被団協新聞

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「被団協」新聞2008年 5月号(352号)

2008年5月号 主な内容
1面原爆症認定抜本改善運動―新基準による新たな切捨てを許さない
2面被爆者と憲法 被爆者110番に切実な声
世界に届け9条への思い
●非核水夫の海上通信
3面わが街の被爆者の会―佐賀県被団協
風紋「話題作が文庫に」
4面相談のまど「原爆症認定・新しい審査の方針で認定されるのは?」

新基準による新たな切り捨てを許さない 原爆症認定抜本改善運動

「原因確率」は実質的廃止
 

 厚生労働省は4月に入り、新方針による認定を開始しました。認定された149件の中には、47人の原告が含まれています。これをどう受けとめ、運動を進めるのか、日本被団協の田中事務局長に聞きました。

 厚生労働省は4月7日と21日、新しい審査の方針による認定を行ないました。7日は、医療分科会の中に新たに設けられた四つの審査部会の第一部会(消化器系以外のがん)と第四部会(白内障と心筋梗塞)、21日は第二部会(消化器系のがん)と第三部会(白血病と副甲状腺機能亢進症)が開かれ、積極認定該当者に対する最初の認定が出そろいました。
  認定149件、保留7件でした。従来のほぼ1年分の人がひと月で認定されたことになります。この中に47人の原告が含まれていました(1人で2件認定の人を含む)。
  私たちの運動で 勝ち取ったもの
  新方針による審査は3段階になっています。(1)従来の「原因確率」で10%以上の人は、審査会にかけることなく事務的に認定されます。(2)その上に積極認定があり、一定の被爆条件と疾病にある人が認定されます。(3)この条件を満たさない人が、総合判断にまわされることになります。
  この過程では「原因確率」を使うのは最初の事務的段階のみで、審査会ではまったく使われなくなりました。「原因確率」は、事実上廃止されたといっていいでしょう。
  これまで厚労省が金科玉条のようにふりかざし、被爆者切り捨ての根拠としてきた「原因確率」を捨てさせたことは、私たちの運動の大きな成果です。また新方針の前文に「より被爆者救済の立場に立ち、原因確率を改め、被爆の実態に一層即したものにする」という文言が入ったことも、運動で勝ち取ったものと確信しています。

納得できない新基準

 しかし、4月からの新基準は、これまでの切り捨てへの反省も謝罪もみられないこと、被爆状況や疾病に新たな線引きを設けたこと、これまでの裁判で認められてきた疾病が積極認定の対象になっていないこと、など多くの問題を含んでおり、決して納得できません。
  また、新基準を出したことで一応の“決着”という流れをつくりだそうという厚労省側の意図も見えます。それを許してはなりません。

厚労省との協議再開 謝罪など要求

 日本被団協、全国原告団、全国弁護団の3者と厚労省との第4回協議が4月9日開かれました。訴訟解決に関する要求書を提出し、以下の3項目について強く要求しました。(1)これまでの被爆者切り捨ての認定行政を反省し、被爆者に謝罪すること (2)原告全員を原爆症と認定すること (3)原告の訴訟遂行費用を解決金として支払うこと
  原告全員の認定を
  5月には仙台と大阪で高裁判決が予定されています。なんとしても勝訴を勝ち取り、世論と政治を動かして、原告全員の認定をもって解決するよう、運動を強めます。

原告全員の認定までなお

 原爆症認定集団訴訟全国原告団は、4月18日東京都内で代表者会議を開き、全国から17人の原告と支援者合わせて約40人が参加しました。
  新基準での認定が始まった中、原告が認定されても裁判は取り下げないこと、誤った処分によって被爆者を苦しめたことへの反省と謝罪を厚生労働大臣に求めることなどを確認。原告全員が原爆症認定を勝ち取るまで、励ましあい、ともにたたかうことを、改めて表明しました。

全国原告団 山本英典団長の話

 厚生労働省の医療分科会が4月7日と21日の2回の審査会で、原告47人を含む148人を原爆症と認定したことは、大いに評価できることだと思います。
  原告を認定したということは、申請当時の却下処分が誤っていたことを認めたわけですから、厚生労働省は誤った処分で原告らを多年にわたって苦しめてきた罪を認め、原告らに謝罪をすべきです。
  そして、原告全員を認定し、訴訟の全面解決をはかるべきです。
  原告としては、裁判所に提訴したのは、原爆症認定問題にとどまらず、国の原爆被害に対する姿勢を問いただす意味がありました。ですから、原爆症認定があったからといって裁判を取り下げることをせず、すべて判決を取って行きたいと思います。

被爆者と憲法

人をあやめない決意をもって9条の理想を世界へ 広島 田中和典

 広島に原爆が落とされたとき、私は17歳で、蒸気機関車の機関士として呉線で乗車勤務していました。7日早朝広島に戻って被爆した入市被爆者です。
  子どものときから小学校でも教師の制裁がありました。団体行動はすべて軍隊式でした。天皇や国のために(ホントは財閥のためなのに)死ぬことを強いる教育制度でした。「天皇のために死ぬために生まれてきた」とドレイのようでした。
  1946年に公布された憲法を読んだとき、涙が溢れました。生きていてよかった、と体をワナワナ震わせました。中でも9条の格調高い条文に頭がクラクラしました。人が人をあやめるバカなことを強制されることも永遠にないのだと、腹はへり、苦しい生活でも希望が湧きました。18歳の秋でした。
  憲法9条の理想を世界に広めるためには、まず、ひとりひとりが人をあやめない決意をすることです。そして野蛮人でない文化人であるとの自覚に生きること。その生き方を哲学に持ち、他者にひろめることです。今は老いて(80歳)口コミで実践しています。
  戦争の好きな人は大嫌いで交際しないことにしています。戦争を好む人は権力者でしかも経済的富裕者です。弱者を踏みつけても己の栄華を鼻にかける人たちです。彼らの先兵にならぬことも、太平洋戦争の重大な反省点です。

 

「私の病気は原爆のせい」被爆者110番に切実な声

 被爆者支援ネットワーク・しずおかでは、4月12日(土)と13日(日)の両日「原爆症認定問題 被爆者110番」を開き、専用電話を設けて相談を受けました。
  事前に地元のほとんどのマスコミが報道したこともあり、2本の電話にあわせて46件(うち3件は遺族から)の相談がありました。静岡県被団協の川本司郎会長をはじめ、支援ネットに参加するケースワーカーや看護師など7人が交代で対応しました。
  被爆者の相談者すべてがさまざまな病気をかかえており、それが原爆被爆のためだと考えていることがわかりました。原爆症の認定申請をしたいという相談は20件でしたが、4月からの新基準に照らしても、積極認定の枠からはずれ、総合判断にまわされると思われるケースが少なくありませんでした。
  被爆者健康手帳を取得したいという相談も、14件ありました。
  これらの結果を踏まえ支援ネット・しずおかは16日、「原爆症認定新基準に関する要求(被爆者110番を実施して)」を、厚生労働大臣に提出しました。
  要請書では110番相談の概要を報告し、そこから浮かび上がる被爆者の現状を押さえた上で、新基準による新たな線引き・切り捨てをやめること、新たな手帳取得を積極的に認めることなどを求めています。

千葉結審

 集団訴訟千葉第1次訴訟は、4月8日結審しました。傍聴希望者が定員の2倍を超えたため、多くの支援者は別の場所で待つことになりました。
  国側は陳述をせず、予定より早く終了。判決は10月28日の予定です。

国連改革に関するフォーラムで訴え

 3月3日東京で、国連改革に関するパブリックフォーラムが開かれ、日本被団協から小西悟事務局次長が参加しました。
  「地球規模の課題と国連のあり方」を包括的・多面的に市民とともに議論する場として、年2回開かれているもので今回は第6回。国連改革を考えるNGO連絡会と外務省が主催しています。「開発」「平和構築」「軍縮」「人権」の4つの分科会が行なわれました。
  小西次長は「軍縮」分科会で、「国連・政府・NGOと軍縮」と題して報告を行ないました。被爆者の立場から「日米両国政府は、核兵器廃絶を追求する特別の責務がある。諸国の力で、核兵器廃絶国際条約の早期締結を。日本政府は、核兵器廃絶につながる原爆被害への国家補償を行なえ」などと訴えました。

 

世界に届け9条への思い 被爆者からのメッセージ

 日本被団協が本紙3月号で呼びかけ、募集していた「9条世界会議」へのメッセージは、わずか1カ月の取り組みでしたが、440通を超えるはがきが寄せられました。
  ノーモア・ヒバクシャ9条の会の協力で、パソコンデータへの入力等まとめの作業が進み、9条世界会議(5月4〜5日千葉)にはその抜粋をパンフレットにして届けることにしています。
  また入力したすべてのメッセージは、日本被団協とノーモア・ヒバクシャ9条の会のホームページで、公開を予定しています。
  いくつかのメッセージをご紹介します。「わたしが憲法9条を大切に思うわけ」というテーマに寄せられたものです。
*  *  *
☆17歳までのほとんどを戦争の時代に生き、原爆投下で同年の友人を失った人間として、憲法ととりわけ9条は、闇夜の明けた眩しい光であった。それを失うことは絶対にあってはならない。絶対にさせない。(星埜惇・被爆者79歳)
☆私は戦時下、教育勅語で学校教育を受けた者です。そして戦後、憲法と教育基本法で民主教育を受けました。つまり、憲法=9条が私を軍国主義教育から解放してくれたから、9条は大切なのです。(小柴昌子・非被爆者79歳)
☆戦争の結末が原爆であった。戦争をしないための現行憲法9条は平和のための至宝である。(北野昭三・被爆者80歳)
☆9条がなくなったら、又昔のように、私たちが真実を知らないうちに、戦争の道へ走り出すことが手にとるように見えています。それでなくても拡大解釈されて自衛隊までもっているんですから。(匿名・被爆者67歳)
☆敗戦の瓦礫の中を復員する時痛感したことは、“軍隊は国民の命も財産も守らない”ということだ。この思いは絶対に変わらない。(岩田成志・被爆者84歳)

 

喜んではいられない 原告みんながにんていされるまで

 4月7日の厚生労働省医療分科会で、集団訴訟の原告16人が認定されましたが、そのうちの3人に話を聞きました。
 
  安井晃一さん(札幌地裁 広島1・87キロ被爆、被爆時22歳、2000年申請の皮膚がんで認定、96年申請の前立腺がんについても厚労省が「認定する」と言明)
  「札幌地裁は5月19日に初めて判決が出ます。それを前に認定され戸惑いを感じています。厚労省はいったい何を考えているのか。新方針には、松谷裁判をはじめ今までの裁判で認定が確定している病名が入っていません。司法判断と違うんです。『二重基準』の中に余命いくばくもない被爆者がなげこまれている状態です。さまざまな『線引き』をどうやってやめさせるか…国家補償に基づく援護法の制定が解決への何よりの道ですが、今はとにかく、限られた疾病であっても、距離・時間の『線引き』をはずさせるよう、さらに頑張りたいと思います」。
  梅園義胤さん(東京高裁 広島2・2キロ被爆、被爆時5歳、02年申請の腎臓がん肺転移で認定)
  「私が認定を勝ち取れたのは、みなさんのご支援のおかげです。ありがとうございます。しかし、喜んではいられません。認定された原告は、東京でまだ6人だけ。それに、第一次訴訟でいっしょにたたかってきた、幼友達の右近行洋(ゆくひろ)君は、2003年7月に、判決も待たずになくなりました。残念でなりません(注・4月21日認定)。私自身の損害賠償訴訟もまだ続きます。気を抜くわけにはいきません。引き続き、ご支援をお願いします。」
  片山穫さん(広島高裁 広島1・5キロ被爆、被爆時14歳、02年申請の前立腺がんで認定)
  「裁判を起こしてまで頑張ってきたので、認定されたことはうれしい。でも、まだ原告みんなが認定になっていないのでうれしさも半分以下です。私だけが先になってしまって、と気持ちがすっきりしません。国は控訴を取り下げてもいません。みんなが認定になるまで、これからも頑張ります」。

わが街の被爆者の会

佐賀県被団協

 佐賀県内の手帳所持者約1700人のうち、1100人が会員です。14の地区で合わせて約70人の会員が相談員として活動しており、春と秋にそれぞれの地区で相談会を開催しています。相談者も多く、会員とのつながりも深まります。
  中央相談所の九州ブロック講習会を学習の場と位置付け、積極的な参加を呼びかけています。県内から毎年70〜80人が参加しており、地区ごとに貸しきりバスで出かけます(写真)。
  地元の平和団体との交流が深く、被団協が取りくむ署名は、いつもたくさん集まります。

風紋

話題作が文庫に

 ◇…原爆・核戦争に関する本の文庫化は少なくなっていますが、二つの本が文庫になりました。
  ◇…こうの史代『夕凪の街桜の国』(双葉文庫・500円)。広島生まれの若いコミック作家が描いた、被爆者の戦後をコミックで描いた作品。大反響を呼び、文化庁メディア芸術祭大賞などを受賞。佐々部清監督で実写映画にもなっています(DVD4935円)。
  ◇…もう一冊は大江健三郎『治療塔』(講談社文庫・650円)。核戦争後の地球から「選ばれた」者たちが「新しい地球」へ出発します‐‐。著者には珍しいSFによる問題提起。続編『治療塔惑星』も近刊の予定。

相談のまど

しょうか。
  私は3年前に胃がんで手術を受け、胃の3分の2を摘出しました。原爆症の認定申請をしましたが、却下されました。広島の2・5キロで被爆しています。今からまた申請すれば認定されるでしょうか。(75歳・男)
*  *  *
  【答】今まで原爆症の認定は、機械的に申請者を切り捨てるためにつくられた「原因確率」という基準を使って行なわれていました。これは、残留放射線や体内に取り込まれた放射線の影響を、まったく無視したものでした。
  原爆症認定集団訴訟を先頭にした、認定基準抜本改善を求める運動の中で、3月に厚生労働省が「新しい審査の方針」を決定しました。入市被爆者の疾病も原爆症認定の対象とするなど、以前よりは原爆被害の実態に近づいたものになっています。4月から新方針による認定が始まりました。
  新方針によれば、現在がんの治療を受けている被爆者の場合、(1)約3・5キロ以内の直接被爆者 (2)原爆投下後100時間以内に約2キロ以内に入市 (3)原爆投下後100時間を過ぎて2週間以内に約2キロ以内に1週間滞在、という3つの条件のいずれか1つに該当していれば、原爆症と認定されることになります。
  あなたの場合、現在も胃がん手術後の検査や治療を受けているのなら、申請すれば認定されると思われます。
  申請に際しては、がんの病理組織診断書(コピーでも可)と医療特別手当認定申請書を一緒に提出してください。

なおちゃんのツボはここ

「動悸・偏頭痛」

 さわやかな風がふきわたる5月になりました。5日は二十四節気の立夏(りっか)で、夏の気配漂いはじめる頃です。
  新緑が目立つこの季節は、ストレスによる心身の不調、動悸、不眠、甲状腺機能異常、下痢、便秘、血圧の変動など、自律神経の乱れから起きるさまざまな症状が出やすくなります。そんな時は次の養生法を試してみてください。
  (1)小腸を休ませる。そのため間食はやめる (2)食事はよくかんで食べる (3)繊維質の食物をとる。
  また、トマト、人参などの赤色の野菜は、心系統の働きを補います。
  ツボ療法は、手のひらの「労宮(ろうきゅう)」「少衝(しょうしょう)」です。動悸や偏頭痛などに効果があります。反対の手でよく揉みほぐしてください。