被団協新聞

トップ >> 日本被団協について >> 被団協新聞 >> バックナンバーリスト >> 「被団協」新聞2008年 9月号(356号)

「被団協」新聞2008年 9月号(356号)

「原爆に勝つために」―被爆者は語りつづける

デイケアで3年間
 

 静岡県の被爆者杉山秀夫さん(85歳)が体験記「原爆に勝つために」を発行しました。杉山さんが利用する磐田市W医院の通所リハビリ施設で、3年間にわたって被爆体験を語ってきた内容をまとめたものです。
  通所施設で杉山さんが語るきっかけを作った元ケアマネージャーのYさんに聞きました。

デイケアで昔の話

 W医院は1994年にデイケア事業を始めた当初から、一日のカリキュラムの中に昔の生活や体験談を話す時間を設けていました。夏は戦争体験を話題とするよう試み、絵本の読み聞かせ、戦時中の唱歌などを組み込んできました。涙でとても語れないと口を閉ざす方がほとんどでしたが、数年前から口を開いてもらえるようになりました。
  杉山さんが来られるようになり、聞けば大変な体験をお持ちの方で、ぜひ話していただきたいとお願いしました。

 
記憶を呼び起こす

 杉山さんの「戦地で冬瓜を十数人で分けた」という話から、「私も南瓜や芋の蔓を食べた」と、認知症の方も記憶をたどって目を潤ませました。
  高齢の方は、戦争の話をすると孫に嫌われると言うんです。「またその話」と。特に認知症の方は家族とのコミュニケーションも薄くなりがちです。そういう方には、過去の体験を引き出す「回想」が、とても大事なんです。過去のことを話せるようになるということは、心をゆるすということだと思うんです。
  職場では、利用者を介護するにも、時代背景を知ることが大事だとスタッフで話し合っていました。利用者の方に、飯ごうやボロボロになった帽子などの当時の品をお持ちいただいたり、若い頃の写真を見せていただいたりしました。

私たちが伝えなければ

 私の父は、兄弟2人をガダルカナルで亡くしています。母の弟は中国から引き揚げてきました。その親に、中学2年のとき、広島に連れられて行きました。平和記念資料館も見学しました。
  また、姉が焼津に嫁いでおり、ビキニ事件やチェルノブイリの原発事故は身近なことでした。
  親となった私も子ども会の行事で、戦艦大和に乗っていた方からお話を聞く会を行ないました。
  娘が高校生のときに広島に連れて行きました。重たい内容で酷な面もありますから、子どもの成長を見計らう配慮も必要だと思います。
  広島・長崎の歴史や、戦災をくぐりぬけて来られた方々の生き様は、私たちが伝えていかなければ、思っています。
(静岡・磯部大)

NHKが放送「ヒバクシャからの手紙」

 8月5日夜から6日にかけてNHK総合テレビとラジオ第一で「ヒバクシャからの手紙」が放送されました。
  NHK広島が募集し、寄せられた手紙389通の中から被爆体験、その後の人生、平和の願いを訴えたものなどで構成した番組。坪井直被団協代表委員が作家・井上ひさしさんとコメンテーターで出演、坪井さんは自らの被爆体験も語りました。
  番組の結びでは藤平典さん(被団協代表委員)が17歳の孫娘にあてた手紙、次の一節が紹介されました。

 
17歳の茜ちゃんへ 藤平 典

 もうすぐ傘寿(80歳)になる私が被爆者運動を続けているのは、「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器は許せない」という願いからです。茜ちゃんを含め世界のすべての人々に、あの“地獄”に遭わせたくない、被爆者にしてはならないという思いからです。いま、核保有国には2万数千発の核兵器があるといわれます。この悪魔の兵器がある限り、私は目を閉じられないのです。それが私の生かされている意味だと思っています。
  高校生の茜ちゃんを見ていると「平和っていいな!」としみじみ思います。私が被爆した17歳を思い出し、茜ちゃんたち若い人たちに、私のような体験をさせてはならない。それは亡くなられた方々への私たちの誓いなのです。
  茜ちゃん、青春を大切にしてください。あなたたちの未来はあなたたち自身のものです。あなたたちが自ら考え、自ら歩んで、自らの手で“平和と未来”をつかみ取ってください。それが“地獄”から生き残った私の願いです。

 

福田総理大臣、被爆者と面談

 8月6日広島の原爆慰霊式典に参加した福田康夫総理大臣は、式典後舛添要一厚生労働大臣とともに広島の被爆者7団体の代表と面談しました。
  福田総理は、4月からの原爆症認定について、数字を挙げて誇らしげに説明。認定作業の遅れ、司法判断との乖離については、司法関係者を医療分科会に入れることで改善したいとの表明のみ。集団訴訟に関する発言はありませんでした。被爆者から訴訟の早期解決への要望を出しましたが、舛添厚労大臣も訴訟には言及しませんでした。
  9日、長崎での5団体の代表との面談も、広島と同様でした。

紙上討論<被爆者と憲法>

憲法は被爆者の体験から生まれた人類生き残りの道を示すもの 池田眞規(弁護士)

紙上討論<被爆者と憲法>
  憲法は被爆者の体験から生まれた人類生き残りの道を示すもの 池田眞規(弁護士)

各党代表がかけつけ激励 広島

 「原爆症認定集団訴訟早期解決を求める市民集会inヒロシマ」が8月5日午後、鶴学園広島校舎講堂で開かれました。全国から原告、被爆者、各地の集団訴訟支援の会の代表など、約200人が会場を埋めました。
  集会では寺田稔(自民党)、谷合正明(公明党)、松本大輔(社民党)穀田恵二(共産党)、保坂展人(社民党)の各氏が各党を代表してあいさつし、綿貫民輔氏(国民新党)からはメッセージが寄せられました。集団訴訟の早期解決を求める運動への激励と、福田総理大臣の決断を求める発言がつづきました。広島と長崎の原告代表決意表明のあと、フロアからの発言があり、最後に参加者一同の名で「アピール」を採択して、集団訴訟早期解決を求めるたたかいへの決意を新たにしました。

「米印協定」に反対

 日本被団協は、8月18日「米印原子力協定」に反対し、日本政府にも反対するよう求める声明を発表しました。
  インドは核兵器の保有を宣言しながら核不拡散条約(NPT)への加盟を拒否、包括的核実験禁止条約(CTBT)にも署名していません。そのインドに特権を与え、核兵器増産を助けようとするのが「米印協定」で、昨年7月にアメリカ・インド両国の間で締結されました。
  しかしこの協定の発効には、日本を含む45カ国が加盟する原子力供給国グループ(NSG)の、全会一致での承認が必要です。1国でも反対すれば発効できないのです。
  「声明」では、「日本被団協は、唯一の被爆国の日本政府が、NPT体制の崩壊をもたらす米印原子力協定に勇気を持って反対し、近く開催されるNSG会議の中でも例外措置を認めない意思を表明することを強く求めます」としています。

韓国原爆犠牲者追悼式

  韓国原爆被害者協会の原爆犠牲者追悼式が8月6日ソウル市で開かれ、日本被団協から代表理事の松浦秀人さん(愛媛)が参列しました。式では金龍吉会長、日本国大使代理相星孝一公使に続いて松浦さんが追悼の言葉を献じました(写真)。

8月の認定150件

 厚生労働省は8月18日と25日に審査部会を開いて認定審査を、25日には医療分科会を開き個別総合審査を行ないました。これらを合わせて150件が新たに認定されました。また、これまでに事務レベルでの自動認定が63件あったことも医療分科会で報告され、これで新基準に基づく認定は786件となりました。

田中事務局長が談話

 25日の医療分科会での個別総合審査では、諮問件数43件に対し認定17件(原告3件含む)、保留5件、審議未了21件でした。これに対し被団協の田中熙巳事務局長は「いたずらに司法の上級審の結果を待つのでなく、被害の実態に沿った認定審査をすみやかに行なうとともに、原告全員の一括救済を行なうことによって集団訴訟の解決に当たることを強く求める」との談話を発表しました。

非核水夫の海上通信

米の二重基準

 某女子大の夏の集中授業で、今年はディスカッションを試みた。
  核燃料をつくる技術の延長で核兵器の材料が作れる。核不拡散条約(NPT)は加盟国に平和利用の権利を認めている。これらを説明した上でイラン問題に入る。イランは平和目的と主張しているがアメリカは兵器開発と疑っている。「さて皆さんはイランの核活動を認めるべきと思いますか」。意見は半々に分かれた。「権利があるからしょうがない」「違反の事実があるのだから制限すべきだ」。
  次に、NPT外で兵器開発しているインドにアメリカが核協力をしようとしていることを説明する。「これはどう思いますか」。「え〜それひどすぎますよね」と驚嘆の声。「アメリカって勝手すぎる」。専門で勉強している学生ではないが、問題の本質を見抜き「反対」が圧倒的だ。
  八月の広島でダナパラ元国連事務次長は語った。「インドへの核協力は核不拡散体制への根本的挑戦だ」。
川崎哲(ピースボート)

ワシントン証言の旅

 ヒロシマ・ナガサキ平和委員会(ワシントン)の招きで、被団協代表として太田安子さんと原明範さんが訪米しました。原さんからの報告です。

 FMラジオ局の生出演から始まって、毎日初体験のことばかり。証言の際には質問の時間が多くとられ、自分の勉強不足を痛感しました。
  特に感銘したのは、世界青年指導者会議(世界各国の14〜18歳)での、青年たちの真剣で活発な討論です。ドイツの青年が「あなたたちの証言を聞いて、平和への思いが一層強くなりました」と発言。会場では、写真撮影と握手とサイン攻めになってしまいました。
  子ども平和キャンプ(4〜11歳)では「手は、友達を叩いたり、押したりするものではありません。抱きしめたり、愛したり、握手したりするものです」と歌い踊っていました。友を思いやる優しさを教育していることに感心しました。
  オールソウルズ教会で60年前の広島・本川小学校の子ども達の絵に逢えたことも感動的でした。
  最後に開いていただいた歓送会で「8月6日9日を初めてアメリカの地で迎えた2008年の夏は、私の人生の中で宝の10日間でした」と述べると、「あなた方が、こうして遠くワシントンまで来て証言してくださることが、私たちの宝だ」とこたえていただき、証言の旅を終えました。

わが街の被爆者の会 愛友会(愛知)

 愛友会の活動の柱は、相談活動と被爆の実相普及です。30年来開催されている「愛知平和のための戦争展」には最初から参加しており、今年も8月12〜15日名古屋市公会堂で、約30の団体が集まる中、原爆展を出展(写真)しました。約3000人が来場しました。
  学校での証言活動も多く、岩倉市では教育委員会の依頼で市内すべての学校に出向きます。愛知県私立学校教職員組合連合主催のサマーセミナー(3日間)にも、約300ある講座のひとつを担当し、高校生や保護者、市民にむけて証言を行なっています。

被爆者肖像画17点を展示―平和美術展

 第56回平和美術展が7月28日〜8月11日東京都美術館で開かれました。原爆死没者の肖像画17点も展示され、被爆の実相を訴えました。
  美術展での小品売上の中から10万800円が被団協に寄付されました。

さっぽろ平和行動−路面電車「平和号」など多彩に

 原爆投下の日と敗戦の日を中心に「さっぽろ平和行動」(同実行委員会主催)が、多彩に取り組まれました。北海道被爆者協会も、「原爆と人間展」や「原爆の火を囲む集い」などの行事に積極的に参加しました。
  15日には市営の路面電車1台を借り切り、1往復を「平和号」として走らせる企画があり、被爆者も乗車して証言をおこないました。
  (北海道被爆者協会)

風紋 社説で紹介された絵

 ◇…「広い仏間に、頭に包帯を巻いた人が臥していた。裸の体は異様に赤く、全体に白い斑点ができている」‐河北新報(仙台市)8月5日社説の書き出し。仙台での「原爆と人間展」で展示された木村緋紗子さん(宮城県原爆被害者の会事務局長)の絵のことです。
 ◇…絵の人は、広島の爆心から1・5キロで木村さんとともに被爆した祖父。「ピンセットで、祖父の体からうじ虫を一つ一つ取り除いた。耐えられない異臭が部屋中を覆う。亡くなった時、何となくほっとした」
 ◇…木村さん自身が多くの病を背負いながら、「祖父に申し訳ない」という思いが募りました。そして、原爆の体験を伝えようと、あえてこの絵を描きました。
 ◇…「どんな観点から見ても核は要らない」と社説は訴えています。

相談のまど 骨髄異形成症候群とは

 【問】原爆症認定の対象の病気に「骨髄異形成症候群」という病気がありますが、これはどんな病気ですか。また、どんな検査を受ければよいのですか。
*  *  *
  【答】骨髄異形成症候群(MDS)は、白血球と血小板が成熟しなくなる、血液と骨髄の病気の一種です。高齢者に多い病気で、高齢者の貧血から発見されることがほとんどです。また、白血球減少や血小板減少などがあることもあります。
  被爆者健診で、今まではなかった貧血を指摘された時は、放っておかないで指示にしたがって検査を受けてください。
  骨髄異形成症候群は、軽度の貧血のまま進行するものから重篤な場合まで幅があります。また、急性骨髄性白血病へ進行する場合もあります。
  被爆者健診の血液検査で貧血の有無を調べることから、発見が可能になりますから、必ず被爆者健診は受けてください。

ツボはここ 前立腺肥大

 きびしかった残暑もようやく去ろうとしています。
  涼風が吹き始めると気になることの一つに、前立腺肥大による排尿障害があります。寿命がのび、肉食が増えたことなどから高齢男性に多くなっています。肥大だけでなく、癌ということもありますから、排尿が困難になったら、専門医の診察を受けてください。
  前立腺肥大症治療の基本は、全身、とりわけ骨盤内の血液循環をよくすることです。日ごろから散歩や腹筋運動などを心がけ、冷たい飲食は避けましょう。
  ツボは、下腹部にある「中極(ちゅうきょく)」と「曲骨(きょこつ)」です。押した時の痛みがなくなるまでの指圧やお灸のほか、ドライヤーの温風で温めると効果があります。尿意を我慢しないことも大事です。