被団協新聞

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「被団協」新聞2004年 10月号

2004年10月号 主な内容
1面大阪地裁で証人尋問
2面集団訴訟のうごき
訪米遊説団報告
●「非核水夫の海上通信」
3面中央相談所講習会始まる
都道府県だより
4面「相談のまど−被爆者の介護手当申請について」

全国に先がけ大阪で証人尋問

 原爆症認定集団訴訟は、いよいよ証人尋問が始まりました。9月3日には、全国に先がけ大阪地裁で被爆医師で被爆者中央相談所理事長の肥田舜太郎さんが証人に立ちました。近畿の支援する会の報告をもとにリポートします。

 大阪地裁には定刻前から傍聴希望者がどっと詰めかけました。学生や若者の姿も多く、大阪以外でたたかっている原告弁護団の代表も。傍聴席はたちまち埋まり、交代で傍聴となりました。
  肥田さんに対し、原告弁護団による主尋問に2時間(午前11時〜正午、午後1時半〜2時半)、国側の反対尋問に2時間(午後2時半から)が当てられました。
  主尋問は佐藤真奈美、徳岡宏一朗、愛須勝也の3弁護士が質問しました。
  肥田さんの証言は広島での被爆体験から。往診先の村から市内に戻る途中で初めてあった被爆者は、ぼろを引きずり、両手をぶら下げ、両目が飛び出した異様な姿でした。目の前で倒れたのを見て、「生きた人間だ」と気づき、脈を取ろうとしましたが、触るところがありません。ぼろと思ったのは、はがれた生皮でした。
  その後の被爆者診療は「死んでいる人間と生きている人間の『見分け役』というつらい役目」でした。被爆後3日目あたりから、患者に驚くべきことが相次いで起こります。まず発熱。扁桃腺かと思い口を開けさせると、生身が腐っていく、なんともいえぬ臭い。そして、出血、紫斑、脱毛。最後に口やお尻から血を出して死んでいく。焼けただれた負傷者だけでなく、火傷のない人にも同じ症状が出たといいます。
  ある女性は、出産に帰った松江の実家で広島の被災を聞き、1週間後、夫を探して広島へ。避難先で夫に出会ったあと、自分の胸元に紫色の斑点を見たのは4日後。夫を求めて2週間、市内を歩き続けた彼女は、やがて吐血し、頭髪が抜けて死んでいきました。いま考えると、彼女こそ「入市被爆者」だったのです。
  肥田さんは5千人以上の被爆者を診てきました。「原爆ぶらぶら病」に代表される特有のだるさを訴える声が多かったといいます。また、被爆者は死体が焼かれる強烈な臭いの体験を共有していました。悲惨な被爆者を、アメリカ占領軍も、日本政府も長期間放置してきたことを許せない、と肥田さんは語りました。

国の認定制度をきびしく批判

 肥田さんは、核兵器廃絶を訴える海外渡航の中で、低線量放射線障害の重要性に目を開かされます。被ばく米兵を多数診ている医師からは、広島と同様の原爆ぶらぶら病が出ていることを知らされました。チェルノブイリ原発事故や米ハンフォード原爆工場風下地区など核施設の被害者の聞き取り・現地訪問を重ねる中で、体内にとりこんだチリなどから放射線を受ける「内部被ばく」の重要性を認識したといいます。
  肥田さんは、国が原爆症認定制度の基準としてきたDS86や原因確率論を「誤りだ」ときっぱり批判。「被爆者手帳を持っている人は基本的に放射線被害者として認めるべきだ」と主張しました。
  国側の反対尋問は、肥田さんの研究歴や学術論文の有無を問うようなものばかりで、持ち時間の半分近くを残して終了。追加尋問に立った原告弁護団に対し、肥田さんは次のように締めくくりました。
  「広島・長崎の原爆の本質は人類にとって何だったのか、結論を出さなければいけない。これまで4千年間、自然の放射線とは共存してきたが、人類の存続にまで重大な影響をもたらす核兵器というまったく意味のない人工的放射線を作り続けている。人類はこれをどうするつもりか。考える出発点は被爆者だ。被爆者を大事にし、その言い分をよく聞いてほしい」
  肥田証言は、「あの日」から59年間、数え切れない日本の被爆者、世界各地の核汚染被害者と向き合ってきた体験の総結集でした。

  「私は長崎の松谷訴訟、京都の小西訴訟、東京の東訴訟で被爆医師として証言を行いましたが、今回は今までと違う「そもそも原爆被害とは」という『そもそも論』の争いなので、たいへん緊張しました。
  公判に備えて、14人の弁護団とのべ5日間、入念な打ち合わせをしました。弁護団は、私の被爆体験、50年におよぶ被爆者診療体験と海外の文献とのであい、アメリカ、チェルノブイルの被ばく者の実地診療の経験などから、被爆の実相の捉え方について、徹底した分析と検討を行ないました。その中で、低線量放射線の内部被ばくこそ、被爆者手帳を持つすべての被爆者が受けた共通の放射線被害であることを明らかにしてくれました。
  当日は、3人の弁護士が私の経験をていねいに掘り起こしながら、直接被爆の放射線線量だけで、放射線被ばくの有無、疾病との関連を判断することが決定的に間違っていることに私が確信するにいたった経過を、たくみに引き出してくれました。
  全国の集団訴訟のトップを切った口頭弁論で、ともかく無難に証言を終えることができたのは、優れた弁護団の団結した力量と、全国で進められている被爆者と支援する方々のたゆまぬたたかいの支えによるものと感謝しています」。(肥田舜太郎)

救援被爆者も原告に−集団訴訟のうごき

【大阪】肥田証人の尋問があった9月3日、京都2人、大阪、兵庫各1人の計4人が大阪地裁に追加提訴しました。追加提訴のうち京都市内の女性(79歳)は長崎で被爆者の救護活動中に放射線の影響を受けています。このケースは法律上、「3号被爆者」と呼ばれ、集団訴訟の原告に加わったのは初めて。
【札幌】安井さん、館村さん、柳谷さんの集団訴訟第7回公判と加藤さんの第7回公判が8月30日、札幌地裁でありました。翌31日には浜田さんの第3回公判が開かれました。この日、支援署名を2416筆提出、これまでにあわせると14万8千余の署名が集められています。
  9月16日は星野禮子さん(C型肝炎)の第1回公判。星野さんは被爆時の凄惨な状況とその後の数知れない病歴を語り、理由のない差別に苦しみ、原爆がなかったら人生が違っていたと涙ながらに陳述しました。
【東京】原告の早田(そうだ)シマ子さんが、7月28日、胃がんのため亡くなられました。享年78歳。長崎被爆。
  全国の原告のうち、すでに7人が亡くなっています。
【熊本】原爆症支援熊本県民会議では、9月14日に熊本市の国際交流会館で提訴1周年の学習集会を開きました。
  集会には36団体から145人が参加。訴訟の意義と現状について弁護団や医師団から報告を聞き、国側主張の誤りと原告側意見を学びました。また、原水禁、原水協、平和憲法県民の会など各団体代表から連帯あいさつを受け、原告代表村上務さんが、「被爆者全員の勝利となるようがんばる」と決意表明。
9月27日には、新たに3人が提訴。熊本の原告は17人となりました。この日は提訴前に、支援県民会議が熊本市パルコ前で支援街頭宣伝署名行動にとりくみました。短時間で124筆を集め、これまでの署名の中から5千筆を熊本地裁に提出しました。
【千葉】9月14日、第6回弁論がありました。
証拠決定が出されるかと期待される中、書面陳述だけで終わってしまいました。裁判所からは、立証計画を出し切ってから証拠決定をしたいと、次回期日までに立証計画の全体像を出せとの指示がありました。
  千葉では、健生病院グループの裁判支援活動が軌道に乗り始めています。これまで、JR幕張駅前の宣伝署名活動を3回、400枚のビラを配布し、188筆の署名を集めました。署名は下校途中の高校生が多数応じてくれました。今後は、月1回宣伝行動を広げる予定です。
【静岡】9月17日に第3回口頭弁論が開かれました。被爆者、支援団体、弁護団50名が参加。臨床尋問、ビデオ採用など裁判官から提示され、11月1日、入院先に3人の裁判官が出向き、尋問することになりました。ビデオはラウンドテーブルでどうかということで、採用される方向です。

全国ネットでパンフ作成

 幅広い個人・団体、各地の支援する会で構成する原爆症認定集団訴訟支援全国ネットワークでは、パンフレット『生きているうちに原爆症認定を』を作成しました。
 パンフは、マンガや図を多用して、訴訟の意義・論点をわかりやすく解説。ちなみにマンガは東京・北区で被爆者の聞きとりに取り組んでいる若者グループ「ヴォイス」のメンバーによるもの。

頒価100円。お申し込みは全国ネット(рO3−3438−1897)まで。

被爆者中央相談所講習会始まる

【北海道】9月10日、札幌市で講習会が開かれました。道内の被爆者ら46人が参加しました。
  講習会は、肥田舜太郎相談所理事長が「被爆者は21世紀の人間国宝」と題して講演。低線量による内部被ばくの被害が、決して軽いものではなく、長いこと被爆者を苦しめていること。「自分は直接被爆者でないから」と、体験を語らない被爆者がいるが、遠距離被爆や入市被爆者にも放射線の影響は確実にあること。その意味でも被爆者は、全員が体験を伝えなければならないこと。核戦争の危機消えていない今、被爆者は人類にとって大切な存在だから、歯を食いしばってでも長生きをして欲しい、と語りました。
  伊藤直子相談員は、諸手当を受給している被爆者が、今年3月でようやく90%を越えた。被爆者が高齢化している中、現行法だけでなく、生活保護法や身体障害者福祉法など他の法律も活用し、さまざまな社会資源をいかして、被爆者援護を強化しようと話しました。
【宮城】9月21〜22日に宮城県松島で、東北ブロックの講習会が開かれ、肥田理事長、伊藤相談員の講義の他、田中熙巳日本被団協事務局長が、被爆者運動の課題について報告しました。
【鳥取】9月24〜25日、鳥取県皆気温泉で中国ブロックの講習会が開かれ、213人が参加しました。坪井直相談所理事・日本被団協代表委員のあいさつ、県知事(代理)など来賓あいさつに続き、肥田理事長、伊藤相談員が講義。2日目は岩佐幹三日本被団協事務局次長が被爆者運動の課題について報告しました。