被団協新聞

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「被団協」新聞2006年 3月号(326号)

2006年3月号 主な内容
1面集団訴訟 被爆地・広島が結審
被団協全国代表者会議開く
被団協中央行動に80人
時効認めず逆転勝訴 在ブラジル被爆者訴訟
2面大阪判決を迎えうつ 全国支援ネット会議開く
全原告の起因性立証 熊本/牟田医師に証人尋問
臨界前核実験に抗議 米大使館前で行動
3面世界に危機を知らせる
海外で大きな反響「父と暮せば」
オランダ紙が原爆特集 被爆体験など多角的に
山田拓民さん 長崎新聞新春文芸賞に入選
4面確定申告
障害者控除の対象は認定被爆者

■集団訴訟 無影響と誰が断言できるのか 被爆者らが最終陳述
■被爆地・広島が結審 判決に「国は改善せよ」明記を

  広島の原爆症認定集団訴訟が2月22日結審しました。大阪が近く判決、他地裁も続々結審・判決が予想され集団訴訟はいよいよ山場を迎えます。
  広島で被爆者45人が提訴して3年。6人が亡くなりましたが、原告30数人が証言に立ち、原告全員について個別に放射線起因性を立証した医師意見書を提出。大きな弁護団と支援の会がつくられ、署名4万以上、団体150など運動を広げました。結審を前に2月4日に総決起集会を開き、各政党があいさつするなど、被爆地での裁判に関心が高まっています。
  結審の日も多数のマスコミや法廷に入りきれない支援者が詰めかけるなか、原告の小松清興さんが「60年苦しみを背負って生きた。私の病気は原爆のせい。影響はないなどとだれに断言できるのか」、大江賀美子さんも壮絶な救護体験、娘が大学生になってがんになり目の前が真っ暗になったことを語り、「被爆者には時間がない。これが最後と思います」と訴えました。
  弁護団は長崎から応援の原章夫弁護士をふくめ6人が、この法廷で明らかになった認定の誤りをあらゆる角度から詳細に陳述。最後に佐々木猛也団長は「裁判所が何を判示しても行政を変えない国がこれを改めるよう、判決に明示するっよう求める。原告らに光を、被爆者に生きる勇気を与える判決を」と結びました。
  弁護団は8月6日までに判決を出すよう求めていますが、裁判長は「判決日は追って指定」とのべるにとどまりました。 ☆写真=結審を前に開かれた総決起集会(2月4日、広島)

■3・14 大量申請(第一陣)へ 被団協 全国代表者会議開く

  日本被団協は2月15日、全国都道府県代表者会議・全国相談員研修会を開き、大阪地裁をはじめ各地裁の結審・判決がつづく山場を迎え、第二次大量申請・提訴を含む、全国の被爆者、支援者の大きな運動へ決意をかためあいました。
  藤平典代表委員あいさつにつづき、全日本民医連稲原資治事務局次長の特別報告「高齢者福祉・医療施策の大改悪について」を受けました。
  基調報告に先立ち、大量申請・提訴運動の決定経過についての文言訂正の提案があり、論議。
4月にも大阪地裁の判決という緊迫したなか、在京役員会の責任で「被団協」新聞で緊急によびかけ、1月の代表理事会で決定することとした、との田中事務局長の説明を受け、記事の文言の一部を修正することになりました。
基調報告で、田中事務局長は、裁判は原告有利に展開しているが、よい判決をかちとり、認定制度の抜本的改善、被爆者対策を前進させるため、国会、政府に対する運動も飛躍的に発展させよう、と訴えました。
肥田舜太郎中央相談所理事長の報告「広島・長崎での内部被爆による原爆被害」、全国弁連宮原哲朗事務局長の報告を受け、討議に入り、3月14日に迫る大量申請(第1陣)などへの各地の取り組み方について、決意や悩みなど、活発に議論されました。
  訂正 本紙12月号(323号)1面「第二次大量申請・提訴運動へ」の冒頭部分の。《「原爆症認定の抜本改善を要求する第二次大量申請・提訴運動」に取り組むことになりました》の終わりの部分を《・・取り組むことを話し合いました》に訂正します。

■各政党が積極対応 被団協中央行動に80人

   日本被団協は2月16日中央行動をおこない、全国代表者会議に集まった地方代表や首都圏の被爆者ら80人が各政党や衆・参両議院の厚生労働委員に要請しました。
  要請内容は(1)原爆症認定制度の改善(2)東数男さん東京高裁勝訴確定後の肝機能障害認定(3)在ブラジル被爆者裁判広島高裁判決で国が上告しないことへの尽力。加えて政党には被爆者対策の窓口設置を要請しました。
  民主党は党本部で高木義明衆院議員(長崎)、近藤昭一NPO局長ら5議員(坪井直代表委員らが懇談)。社会民主党は議員会館内で辻本清美衆院議員ら(田中熙巳事務局長らが懇談)、日本共産党は議員会館内で仁比聡平参院議員ら3議員(藤平典代表委員らが懇談)が応対。各政党とも被爆者の訴えを熱心に聞き、要求実現へ積極的な姿勢が示されました。公明党は先方の事情で中止。
  昨年夏から交渉を引き延ばしている厚労省は今回も拒否。田中事務局長らが同省を訪れ係官を通して異例の交渉拒否に抗議し善処を求めました。
☆写真=民主党に要請する坪井代表委員

■時効認めず逆転勝訴 在ブラジル被爆者訴訟

   健康管理手当が時効により支給されないことをめぐりブラジル在住の被爆者3人が提訴していた裁判で、広島高等裁判所は2月8日、時効を認めた一審判決を取り消す判決を言い渡しました。
判決は「402号通達に従って支給しなかった広島県は職権乱用」と判定。同通達は「被爆者対策は、日本に居住していることが条件」という旧厚生省局長通達で、法の精神より通達を優先する措置は在外被爆者裁判で一貫して批判され、通達はすでに廃止されています。広島県知事は15日、この判決を不服として最高裁に上告しました。

★ 連載「肥田舜太郎 平成の養生訓」

  雛節句祝いし孫は人の親 翁、媼で白酒を酌む
  被団協新聞に昭和62年より書き始めたる「健康カルタ」51回、続いた「健康ことわざ」が57回、次の「健康を読む」15回に続き、「人生賛歌」51 回、平成14年からの「平成養生訓」が今年3月で60回を迎えり。
  被爆者の生き甲斐と長生きの術、234回も書き来たりしが、お役に立ち候や。政、官、挙りて金の亡者と化しし末世に与せず、幸せは平和にありと戦の道退け、憲法変えよという徒輩に原爆被害の実相語り、核兵器の廃絶を説く。被爆者は幸せならずや、各々方。

★連載「閃光」

   憲法に関する講演や演劇にふれて、心に刻まれたことは、憲法は国民の権利を権力者に対して示したもの、つまり国民から権力者への命令であるということ▼ 作家の故住井すゑさんは生前「憲法は、第一条嘘をつかない、第二条殺さないという二条だけでいい」と言っていたそうです。これで戦争は起こせないと▼これは政権を握っている政治家に言いたい。嘘をつくな!殺すな!▼幸い私たちには憲法九条があり、戦争での人殺しは60年間行なわれませんでした。しかし「大量破壊兵器がある」という嘘で始まったイラク戦争に、自衛隊が派遣されたまま、憲法を変えようという論議が始まっています▼戦争があって生まれた被爆者。ふたたび被爆者をつくらないために、戦争をしない憲法を守らなくては。

■大阪判決を迎えうつ 全国支援ネット会議開く

■各地で集会、「110番」、署名など

2月15日原爆症認定集団訴訟を支援する全国原爆症認定集団訴訟を支援する全国ネットワークワーク(全国ネット)の会議が開かれ、12地裁での裁判を支援している支援者や中央団体などから70人が集まりました。
  坪井直日本被団協代表委員のあいさつの後、各地から裁判所への要請署名や支援をどう広げるかなど支援活動の報告。近く予想される大阪地裁判決に向けて全国での取り組みを話し合いました。
  ▽大阪地裁判決後ただちに各地で判決報告集会をひらく▽翌日には認定相談110番を行なう▽国会に向けて控訴させない運動に取り組む、などを決めました。
  今後、ニュースの発行、リーフレット作製、厚生労働大臣あて要請ハガキなど全国規模での運動に取り組むことになりました。さらに厚生労働大臣あて100万人署名運動を展開することになり、署名簿の内容についても意見が出されました。署名は全国ネット事務局で相談して各地にお送りすることになりました。
☆写真=各地の運動を交流する全国ネットの会議(2月15日)

■全原告の起因性立証 熊本 牟田医師に証人尋問

熊本 牟田医師「あるべき認定基準」にもとづき証言
集団訴訟・熊本では2月10日、熊本平和クリニックの牟田喜雄医師が証人尋問に立ちました。
証人は最初に昨年県内の被爆者280人と同年代の非被爆者の60年間の病歴を比較した健康調査「プロジェクト04」について証言。調査した被爆者の8割は入市・遠距離被爆者ですが、65%の被爆者に急性症状が見られたこと、被爆者は非被爆者の2倍も悪性腫瘍に罹患していること、甲状腺機能低下症や皮膚の疾患等で有意差が見られることが明らかにされました。
  つづいて医師団の統一意見書における「あるべき認定条件」にもとづいて原告21人全員の申請疾病について要医療性・放射線起因性を立証。原告らの被爆状況や急性症状、その後の疾病の経過を「あるべき認定条件」にあてはめていくと、全員もれなく認定されるべきことが明らかになりました。
  「声が小さい」という弁護団の心配とは裏腹に、被爆者診療の経験に裏打ちされた堂々たる主尋問。傍聴していた被爆者も、第二次大量申請に確信を深めたことと思います。
  次回5月29日は牟田医師への反対尋問と聞間元医師(静岡)への主尋問の予定です。(弁護士 寺内大介)☆写真=集団訴訟第15回弁論の法廷に入る原告と支援者ら(2月10日、熊本)

■「今も恐怖の生活」「国の審査は疑問」仙台で原告証言

  仙台地裁では1月31日、原告本人尋問がおこなわれ、原告2人が被爆体験といまもつづくつらい思いを証言しました。
  新沼弐雄さん(81)は広島の船舶通信補充隊で被爆。脱毛や吐き気に苦しみながら救助や遺体処理に従事しました。復員してからは疲れがひどく仕事を退職。その後も腎臓がんや膀胱がんにおかされ「いまも再発の恐怖を感じながらの生活です」と訴えました。
  波多野明美さん(67)は7歳のとき、広島段原大畑町(1・8`)で被爆。高校を卒業するころから始まっただるくなる症状はいまもつづき、43歳で胃がんの手術をしてからはずっと不調で、いま29`の体重です。「被爆者には私のような症状で苦しんでいる人が多い。それを認定しない国の対応に大きな疑問を感じています」と訴えました。

■臨界前核実験に抗議 米大使館前で行動

  日本被団協は、23日(日本時間24日)ネバダ実験場で行われた、米英共同の臨界前実験に抗議し、首都圏被爆者24人がアメリカ大使館前で抗議集会を行いました。厳重な警備体制の中、代表が抗議文を読み上げて大使館員に手渡しました。
  抗議文では、度重なる臨界前実験は保有核兵器の使用を前提とするもので、満腔の怒りをもって抗議するとして、臨界前核実験の計画を永久に放棄せよなど3項目の要求をあげています。
イギリス大使館へは抗議文を送付しました。
☆写真=米大使館に向かう田中事務局長ら(23日)

★ 連載「被団協50年と私」

■演壇に「集合」と墨書 群馬 須藤叔彦(代表理事)

  壇上では広島、長崎、愛媛、長野の四県連絡協議会の報告がつづいていましたが、時間が経過するなかで私はひとりイライラしていました。
  1956年8月10日、新築まもない長崎国際文化会館での第2回原水爆禁止世界大会第4分科会(原水爆被害の実相と被爆者救援について)会場でのことです。
  全国から被爆者が参加しているはずなのに、との思いがつのるまま、私は席を離れて、受付にいた広島の竹内武さん(後に名を知ったのですが)に依頼して、演壇前に「各県の被爆者代表の方は今すぐ地下ホールにご参集ください」と大きく墨書してもらいました。まもなく十数人の人々が地下に集まってきました。二、三顔なじみの人もいましたが、大部分は知らない人たちでした。
  私は名を名乗り、「はるばる関東(群馬)からきたのですが、このままでは大会が終わってしまい、おたがい連絡もとれなくなるので、ここで被爆者の全国組織づくりを話し合おうではありませんか」というと、一人の中年女性が「私は広島からきた者ですが、じつは四県以外の被爆者の状況がわからないのです。分科会が終わった後で全国の被爆者組織の結成大会が予定されているので、協力してください」とのことで、私たちは納得し会場に戻ったのでした。
  その女性は、後の日本被団協代表委員、伊藤サカエさんだったのです。新年号のこの欄で広島の高橋昭博さんが「なぜ地下ホールなんだ?」と書かれていましたが、なぞが解けたのでは?

★連載「非核水夫の海上通信」(22)

■ASEAN憲章 武力・核兵器の放棄も

「ASEAN憲章」を作る動きが進んでいる。昨年末のASEANクアラルンプール・サミットで憲章の策定が合意され、内容を検討するグループが設置された。
  すでにASEANには、友好協力条約(67年)や非核地帯条約(95年)がある。これらに含まれる武力の行使・威嚇の放棄や、核兵器の放棄といった原則を踏まえて憲章が策定される。
NGOもすかさず動いている。二月初旬、東南アジアの主要な人権・平和NGOがバンコクに集まり、ASEAN憲章の内容へ働きかけを含め、地域共同行動の計画を練った。
「ASEANの将来をどうしていきたいのか。地域の市民にインターネットでアンケートをとり、世論を喚起していこう」など、議論は熱気を帯びた。
東アジア共同体論議は日本でも高まっているが、メディアには貿易や市場の話ばかり。東アジアを「非核・非戦」の共同体にしていくビジョンを論議すべきだ。ASEANの市民はその先達であり仲間である。
川崎哲(ピースボート)

■”世界に危機を知らせる”
■海外で大きな反響 井上ひさし『父と暮せば』 こまつ座 渡辺昭夫

  「おとったん、こわーい」に始まり、「おとったん、ありがとありました」で終わる広島で被爆した父と娘の物語。井上ひさしの戯曲『父と暮せば』が世界に広がっている。こまつ座公演として、国内では広島をはじめ全国各地を巡演して368ステージを数える。リーディングを含む海外上演は、フランス、ロシア、中国、カナダ、イギリス、アメリカなど。今年もイタリアやカナダで現地演出家、現地俳優での上演が予定されている。
今、なぜ、この戯曲が注目をあびているのか。これまでの世界の反響を紹介しよう。
「この芝居は、1945年、ヒロシマの原爆が主題にあるが、地球のあらゆる国、あらゆる場所の悲劇のあとの出来事として考えられる」(ニューヨーク)
「父親が原爆で死んでいて、生き残った娘を励ましている。そういう芝居のなりたちを理解したのが最終場面。その瞬間に涙があふれてきた」(ロンドン)
「父と娘のやりとりは、日常生活なのだが、人類史上初めての原爆というテーマに正面から向き合わされた」(トロント)
「倒壊した建物の下敷きになった父親が、娘を逃がすためにジャンケンする場面では涙がでた。命のすばらしさ、平和を願う気持ちが伝わった。これは日本人だけでなく人類共通の物語である」(香港)
「日本の旧世代は戦争で加害者になったことの反省。ヒロシマ、ナガサキの痛恨と遺恨。若い世代は日本の過去の教訓を大切にしなければならないと感じるだろう。作者は世界の人々にこの危機の存在を知らせようとしている」(モスクワ)
こうした反響もあり、戯曲は英、仏、露、中国、独、イタリア語訳ができており、スペイン語、アラビア語化も進んでいる。題名は『地蔵の顔』『二つの太陽』『父との日々』『我的廣島父親』『わたしの父』などさまざま。『英文対訳父と暮せば』(こまつ座)の続刊として『独文対訳』『イタリア語対訳』も予定されている。
☆写真=2000年12月 こまつ座香港公演

■オランダ紙が原爆特集 被爆体験など多角的に

   昨年8月広島・長崎の原爆を大きく特集したオランダの新聞が最近、日本被団協に届きました。
? その新聞は「レフォルマトリシュ・ダグブラッド」(改革派日報)で、8月6日付の全28ページ中6ページを使い原爆投下60年を特集。壊滅した広島市街の写真に始まり、原爆開発の経過、被爆者の体験、終戦と原爆など、多角的です。
  「私は毎日死ぬと思っていた」は、広島で被爆した金藤タカ子さんを若き日の看護師姿とともに紹介。金藤さんは18歳のとき勤務先の陸軍病院(600b)で被爆しました。「体の動く者は力の限り逃げなさい」との指示で逃げる途中、被災者を救助。急性症状に苦しみ一生結婚できないと思いましたが、「驚くべき生命力で生き残った」。
  記事は「現在も彼女は生存し結婚もした。病院のガラス破片を皮下にもったまま」と結ばれていますが、兵庫県芦屋市在住だった金藤さんはことし1月亡くなりました。
  記事を書いた芦屋市在住のオランダ人ジャーナリスト、ドーイッツさんは、近く再会予定だった金藤さんの死におどろきながら「オランダ人は旧日本軍の残虐行為はよく知っていますが、日本国民が受けた苦しみ、とくに原爆の被害はアメリカによって隠されてきたため、知られていません。被爆60年を機に、原爆は史上最大の犯罪であることをぜひ知ってほしかった」と話しています。
☆写真=若き日の金藤さんの写真をそえて被爆体験を報じた紙面

★ 連載「被爆者←→青年 トークトーク」

■今こそ人類の叡智を 柿本直人(76歳、被爆者、神奈川)
私達の青春の思い出は実に悲惨なものです。その時の地獄の悲しみをどれ程忘れたく思ったことか。でも、さながら昨日のことのように脳裡に蘇ってくるのです。
戦後の日本は一度の戦争もなく平和でした。そのせいか今は国民の間に、戦争体験も被爆体験も風化してしまいそうな情勢です。
これに較べ海の向こうでは様々なことが起こっています。続発するテロ、核兵器保有を宣言した北朝鮮、軍備増強を続ける中国、それらに対抗するアメリカ。
昨年5月に国連での核不拡散条約再検討会議がありましたが、核大国の激しい反対で決裂。核兵器廃絶の道は閉ざされ、手詰りの状態に陥っています。
こんなことで本当に核兵器の廃絶が出来るのでしょうか。核戦争への危険を感じるのは私だけでしょうか。戦争が始まって了ってからではもう、間に合わないのです。人類の寿命は核戦争までではないでしょうか。
今こそ人類の叡智を結集して、全く新しい、実効性のある方法を生み出さない限り、人類に将来はないのです。一時も早く本当の平和の道に目覚めることを祈るばかりです。(筆者は読者文芸の投稿者です=編集部)

■山田拓民さん(長崎被災協)長崎新聞新春文芸賞に入選

   長崎新聞新春文芸小説に同県被災協事務局長山田拓民さんの「ひとりごと」が入選、同紙1月18日付で掲載されました。
  小説は、原爆で死んだ母親が60年後にもらす独白の形をとり、60年前のできごとをつづったもの。描かれているのは山田さんの母の体験です。
  「母が二人の子を原爆に奪われて火葬に立ち会い、重傷の夫と二人の子を残して死ぬのはどんな気持ちだったか、ずっと気持ちにひっかかっていた」という山田さん。原爆ということも放射線も知らず、わけがわからないまま死んでいく母を通して、死者の声を聞く小説となっています。

■「政治的発言慎め」長崎推進協が要請

   長崎市の外郭団体「長崎平和推進協議会は1月20日、被爆体験を語る「継承部会」総会で、被爆語り部に「国民の間で意見が分かれている政治的問題についての発言を慎む」よう要請、反響が広がっています。
  例示されたのは▽天皇の戦争責任▽憲法9条改正▽イラクへの自衛隊派遣▽原子力発電▽靖国問題▽劣化ウラン弾など。新聞の投書欄には「理解できない、原爆の恐ろしさを語ることは、絶対に核戦争を起こさせてはならないという訴えだ」(宗教者)など多くの声が寄せられています。
  長崎県被災協はこの問題で3月4日、平和の発信と被爆体験の継承を考える「被爆者と市民のつどい」を開く計画です。

■アンケートのおこたえ たくさん集まっています

    本紙2月号でお願いしました「原爆症認定アンケート」は、多くの方からおこたえをいただいています。おこたえは、大変貴重なものです。今後各都道府県被団協と相談しながら、認定申請を希望する人が申請できるようにしていきます。
  まだアンケートにおこたえいただいていない方も、ぜひおこたえいただくようお願いします。

★ 連載「相談のまど」

■確定申告 障害者控除の対象は認定被爆者 健康管理手当は所得になりません

【問】確定申告をするに当たって、被爆者健康手帳を持っていると障害者控除があると聞きました。本当でしょうか。また、健康管理手当を受給していますが、この手当は所得として申告するのですか。
【答】まず障害者控除ですが、被爆者健康手帳を持っているだけでは、障害者控除の対象にはなりません。厚生労働大臣が原爆症と認定した認定被爆者であれば、特別障害者控除を受けることができます。
  控除額は、所得税が40万円、地方税が30万円です。これは、本人だけでなく扶養者も対象になりますので、原爆症認定被爆者を扶養している家族の方は、申告してください。
  また、介護保険法によって要介護認定を受けている場合は、障害者控除の対象になります。介護度が要支援から要介護3度位が一般障害者、4〜5度が特別障害者になります。この場合も、扶養者も対象になります。市町村の福祉課または税務署にお尋ねください。健康管理手当などの手当は、所得にはなりませんので、申告する必要はありません。

★ 連載「原爆症認定申請あれこれ」(110)

499 消化器機能障害(胃癌) 男・大正13年生まれ、広島市二葉の里1・2キロ被爆。平成17年7月申請、18年1月却下。
500 前立腺癌 男・昭和15年生まれ、広島市舟入町1・5キロ被爆。平成17年6月申請、18年1月却下。
501 大腸癌 男・昭和10年生まれ、広島市千田町1・6キロ被爆。平成17年9月申請、18年2月認定。
502 肺癌 男・大正6年生まれ、広島市楠木町2キロ被爆、平成17年9月申請、18年2月却下。
503 前立腺癌 男・昭和14年生まれ、広島市西白島1・3キロ被爆(被爆者健康手帳記載は2キロ)。平成17年8月申請、18年2月却下。

★連載(季節写真) 水ぬるむ

   うたたねの膝とろとろと水温む 秋元不死男
  戦前、俳句弾圧事件で二年余を獄に送る─句に「降る雪に胸飾られて捕へらる」など。「電線工事をしている電工を見た。高いものが変に危険に思えるこの日」、「電工のいちにち高し原爆忌」。

★連載「被爆者手帳取得の証人さがし」

 

  今井清人さん 昭和3年1月生まれ、広島県出身。
  昭和17年、日本製鋼所広島製作所(船越町)に就職し、鋳物工として働いていました。20年6月までは船越町の第一報国寮にいましたが、その後入野村の自宅から通勤。
  8月6日は振替休日で自宅に。7日は出勤した社員が何班かに分けられて、重役等の救助のため市内に派遣されました。蟹屋町付近の重役宅を何軒か訪ねましたが、焼失していて救助できず、さらに上幟町付近の上司の家を訪ねると、家は壊れていましたが、上司夫妻の無事を確かめて帰社しました。
  9日からの数日、船越町の第二報国寮から、海田市沖の瀬野川堤防まで死体を運び、火葬の手伝いもしました。
  連絡先(本人)=藤井寺市小山7−4−4 電話0729−54−4281

★連載「なおちゃんの ツボはここ」(99)

■失禁に中極と膀胱ゆ