被団協新聞

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「被団協」新聞2008年 4月号(351号)

2008年4月号 主な内容
1面被爆の実態にみあった認定制度実現めざしてたたかいつづける
2面被爆者と憲法
日本被団協緊急代表者会議
「新しい審査の方針」についての見解
●非核水夫の海上通信
3面被爆者に春を!全国行動
東京大空襲訴訟
4面相談のまど「後期高齢者医療制度スタート 被爆者施策との関係は?」

被爆の実態にみあった認定制度 実現めざしてたたかいつづける

認定”切り捨て”のおそれ残る
 

 厚生労働省は、3月17日の疾病・障害審査会原子爆弾被爆者医療分科会において、原爆症認定に関する「新しい審査の方針」を決定しました(2面に全文掲載)。
  これに対し日本被団協と原爆症認定集団訴訟全国原告団、同全国弁護団連絡会は「見解」(2面に全文掲載)を発表して厳しく批判しました。
  この「方針」は、2月25日に出された「方針案」(本紙2月号に全文掲載)とくらべて、前文に「より被爆者救済の立場に立ち、原因確率を改め、被爆の実態に一層即したものとする」という1文を加えたものの、これまでの被爆者切り捨ての認定行政に対する反省も謝罪もなく、内容はほとんどかわっていません。がん・白血病についてさえ、被爆距離や入市時期による線引きが残り、日本被団協が掲げている、9つの対象疾病に罹患した被爆者はすべて認定を、という要求と大きく隔たったものとなりました。

協議ひらく

 この「決定」に先立ち、日本被団協と全国原告団、全国弁護団は、厚生労働省との協議を2月18日、3月5日と14日の3回にわたって行ないました。この協議をとおして被爆者側から、(1)これまでの認定行政の誤りを認めて謝罪し、被爆者救済の理念を明確にすること (2)被爆者の線引きをやめること (3)積極認定する疾病をがん、白血病などに限定しないこと (4)個別審査の基準を明確にすること (5)医療分科会を改革すること、などの要求をつきつけ、厚労省に明確な回答を求めました。
  これに対し厚労省側はそのほとんどを拒否。(3)(4)については明確な基準を示さないまま「4月からの認定実績をみていただくしかない」と開き直りました。
要請・宣伝行動
  日本被団協は3月10日全国代表者会議を開いて「アピール」を採択(2面に関連記事)。翌11〜16日の行動週間には、中央と全国各地で旺盛に要請・宣伝行動。14日には署名を提出しました。

被爆者の声をきけ!!

 日本被団協と、全国原告団、全国弁護団、集団訴訟支援全国ネットワークは、3月11日から16日を「被爆者に春を!行動週間」とし、集中的に行動を行ないました。
  11〜14日は連日の中央行動で、正午から約1時間、厚労省前で宣伝行動を行ないました。担当の都県を中心に全国からの参加者が、毎日約1000枚のビラを配布し、マイクを握って厚労省に「被爆者の声をきけ」と訴えました。
  15〜16日は全国各地での行動でした(3面)。

党首への要請

 この期間中、民主党の小沢一郎代表、共産党の志位和夫委員長、社民党の福島みずほ党首、国民新党の亀井郁夫副代表に面会し、認定制度問題の早期解決への協力を訴えました。

署名提出

 14日には署名4万3676人分を、厚労省ロビーで、健康局総務課職員に手渡しました。これで提出署名は累計47万4310人分となりました。

院内集会

 13日午後、日本被団協東海北陸ブロックが関係議員15人の参加を得て院内集会を開きました。
  14日午後2時からは、「ごまかしの厚労省案は許さない 被爆の実態にみあった原爆症認定制度を求める」院内集会を開き、各党から14人の国会議員が参加。それぞれに支援を約束しました。

議員要請

 全国からの参加者は、この間それぞれ地元選出の国会議員に面会し、認定制度改善と裁判の早期解決を訴えました。

被爆者と憲法

戦争被害を、今後誰にも経験させてはならぬ 福岡 吉崎幸恵

 私の叔父二人はともに21歳で出征し、24歳と27歳で戦死した。ひとりは海軍の信号兵としてマスト上で奇襲攻撃にあい、台湾沖の藻くずとなった。ひとりは陸軍に所属、フィリピンのルソン島で餓死した(生存者の証言)。
  大正元年生まれの母は、その報を聞いたとき「弟ば返せーっ!」と叫んだという。子どものころ仏壇にお参りする度、母から聞いた「返せーっ」の声が耳にこびりついて離れず、白い水兵服と軍服姿の2枚の写真が「戦争反対!」を訴えているかに、私には思えた。
  16歳のころから姉にくっついて参加したサークルで、先の大戦が「侵略戦争」であり、アジアの人々約2000万人を殺し、国内の犠牲者は300万人以上と知った。
  私自身も、5歳児の何も知らない中で核戦争の被害者にさせられた。
  被爆者だった両親はともにガンで死亡。姉も乳ガンを患い、被爆2世の妹は甲状腺機能低下症。数年前から病を抱えて病院と縁が切れない私だが、今度は自分の番ではないかと、ガンの恐怖は消えたことがない。
  叔父の犬死。世界で唯一の被爆者。同じ体験を決して誰にも経験させてはならぬと切に思う。
  「9条」がある限り、自国から仕掛ける戦争は繰り返されないはず。「憲法9条、握って離さず」。青年時代から学んでつかんだ、これが私の信条である。

 

妥協せずに徹底的に闘いぬく 日本被団協が緊急代表者会議

 日本被団協は3月10日全国都道府県代表者会議を開きました。原爆症認定制度改善を求める運動が重要な局面を迎えたのを受けて、緊急に開かれたものです。
  集団訴訟について「手当てをもらうための闘いだったら、惨めでできない。被爆者の基本要求の一端としての闘いと思っている。妥協しないで徹底的に闘いぬく」など、活発に議論され、アピールが採択されました。
  アピールでは、厚労省の「新しい審査の方針」(案)について、理念がないこと、被爆者の間に線引きを設けていること、医療分科会の改革が不十分なこと、などの問題点を指摘。被爆の実態にあった基準にすること、線引きをやめること、医療分科会委員の入れ替えなどを要求しています。

相談事業講習会開く

 関東・甲信越ブロックの相談事業講習会が3月5〜6日、東京都内で開かれました。
  1日目は東友会の医療講演会と合同だったこともあって、160人が参加。中央相談所の肥田舜太郎理事長による「人間が『最期』を迎えるにあたっての心得」の講演に聞き入りました。
  講習会では、中央相談所の伊藤直子相談員から「相談活動と現行法の活用‐原爆症認定申請を」、日本被団協の田中熙巳事務局長からは「日本被団協の運動について」の話があり、ブロック各県の活動報告も活発に行なわれました。

広島が全自治体で採択 地方議会意見書採択263に

 広島県の大竹市が3月28日意見書を採択し、広島県内全自治体での採択を達成しました。
  2月号に掲載以降、3月26日までに被団協に報告があった意見書採択議会は次のとおりです。
  青森県=東通村 福島県=鏡石町 飯野町 猪苗代町 平田村 飯舘村 大玉村 泉崎村 北塩原村 湯川村 茨城県=水戸市 土浦市(請願書) 東京都=江戸川区 千葉県=旭市 館山市 和歌山県=和歌山県 広島県=尾道市 廿日市市 大竹市 熊野町 坂町 愛媛県=松山市

 

「新しい審査の方針」についての見解

 本日、厚生労働省は、疾病・傷害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会において、原爆症認定に関する「新しい審査の方針」を決定した。
  今回の原爆症認定基準の改定は、昨年8月5日安倍前総理大臣の指示を契機とするものである。その背景には、2006年5月の大阪地裁判決以来集団訴訟における6つの判決が、いずれも、従来の「審査の方針」を原爆放射線の被害を過小評価するものとして厳しく批判して原告勝訴の判決を下したことがある。これら司法の判断と国民世論によって、与党PTを含め原爆症認定制度の抜本的な改定が求められてきたのである。
  「新しい審査の方針」は前文に「より被爆者救済の立場に立ち、原因確率を改め、被爆の実態に一層即したものとする」との文言を付け加えた。しかし、この文言は、従来の被爆者切り捨ての認定行政に対する真摯な反省に立つものではない。また、我々が求めてきた「疑わしきは被爆者の利益に」「疑わしきは認定する」という迅速かつ積極的な被爆者救済の理念が欠落している。
  しかも、本日の「新しい審査の方針」には、(1)がん・白血病についてさえ時間や距離の制限があること (2)裁判で判断が確立している疾病(甲状腺機能低下症や肝機能障害など)が積極認定の対象とされていないこと (3)「被曝線量」が総合的判断の考慮要素とされており、かつ判断のあり方が不明確である、という問題がある。さらに、今回の改定においては医療分科会の改革についても問題が残されている。
  今回の「新しい審査の方針」は、被爆者の求めてきた原爆被害の実態にみあった原爆症認定制度の抜本的改革、与党PTの「とりまとめ」ともかけ離れたものであり、広島・長崎をはじめ全国の被爆者や国民の声を真摯に受け止めたものとは言えず、容認できるものではない。
  被爆者に残された時間は多くない。しかし、私たちは、60年たっても幾多の人間を苦しめ続ける原爆被害の実相を明らかにし、被爆の実態にみあった認定制度を実現するために今後も闘いを続ける決意である。

 

「新しい審査の方針」 3月17日 厚労省医療分科会

 疾病・障害認定審査会運営規程(平成13年2月2日疾病・障害認定審査会決定)第9条の規定に基づき、原爆症認定に関する審査の方針を次のように定める。
  原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律第117号。)第11条第1項の認定に係る審査に当たっては、被爆者援護法の精神に則り、より被爆者救済の立場に立ち、原因確率を改め、被爆の実態に一層即したものとするため、以下に定める方針を目安として、これを行うものとする。

第1放射線起因性の判断

1 積極的に認定する範囲
(1)被爆地点が爆心地より約3・5キロメートル以内である者
(2)原爆投下より約100時間以内に爆心地から約2キロメートル以内に入市した者
(3)原爆投下より約100時間経過後から、原爆投下より約2週間以内の期間に、爆心地から約2キロメートル以内の地点に1週間程度以上滞在した者
から、放射線起因性が推認される以下の疾病についての申請がある場合については、格段に反対すべき事由がない限り、当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとする。
(1)悪性腫瘍(固形がんなど)
(2)白血病
(3)副甲状腺機能亢進症
(4)放射線白内障(加齢性白内障を除く)
(5)放射線起因性が認められる心筋梗塞
  この場合、認定の判断に当たっては、積極的に認定を行うため、申請者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが、客観的な資料が無い場合にも、申請者の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考にしつつ判断する。

2 1に該当する場合以外の申請について
  1に該当する場合以外の申請についても、申請者に係る被曝線量、既往歴、環境因子、生活暦等を総合的に勘案して、個別にその起因性を総合的に判断するものとする。
第2要医療性の判断
  要医療性については、当該疾病等の状況に基づき、個別に判断するものとする。
第3方針の見直し
  この方針は、新しい科学的知見の集積等の状況を踏まえて随時必要な見直しを行うものとする。

被爆者に春を! 原爆症認定基準改善求め全国行動

 【宮城】15日仙台市一番町で正午から1時間、被爆者と弁護士、支援者など40人が宣伝行動を行ないました。マイクで訴えながらビラ800枚を配布、署名280人分を集めました。17日には記者会見し、厚労省の新基準は納得できない、闘い続けると訴えました。
  【千葉】15日千葉駅前で正午から1時間、被爆者と支援者など36人が参加。市議会議員もかけつけての支援演説と歌をバックにビラ配布と署名活動を行ない、署名166人分、千葉地裁宛署名187人分を集めました。
  【東京】15日渋谷で11時から夕方まで、被爆者と若者が行動しました。被爆者の訴えの合間に若者たちの歌や楽器演奏などを入れて注目をあびました。署名469人分を集め、参加した若者からは「またやりたい」との声もあがりました。
  【神奈川】16日横浜市内で行なわれた、映画『夕凪の街、桜の国』上映とトークの会で、被爆者が来場者約300人にビラを配布し訴えました。
  【愛知】16日名古屋市栄で11時より1時間、被爆者と弁護士、支援者合わせて約30人の参加で宣伝行動を行ないました。
  【広島】16日広島市本通りで13時から1時間、被爆者、支援者など18人が宣伝行動。マイクで訴えながら署名170人分を集めました。
  【愛媛】15日松山市内で被爆者、支援者など13人が参加して、原告とその家族らがマイクで訴える中、99人分の署名を集めました。
  【長崎】15日長崎市浜の町鉄橋にて14時から1時間、被爆者と支援者など12人が宣伝行動を行ないました。ビラ800枚を配布、署名248人分を集めました。
  【熊本】15日熊本市内で正午から1時間、被爆者と弁護士、支援者合わせて23人の参加で宣伝行動を行ないました。マイクで訴えながらビラ700枚を配布。署名143人分を集めました。

ビキニデーに1500人

 今年の3・1ビキニデーは、全国から約1500人が焼津に集まり、反核・平和を訴えて行進しました(写真)。集会で元第五福竜丸乗組員と海外代表のほか、被団協の田中熙巳事務局長もあいさつしました。(静岡・川本司郎)

「受忍論」との闘い 東京大空襲訴訟

 東京大空襲訴訟は、3月10日原告20人が第2次提訴をしました。これにより原告団は1次ともで132人(弁護団116人)。国にたいする損害賠償額は総額14億5200万円(ひとり当り1100万円)です。
  戦争被害補償について、軍人・軍属と民間人との区別があるなかで、最近では中国残留邦人への施策が前進しました。国民の戦争被害の中で、何ら施策がとられていないのが空襲被害であり、その最初で最大のものが東京大空襲(1945年3月10日、一夜にして10万人以上死亡)です。私たちの戦争被害受忍論打破の闘いは、原爆被害補償の闘いと一体です。
  東京大空襲被害者・遺族は起ち上がり、昨年5月24日の第1回から現在まで、口頭弁論は4回を数えました。
  法廷で被告(国)は、単純に受忍論を展開して事実調べそのものを不要とし、原告らの事実主張(空襲の事実、被害の発生、個別の被害)についてさえ、認否しない態度です。しかし私たち原告は、被告の「早期打ち切り論」を克服し、証拠調べ(証人、原告本人)を行なう可能性を切り開きつつあります。
  原爆被害者の訴えと私たち東京空襲被害者の訴えには、3つの共通点があります。1つは、被害の実相を把握する調査さえしないで、救済を放置した政府の責任を追及し、被害への国家補償を求めていること。2つは、都市への原爆投下と無差別爆撃という、国際法違反の皆殺しの背景にある本質を問い、戦争を開始した政府の責任を追及すること。3つは、ふたたび被害者をつくらないために、20世紀の戦争を直視しこれを終わらせるための平和運動です。戦争と戦争犯罪を生み出す諸々の条件の存続を断ち切る運動であることです。
  被団協の結成以来52年の歴史、「基本要求」策定と、現行法枠内での要求と闘い・姿勢は、私たちに限りない励ましと勇気を与えています。
  私たちは、訴訟のなかで空襲の実相がいかに知られていないか、世論喚起がいかに大切かを体験しています。これを克服して受忍論の打破へ奮闘します。決して受忍できない苦しみの戦争の惨禍を次世代に味わわせないため、闘い生き抜きましょう。人間としての尊厳を取り戻すためにも。

相談のまど

 【問】4月から後期高齢者医療制度がスタートしますが、その内容を教えてください。また、被爆者施策との関係はどうなりますか。
***
  【答】今年4月から後期高齢者医療制度がスタートします。これにともなって、4月までに75歳以上になる人には、3月中に後期高齢者医療被保険者証が送られているはずです。この制度では、75歳以上の人すべてが、ひとりひとり被保険者となります。このため、今まで会社などの健康保険の被保険者だった人も、その被扶養者だった人も、後期高齢者医療制度の対象者になります。
  保険料額は所得に応じて決まり、基本的には年金から自動的に徴収されます。年金額が月額15000円より少ない場合には、別に自分で収めることになります。
   これまで扶養家族として保険料を納めていなかった人で、新たに保険料負担が生じた場合、減免措置が受けられます。
  (1)健康保険や共済組合などの扶養家族だった人で後期高齢者医療保険の対象者(75歳以上)になった場合、2年間は所得割額が免除され、均等割額が半額となります。それも、9月までの半年間は徴収されません。
  (2)国民健康保険に加入(74歳まで)の場合、2年間は所得割額が免除され、均等割額が半額となります。この場合は申請が必要です。
  所得による違いや自治体での措置もあるので、詳しくは居住地の役所にお問い合わせください。
   被爆者の場合、保険料は自己負担しなければなりませんが、医療費の自己負担分(原則1割)は、被爆者健康手帳によって公費負担されますので、今までどおり自己負担はありません。
  この新保険制度は、保険料が今までより高くなることが多いほか、手抜きの診療体系導入によって必要な治療が受けられなくなるなど、さまざまな問題が指摘されています。高齢者にふさわしい医療制度を要求しつづけることが大事です。