被団協新聞

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「被団協」新聞2007年 2月号(337号)

2007年2月号 主な内容
1面名古屋地裁判決 2 人認定
1.31 集会 5 政党が顔そろえ
国会で中央行動
平成の養生訓
閃光
2面被爆者と憲法
制度改善めざし総力
広島地裁に 5 人提訴
●非核水夫の海上通信
3面神奈川で青年主催のつどい
わが街の被爆者の会−鹿児島
被団協史あの人この人−森瀧市郎さん
4面相談のまど「確定申告」
被爆者手帳取得の証人さがし
ツボ「尿もれ・頻尿」

名古屋地裁「入市」など2人認定

〜原因確率論批判「実態反映せず」〜

 名古屋地方裁判所は1月31日、原爆症認定を求める被爆者の裁判で、原告4人のうち2人について、厚生労働大臣の認定申請却下処分を取り消す判決をだしました。
  判決(中村直文裁判長)は、疾病の放射線起因性判断のため厚労省「審査の方針」が採用している原因確率論について、「(これを)形式的に適用したのでは、その因果関係の判断が実態を反映せず、誤った結果を招来する危険がある」と判断。
  厚労省が「科学的」と称してきた機械的な認定行政は、原爆症認定集団訴訟大阪地裁判決(06年5月)、同広島地裁判決(同8月)につづき、三たび断罪されました。
  原告個々の判断では、甲斐昭さんについて入市被爆の実態、病歴などを評価、小路妙子さんも全身的な健康被害を正当に評価して、この2原告を原爆症と認定しました。
  一方、中村昭子さんの白内障、森敏夫さんの膵臓腫瘍については原爆症と認めませんでした。
  判決について、愛知県原水爆被災者の会(愛友会)や愛知弁護団、日本被団協など6団体は声明を発表しました。声明は、判決が厚労省の認定行政を断罪し原告2人を原爆症と認定したことを高く評価する一方、認められなかった2原告にも認定をかちとるべく努力すると表明。厚労大臣は認定行政を根本的に批判する司法判断が定着した事実をふまえ、被爆者を一日も早く救済するよう、認定原告に関する控訴を断念し、認定行政を抜本的に改めるため協議に応じることを求めました。
  集団訴訟・名古屋の原告(氏名、判決で認定の有無、被爆地、被爆距離、被爆時年齢、申請疾病)▽甲斐昭(認定)=広島、入市、18歳。術後甲状腺機能低下症(甲状腺悪性リンパ腫)▽小路妙子(認定)=広島、1・7キロ、11歳。慢性腎不全・多発性脳梗塞・膵膿胞・右副腎腫瘍・時局性強皮症▽中村昭子(認定せず)=長崎、3・1キロ、18歳。白内障▽森敏夫(認定せず)=広島、1・5キロ、20歳。のう胞性膵腫瘍

5政党が顔そろえ 1.31集会 被爆者勝利へ熱

 名古屋判決は新たな波を呼び起こしました。1月31日には東京・日比谷公会堂で700人の集会、2月1日には国会での中央行動が大きく成功し、運動は確信を深めてひろがっています。

 31日夕の「いまこそ解決を トーク&ライブ 被爆者の願い実現をめざす市民集会」は日本被団協と集団訴訟の全国弁連、支援全国ネットが主催。歌手・形岡七恵さんの力強い「原爆を許すまじ」、鶴昭博さんの「イカサレシモノ」で幕をあけ、藤平典・日本被団協代表委員があいさつ、名古屋判決の報告を受けました。
  弁護団の樽井直樹さんが「名古屋判決は大阪、広島を引き継ぐ勝利判決」と意義を強調。「認定されなかった原告もたたかう決意をこめ気丈にここに参加しています」と原告3人を紹介、判決で認定から除外された中山昭子さん、森敏夫さんとともに甲斐昭さん(認定)が「原告4人で喜びたかった。残念だが、たたかいはこれからです。26万すべての被爆者が勝つまでがんばろう」とのべ大きな拍手を受けました。この後、あいち支援ネットからかけつけた参加者が登壇して「ありがと」などを合唱しました。
  国会からは、自民党・寺田稔議員(秘書代読)、同・赤沢亮成正議員、民主党・高木義明議員、公明党・谷合正明議員、共産党・小池晃議員、社民党・保坂展人議員があいさつ。5党そろって「党派をこえて力をあわせ、被爆者の要求実現へ政治の役割をはたす」決意を語りました。
  弁護士が厚労省の職員などに扮した寸劇で会場をわかせ、東京・熊本など判決を控えた原告たちが決意を表明。中国残留孤児、東京大空襲の裁判の訴え、劇団・地人会の朗読の後、アピールを採択、歌手・?井久美子さんが会をしめました。

国会内で中央行動

 1日の中央行動も全国の被爆者ら120人が参加。院内集会では与野党5党からの参加が議員本人と秘書をふくめ30人をこえ「被爆者援護法制定運動当時を思い出す。あれ以来の熱気だ」との声も。各県ごとに別れて選出議員の部屋を訪ねて賛同署名を要請し18人からその場で署名をもらうなど、画期的な行動となりました。

閃光

 第23回朝日俳壇賞の金子兜太選は「八月の地球に二つ爆心地」でした。作品は昨年8月21日の朝日俳壇兜太選第一席。「最短詩形で言い切った迫力。黒焦げの広島・長崎が怒りを込めて如実に」がその時の兜太評▼作者の緒方輝氏は「雲の果ての墓標となりし若き輩の鎮魂、反戦の思いを込めて投句」と受賞の感想を述べていました▼同じ8月の兜太選には古田茂穂氏の「爆心地までひたすらの日傘かな」も▼朝日俳壇賞を伝えた1月15日の朝日俳壇兜太選には川辺了氏「賀状には平和憲法美しとのみ」が載り「〈美し〉の語や佳し」との評。広島・長崎と平和憲法▼1月13日の、兜太さんも呼びかけ人の俳人「9条の会」新春のつどいでは、兜太さんが「戦争体験と俳句」を語ったと新聞は伝えました。

 

紙上討論 被爆者と憲法

 「改憲を」「新憲法を」の動きに被爆者はどう向き合うか。通年企画として紙上討論を始めます。ふるってご応募ください。

改憲は被爆者運動の死活にかかわる 吉田

 ズバリ言って、「戦争する国」をめざす改憲は被爆者運動の死活のかかわる問題だと思います。
  日本国憲法は、前文で〈政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し〉、全世界の国民の「平和的生存権」をうたっています。「ふたたび被爆者をつくらない」誓いが憲法の原点であって、不戦・非武装の九条はそのための保障です。
  「原爆被害への国家補償」要求を政府は、戦争被害の「受忍」政策で拒否し続けています。〈この憲法の下において、戦争犠牲を「受忍」させる政策があっていいものでしょうか〉(「原爆被害者の基本要求」)
  「受忍」政策は憲法違反です。被爆者の要求は憲法に基づいたものであって、平和的生存権を実らせるものです。
  憲法が変えられて〈政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ること〉になったら、「受忍」は憲法に基づく当然の政策、になるでしょう。すでに武力攻撃事態国民保護法などには新たな「受忍」政策が登場しています。
  「戦争する憲法」に変えられたら「受忍」に反対し、国家補償を求める被爆者運動は「憲法に反する運動」に“変質”してしまうのです。
  今の改憲の方向は、被爆者運動の死活にかかわる問題です。被爆者は今こそ全力をそそいで、改憲阻止の先頭に立つ義務があると思います。

国会行動、書名など目白押し 制度改善めざし総力

 「山が動きだしたな」。いま被爆者の間でこんな声が聞かれます。裁判に負けても負けても「認定却下行政」をつづける厚生労働省の態度に、政治が動き出したからです。

 自民党内では06年12月9人で発足した議員懇を1月、22人の会に強化、会長に党政調会長代理が就任しました。民主党は06年6月に国会議員懇談会を30人で発足、日本共産党は05年5月に被爆者問題対策委員会を立ち上げています。公明党、社民党は、党として対応するといっており、政治が一気に動き出す可能性も指摘されています。
  この動きは、日本被団協と弁護団、「全国支援ネット」などのねばり強い取り組みがつくりだしたもの。これを確信にし、制度改善要求について意思統一をすすめることとならんで、名古屋判決を機に認定制度抜本的改定の気運をさらに高めていく正念場です。
  1月31日日比谷公会堂での大集会、2月1日国会内での「原爆症認定制度の抜本改定を求める院内集会」がそのスタート。3月20日仙台、3月22日東京の判決に向けて、賛同署名、国会行動、議員や世論への働きかけなど、全国で大きな高まりをつくりましょう。

原告の死亡(全国)29人に

 昨年7月大阪地方裁判所に提訴した京都の小林幸子さんが1月19日、肝硬変のため亡くなられました。
  小林さんは長崎の方渕町2・5キロで被爆。肝硬変、肝性脳症、血小板減少症、甲状腺機能障害などで原爆症認定を申請しましたが却下され、提訴したものです。裁判はご主人が承継されます。
  小林さんの死去によって、原告の死亡者は全国で29人となりました。

広島地裁に5人提訴

集団訴訟 2高裁・17地裁に

 5人の被爆者が1月15日、原爆症認定却下処分の取消しを求めて広島地裁に提訴しました。広島ではすでに第一次の原告41人が地裁で勝訴、高裁で争っており、今回の提訴は第二次。原爆症認定集団訴訟が行なわれている裁判所は全国2高裁、17地裁となりました。
  5原告の氏名、被爆時年齢、被爆距離、申請疾病は次のとおり。▽上北安子さん=当時21歳、広島2キロ、甲状腺腫瘍(悪性)術後甲状腺機能低下症▽橋本信行さん=胎内被爆、母親が広島1・8キロ被爆、肺がん▽出雲栄太郎さん=当時20歳、広島2キロ、慢性肝炎、両眼白内障▽兼田節子さん=当時5歳、広島2・5キロで被爆。甲状腺がん▽玉本晴英さん=当時15歳、広島2キロ、大腸がん

第2次申請385人に

 12月6日、原爆症認定をもとめていっせい申請の第9陣が行なわれ、東京、静岡、兵庫、広島、熊本の5都県で16人が申請しました。
  1月はいっせい申請を行ないませんでしたが、これで昨年3月始まった第二次いっせい申請行動の申請者は385人(いっせい申請日以外の申請を含む)となりました。

札幌の原告が肝ガンで認定

C型肝炎で却下後

 札幌地裁の原告加藤政子さんが昨年12月、「肝細胞がん」で認定されました。
  加藤さんは広島の的場町1・6キロで被爆。慢性C型肝炎での認定申請が却下され、03年札幌地裁に提訴。その後肝臓がんとなりその病名で認定を申請していたのが、今回認定されたものです。
  加藤さんは慢性C型肝炎にならなければ、肝臓がんも発症しなかったわけです。C型肝炎はあくまで「放射線と関係ない」とした原爆医療分科会の結論に基づく認定基準の矛盾を示しています。

青年ら主催のつどい

弁護士バンドも熱演 (神奈川)

 1月26日神奈川県で、原爆訴訟かながわ支援青年の会主催「ピースボイス! ピースミュージック! 被爆者の願いを継承するライブ&トーク」が開かれ、130人が参加しました。

 肥田舜太郎医師の「内部被ばく」の講演に続いて、弁護士によって結成された「歌う9条の会バンド」の演奏などが行われました。広島の被爆2世で集団訴訟弁護団の一員でもある折本弁護士の作詞・作曲による「相生橋」がバンドで演奏され大変好評でした。
  青年の会のメンバーたちは、裁判に立ち上がった被爆者に励まされ、自分たちが被爆者の意思を受け継ぐのだと、被爆者の体験を聞き、学習会を重ねています。

療養病床守れ請願書名 (三重)

 三重県被団協は「療養病床の廃止・削減と患者負担増の中止等を求める国会請願署名」にとりくんでいます。昨年11月から県民医連と共同して地域ごとに進めた署名は1月現在600人分集まり、国会に提出しました。
  前国会で成立した「医療改革」は、入所介護38万床を削り将来は廃止の方針。いわゆる「生活習慣病」の治療・投薬を健保から外す動きもあり、被爆者医療制度の改善・確立が求められます。

米イージス艦の入港撤回を要求 (北海道)

 北海道被爆者協会は、北海道原水協、北海道平和委員会とともに札幌市のアメリカ大使館を訪れ、予定される米イージス艦の石狩港新港入港を撤回せよと強く要請しました。協会から服部十郎常務理事、中村悦雄札幌市会長が参加しました。

■菊地孝雄さん
  宮城県原爆被害者の会(はぎの会)会長の菊地孝雄さんが1月27日、入院先の病院で亡くなりました。79歳でした。
  特別幹部候補生二期生で、広島の原爆当日、江田島幸之浦から市内に救援に入って被爆。佐々木京一前会長の後を継ぎ、2001年から会長を務めていました。数年前に胃がんを手術され療養中でした。俳人で「被団協」新聞にも、菊地多耕名で投稿されていました。

わが街の被爆者の会−鹿児島

九州最南端の県で

 写真のテント「福祉」の字は昔の名残、2001年鹿児島県原爆被爆者協議会と改称しました。
  並んだ顔は今年度選ばれた今村会長(左から2人目)と副会長2人、右端は事務局次長。はりきってる新メンバーです。
  本州最南県の被爆者1300人、会員900人ほど。種子島、屋久島など離島を抱え電話相談の多いのが特徴。奄美では機織り工場の女性たちが赤紙で召集され長崎で被爆、戦後は米軍政下に苦しんだ歴史があります。
  「被団協」新聞読者以外にも振替用紙を送るため寄付はいつも上位で「よくほめられますね」。

 

米被団協史 この人あの人

  森瀧市郎さん

  「まなこひとつしいしかなしみ深かれど ひとすじのみち見えざらめやわ」(1947)

  44歳のとき広島で被爆し右目の光を失った森瀧市郎は、原爆投下によってもたらされた未曾有の非人間的悲惨の体験から、人類の生きるべき方向を「力の文明」から「愛の文明」に変えなくてはならない、と哲学者としてその全存在を被爆者救援運動と反核・反戦運動に傾けた。
  援護法制定を求める国会請願行動・国会社労委での意見陳述等、13回に及ぶ14カ国への海外反核行脚などに奔走した。
  「核絶対否定‐核と人類は共存できない」は「ヒロシマの心」となった。
  「重き荷を棄てえぬはわれのさだめなり 原爆の日を生きてのこりし」
  「いまはただ生きの日つくし反核の みちひとすじに生くべかりけり」
  1948年に始めた原爆孤児救援のための「精神養子運動」は、一哲学徒の行動実践へのスタートであり、55年の現地事務局長としての第1回原水爆禁止世界大会開催、「広島県被団協」結成(理事長)、56年「日本被団協」結成(〜59年代表委員、〜70年理事長、〜94年顧問)などにつながって行くものであった。
  森瀧が草稿を書いた被団協結成大会宣言「世界への挨拶」では「…世界に訴うべきは訴え、国家に求むべきは求め、自ら立ち上がり、たがいに相救う道を講ずるためでありました。かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります…」という。
  無念の原爆死没者、人間関係を破壊された原爆孤児・原爆孤老、原爆障害者、放射能障害者予備軍への国家補償なくして核兵器禁止は実現できないと、多くの被爆者とともに戦い続けた。その多くは既に「遅れた原爆死」で亡くなった。
  森瀧は94年、92歳で没した。長年の「座り込み」で得た「精神的原子の連鎖反応が物質的原子の連鎖反応にかたねばならぬ」との信念から、死の床での遺稿の中で「核廃絶の可能性は私たち生きんとする人民大衆の連帯にかかっています」と私たちにメッセージを送っている。(森瀧春子)

 

相談のまど 被爆者として受けられる控除はありますか?

 【問】確定申告をするにあたって、被爆者として控除が受けられることがありますか。
* * *
  【答】被爆者として控除が受けられるのは、原爆症の認定を受けた「認定被爆者」だけです。
  「認定被爆者」は、所得税法上の特別障害者として、所得税40万円、地方税30万円の基礎控除を受けることができます。
  被爆者健康手帳を交付されていれば「認定被爆者」だと思っている被爆者がいますが、これは間違いです。手帳を持っているというだけでは、控除はうけられません。
  被爆者としてではありませんが、介護保険法の要介護認定を受けている場合は、「障害者控除対象者認定書」に基づき、「障害者に準じる」として、障害者か特別障害者か、いずれかの障害者控除が受けられます。
  手続きは、自治体によって異なることがありますので、担当のケアマネージャーや市町村の介護保険の担当窓口に問い合わせてください。

ツボはここ

「尿もれ・頻尿」
  2月4日は立春です。暖冬といわれるこの冬ですが、この時期は寒さがきびしくなることが多く、油断大敵です。しかし天気のよい日には外に出て散歩をするなど、身体を動かしましょう。
  この時期の悩みに、尿もれや頻尿があります。トイレが近くなると言う人も。寒さは、下半身のさまざまな障害と関係します。
  こんなことを心がけましょう。
  (1)身体を動かして全身の血液循環をよくする (2)冷たい飲食物を控える (3)下半身を温める (4)腹筋運動で腹圧を強化する、などです。男性は、前立腺の検査をすることも大事です。さらに、衣服の上からカイロを貼って温めてください。貼る場所は、おへその下にある「関元(かんげん)」というツボの周辺です。「歳だから」とあきらめないで試してください。

被爆者手帳取得の証人さがし

 黒田 實雄さん 昭和5年2月生まれ、長崎県出身。
  昭和19年3月、高等科を卒業し、長崎の三菱製鋼所に就職。第3工場で飛行機車輪の部品の検査の仕事をしていました。自宅(長崎市岩川町から強制疎開で北高来郡湯江町に転居)から列車で通っていました。
  8月9日、第3工場から本社に連絡に向かう途中被爆。気がついた時は防空壕の中でした。その後18日頃まで、救護や死体処理を行ないました。
  連絡先(本人)=寝屋川市明徳2‐12‐22‐301 Tel072‐820‐1055

原爆症認定申請あれこれ

 529胃癌 男・昭和8年生まれ、上幟町1.1キロ被爆。06年6月申請、12月認定。
  530肺ガン 女・昭和4年生まれ、8月16日広島松原町へ入市。06年4月申請、12月却下。
  531心筋梗塞 男・昭和3年生まれ、長崎市大橋町三菱兵器製作所0.7キロ被爆。06年4月申請、12月却下。
  532急性心筋梗塞 女・昭和10年生まれ、長崎。大浜町4.1キロ被爆。06年6月申請、12月却下。
  533陳旧性心筋梗塞 女・昭和8年生まれ、長崎市稲佐町2.1キロ被爆。06年6月申請、12月却下。
  534陳旧性心筋梗塞 男・昭和5年生まれ、広島市船入川口町被爆。06年6月申請、12月却下。
  535前立腺ガン 男・昭和3年生まれ、8月7日から9日に、広島市立町から比治山に入市。06年8月申請、12月却下。
  536肛門ガン 女・大正15年生まれ、長崎市上西山町2.6キロ被爆。その後中心地へ入市。06年6月申請、12月却下。
  537胃癌 女・大正13年生まれ、長崎市方淵町被爆。06年6月申請、12月却下。
  538前立腺ガン 男・大正12年生まれ、広島市内に8月20日入市。06年6月申請、12月却下。