衛隊幹部に対する正しい歴史認識の教育と原爆被害の真実の教育を行なうことを要請しました。
 外務省へは、唯一の被爆国として、また日本国憲法の立場からも、「核の傘」から離脱し日本の非核化、非核3原則の法制化への努力を、また核兵器廃絶条約制定のための国際的協議開始へのイニシアチブを、日本被団協の世界各地での実相普及活動に援助を、など6項目を要請しました。

原爆症訴訟早期解決を官房長官に申し入れ

 日本被団協と集団訴訟全国原告団および弁護団は11月19日、河村建夫内閣官房長官(原爆症認定早期実現自民党議懇会長・与党被爆者対策プロジェクトチーム前座長)に会い、訴訟の早期一括解決を要請しました。
 手渡した要請書は麻生太郎首相と河村官房長官宛で、(1)肝機能障害と甲状腺機能障害を積極認定の疾病に加える(2)積極認定に含まれないがんは総合審査で特段の配慮を(3)6千件を超える認定申請の滞留を解決する(4)国は地裁判決に従って勝訴原告を認定する(5)原告全員救済により裁判の早期解決を、の5項目を要請。
 河村長官は被団協の田中事務局長の説明をひとつひとつうなずきながら聞き、(1)は「新基準の中にぴしゃっと入れるように」、(3)は「これ急ぐんですよね、待っておられる方の問題なんとかしないと」、(4)(5)は「東京高裁判決の時には、いくらなんでもあれがタイムリミットと思っている」と話しました。また「麻生総理に経過を含めて説明し、もっとつっこんだ話をするつもりだ。一度健康局長を呼び、舛添大臣にも私から話をしてすすめる」と言明しました。
 東京高裁は12月18日結審の予定で、来年春の判決が予想されています。

新基準で初の「却下」

  判決は、旧審査の方針について「DS86および原因確率のいずれにも一定の限界があり、これらを機械的に適用して放射線起因性を判断するのは相当ではない」と指摘しました。今年の4月から適用の「新しい審査の方針」で積極認定の対象とされていない疾病である、C型肝炎ウイルス感染による肝硬変と脳梗塞に、放射線起因性を認めました。

座標 オバマ次期米大統領への手紙

 オバマ次期米大統領さま
 「チェンジ(変革)」。
 あなたが訴えたこの言葉は、米国民の希望と活力を生み出し、歴史の地殻変動が始まりました。
 私たち被爆者は「核のない世界をめざす」というあなたの公約に、生命感の新たな息吹を覚えます。「ふたたび被爆者をつくるな」―この私たちのいのちをかけた願いに、新たな視界が開けてきたからです。
 私たちはアメリカが〈核兵器廃絶への主導的な役割を果たすこと〉を求めてきました。〈「ふたたび被爆者をつくらない」との被爆者の願いにこたえることこそ、アメリカが人類史上において犯した罪を償う唯一の道〉(「原爆被害者の基本要求」)だからです。
 核兵器廃絶の声は世界の大きな流れになってきました。アメリカでも元要人たちの動きも出ています。2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて、核保有国に「核廃絶の明確な約束」の実行を迫る運動が広がっています。
 だが、日本はまだアメリカの「核の傘」に覆われたままです。〈「核の傘」とは私たちにとって、原爆のきのこ雲以外の何者でもありません〉(「基本要求」)
 「核の傘」から「9条の傘」へチェンジ、です。
 バラク・オバマさま
 日本被団協は2010年に国連本部で原爆展を開催します。アメリカ大統領としてぜひ、この原爆展をご覧ください。原爆被害の実態をみつめてください。
 そして、核兵器廃絶の公約実現に直進してくださるよう期待しています。
 ―日本の被爆者より

「償われるべき原爆被害」など議論
 第13回被爆者問題研究会

 第13回被爆者問題研究会が、11月1日、東京の日本大学歯学部講堂で開かれました。
 午前は「被爆者をめぐる国際・国内情勢」のテーマで、藤田俊彦氏(前長崎総合科学大学)の「第63回国連総会と核兵器廃絶の課題」、小森陽一氏(東京大学)の「九条を守る闘いの到達点と課題」の報告がありました。
 昨年来のキッシンジャーら元米政府高官の「核兵器のない平和を」の提言に触発され、核兵器廃絶に向けた国際世論、国際政治に大きな変化が見られることを確認。また、国内での九条の会の急増と九条世界会議の成功が、改憲・軍事大国化の動きに歯止めをかける一方で、アメリカの圧力は弱まっていない、決して手を緩めてはいけないことが強調されました。
 午後は「償われるべき原爆被害とは」をテーマに、直野章子氏(九州大学大学院)の「現行法と原爆被害受忍論」、中澤正夫氏の「原爆被害としての『心の傷』」、田中煕巳氏(被団協)の「集団訴訟でかち取られたものと償われるべき原爆被害」の報告と、内藤雅義氏(弁護士)からの文書報告「戦後処理立法と原子爆弾被爆者の援護に関する法律、そして、原爆症認定訴訟」がありました。
 市民の戦争被害に対する日本政府の一貫した「受忍」政策の根源についての議論が深められ、原爆被害に対する国の補償を実現することの重要性が確認されました。また、原爆症認定訴訟運動の成果をこれらの視点から見る必要があることが強調されました。

被爆者手帳申請裁判 原告が勝訴

 来日しないことを理由に被爆者健康手帳の申請を却下したことを違法として、韓国人女性が国と長崎県を相手に起こしていた訴訟で、長崎地裁は11月10日、長崎県に却下処分を取り消し手帳交付を命じる原告勝訴の判決を出しました。判決は「来日することが著しく困難な場合に、これに代替する方法は十分にありうる」としています。「来日要件」を違法とする判決は、今年7月の広島地裁、9月の広島高裁に続いて3度目です。
 原告の鄭南壽(チョン・ナムスウ)さん(88)は25歳のとき広島で被爆し、戦後韓国に帰国。2006年に、寝たきり状態のため長崎県に手帳申請書を郵送しましたが、厚生労働省が義務付けた「来日要件」によって却下されていました。来日することができた長男は手帳を取得しています。
 在外被爆者は、裁判での勝利を積み重ねて、現行法の海外での平等適用をひとつひとつ勝ち取ってきました。03年に在外被爆者への手当て支給が開始され、05年には手当てと葬祭料の海外からの申請が認められました。
 今回争われた手帳申請の「来日要件」も、今年6月の法改正で年内に撤廃されることが決まっています。

長崎県が控訴

 長崎県は18日、判決に対し、厚生労働省の意向にしたがい不当にも控訴しました。

原爆症認定集団訴訟のあゆみ

 2003年に始まった原爆症認定集団訴訟は、現在、地裁では、札幌、東京、さいたま、千葉、横浜、静岡、大阪、岡山、広島、高知、松山、高松、長崎、熊本、鹿児島の15地裁148人が係争中です。高裁は、札幌、東京、千葉、名古屋、大阪、広島、福岡2件(長崎の控訴と熊本の控訴)の8件145人。あわせて原告被爆者293人です。これまでの累計提訴者数は317人で、22都道府県に在住の被爆者が17の地裁に提訴しました。このうち高裁確定11人、取り下げ13人。提訴者数は最高時306人でした。

非核水夫の海上通信 日本の魂

 カリブ海のドミニカ共和国の首都サントドミンゴの公園に、広島の被爆アオギリ二世の木が2本ある。現地日系移民の手により1本は2000年に、もう1本は今年8月6日に植えられた。
 ヒバクシャ地球一周の一行は先月、このアオギリを見学し現地日系協会と交流した。代表者曰く、被爆アオギリは「苦しい中を生き抜いてきた象徴であり、日本の魂であり、私たちの心のよりどころです」。その言葉に地球一周の一行に加わっていた在ブラジル原爆被爆者協会の森田隆会長が共鳴し涙の交流となった。
 南米への移民は、約100年前から国策として行なわれた。日本が近隣を支配していく過程と並行して進められたこの政策は、困窮層を国外に放り出す棄民政策であった。
 「国の心」という言葉はたいていは軍国主義的な修辞となる。だが国家に傷つけられ弄ばれてきた人々が「ヒロシマこそが国の心」と言ったとき、新鮮な衝撃を受けた。川崎哲(ピースボート)

東友会結成50周年記念式典・祝賀会

 東京都原爆被害者団体協議会(東友会)は11月8日、結成50周年を記念して式典・祝賀会を開きました。196人が参加しました。
 式典では、スライド「東京の被爆者50年の歩み」を映写しながら、1956年の日本被団協結成から今日までの運動を飯田マリ子会長が紹介しました。来賓の都議会議長代理・樺山たかし都議会議員が「きょうは、広島・長崎の被害の風化とのたたかいを開始する日にしよう」と、また日本被団協の田中熙巳事務局長が「東友会は首都の会として被爆者運動を支え続けた。その歴史は日本被団協の歴史でもある」とあいさつ。東友会を支える8団体に感謝状が贈られました。
 祝賀会では、自民、民主、公明、共産の各党代表、首都圏被団協の代表と支援関係者のあいさつが続きました。

記念誌発行

 東友会はまた、結成50周年記念誌『座談会でつづる東友会の50年』(A5判320ページ)を発行、祝賀会で紹介されました。東友会の役員、事務局員その他協力者を含む関係者が、座談会形式で運動の節目について語った模様が収録されています。巻末には詳細な「被爆者運動関連日誌」も。頒価1500円。連絡先は東友会(文京区湯島2‐4‐4 Tel03‐5842‐5655)。

わが街の被爆者の会 栃木県被団協

 栃木県総合運動公園内「憩いの森」の赤松林の中に、栃木県原爆死没者慰霊の碑(写真右奥)はあります。1991年に募金を集めて建立しました。以来毎年、この碑の前で慰霊祭を開いています。18回目の今年は8月20日、木立に蝉しぐれが響く中行なわれました。
 栃木の被爆者は現在300人を切り、軍隊での被爆が多いため高齢化も進んで、慰霊祭の開催も困難になってきていました。しかし数年前から関わりを深めてきた平和友好団体が、今年は全面的に協力してくれて、参列者は過去最高の90人を数えました。

中央相談所講習会、各地で

 中央相談所の相談事業講習会が、中国ブロック、東海北陸ブロック、北海道ブロックで相次いで開かれました。
 [中国]10月30〜31日山口で開かれ、約200人が参加しました。1日目は日本被団協の田中熙巳事務局長が「日本被団協の運動と成果・これからの課題」について話しました。2日目は被団協事務局の伊藤直子さんが「被爆者の相談活動と現行制度の活用」について話しました。
 [東海北陸]11月13〜14日愛知で開かれ、約110人が参加しました。1日目から2日目にかけてシンポジウム形式で、原爆被害者の基本要求や原爆症認定申請、実相普及活動、集団訴訟で明らかになった原爆被害などについて討論しました。2日目後半に被団協の岩佐幹三事務局次長が「被爆者運動の現状と今後の課題」について話し、各県報告も行なわれました。
 [北海道]11月18日札幌で開かれ、約40人が参加しました。被団協の田中事務局長が、被爆者対策の改善経過も含め被団協運動の成果と今後の課題について、また新基準による認定について話しました。

風紋 パキスタンで「はだしのゲン」

 ◇…東京外国語大(東京都府中市)学園祭の名物は外国語劇(語劇)。語劇は1900(明治33)年、同大の前身・東京外国語学校時代から始まり、戦時中などを除いて続いてきました。
 ◇…現在は26の専攻語ごとに、学生たちが自分たちで脚本を書いて上演します。「出演する二年生は半年間演技とセリフを覚えるのに四苦八苦」(酒井啓子・同大大学院教授)だとか。
 ◇…最近の話題作はウルドゥー語科の「はだしのゲン」。広島被爆の漫画家・中沢啓治さんの名作です。学生たちはパキスタンとインドで海外公演もして、反響を呼んだそうです。(東京新聞)

”9条の原点を考える”

 ノーモア・ヒバクシャ9条の会と早大9条の会の合同企画「9条の原点を考える」が11月13日早稲田大学でありました。
 はじめに中川重徳弁護士が、原爆症認定集団訴訟について話し、自身がこの裁判で初めて被爆者と被爆者運動の歩みに触れたことなども語りました。次に、被爆者でノーモア・ヒバクシャ9条の会の吉田一人さんが「引き継いでもらいたいこと」をテーマに、被爆者が何を求め訴え続けてきたのかを語りました。
 この会を企画し参加した学生は「若い世代が伝えていかなきゃ、ということを切実に感じた」と感想を述べました。

非核平和祈念のつどい開く 芦屋

 芦屋市原爆被害者の会(兵庫県)などの主催で、非核平和祈念のつどいが10月25日、芦屋上宮川文化センターで開かれました。
 声楽家・薬谷佳苗さんの歌でオープニング。集団訴訟近畿弁護団の浜本由弁護士が、担当した原告とのかかわりで知った被爆者のからだとこころの傷のこと、自身が母となったことで再確認した裁判の意味など、力強く語りました。映画「ヒロシマナガサキ」を上映し成功裏に終わりました。(芦屋・千葉孝子)

『長広会50年のあゆみ』長広会(東京・中野区原爆被害者の会)編

 結成50周年を記念して発行されました。「広島・長崎被爆記録」として22人の会員の手記を掲載。巻末に、原爆投下から会の結成を経て今日に至る活動のあゆみ。
 希望者には500円と送料200円で送付。

『日本国際法律家協会の歩み1957〜2007』日本国際法律家協会50年史記録編集委員会編

 副題「民主的法律家の国際連帯運動の50年」。第1部「協会の50年の歩み」では、10年毎の5期に分けて客観的な記録とともに、活動に参加した会員の回顧と感想で構成されています。第2部「資料」は、文献リスト等と年表になっています。
 頒価2000円。国際法律家協会Tel03‐3225‐1020。

相談のまど

 原爆症認定申請

 【問】私は22歳の時広島の皆実町2・2キロで被爆しました。5年前に胃がんで、胃の全摘出の手術をしました。
 昨年6月に原爆症認定の申請をしました。厚生労働省から「現在どんな治療をしているのか」との問い合わせがきて、主治医に診断書を書いてもらったところ、診断書には「転移もなく、現在胃がんに対する治療は行なっていない」となっていました。これを提出してもいいのでしょうか。
*  *  *
【答】原爆症認定の条件は、申請した病気に放射線との因果関係があるか、ある場合にその病気が今も医療を要する状態にあるかの2つです。
 現在の原爆症認定基準によれば、あなたの胃がんは放射線の影響によるものということになります。一方その胃がんは、今は治療していなくて、今後も治療の必要がないということですから、主治医の診断書を提出した段階で、厚生労働省の審査で原爆症とは認定されないでしょう。
 治療を要しないほど治ったことを、命拾いをしたと考え、これからは健康管理に一層気をつけて長生きをしてください。そして被爆者として1人でも多くの人に被爆体験を語ってくださることを望みます。

ツボはここ 風府と風池

 今年も残すところ1か月です。
 今年は残暑が厳しく、冬の寒さも早めの襲来です。また寒暖の差が大きく、高齢者にとっては風邪をひくと肺炎など重症になりやすいので気をつけましょう。
 この時期に注意したいのが寒邪(かんじゃ)です。東洋医学では春は風邪(ふうじゃ)、夏は湿邪(しつじゃ)、秋は燥邪(そうじゃ)、そして冬は寒邪が身体を傷めるとしています。その「寒邪」に負けそうになったときは、早めに退治するのが大切です。
 かぜの前駆症状に、首の後ろに寒気を覚え、ゾクゾクするということがあります。そんな時は「風府(ふうふ)」と「風池(ふうち)」を温めてください。蒸しタオルを当ててもよいのですが、お灸が効果的です。寒邪の進入を入り口で止めることがポイントです。