被団協新聞

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「被団協」新聞2000年 3月号(254号)

「原爆と人間展」パネル、世界41カ国に101セットも

 日本被団協製作の「原爆と人間展」パネルは、2月25日現在で819セットの普及となりました。そのうち海外へは41カ国100ヵ所以上に普及されています。この海外普及に大きな力となっているのが、日本生協連傘下の各地生協の奮闘です。
 このとりくみを、日本生協連組合員活動部の天野晴元さんに寄稿してもらいました。
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 生協は、組合員一人一人の願いを集めて活動する市民団体であり、「平和とよりよい生活のために」を基本理念として、安全安心の商品事業はもとより、消費者の権利確立、環境保護、国際協力など、じつに多様な活動に取り組んでいます。
 このなかでも、平和の取り組み、とりわけ被爆の体験を継承する取り組みや核兵器のない平和な世界の実現を求める活動には、積極的に取り組んでいます。
 そんな考えから、私たちはいま、日本被団協製作の「原爆と人間展」パネルを活用して日本中でパネル展をすすめることと、世界各地で原爆展を開いて「核兵器は人間と共存できない」という世論を高めるために、海外の都市や団体にパネルを贈る運動をすすめています。
 この「世界の都市で原爆展を」の運動に取り組むきっかけとなったのは、1997年のインド・パキスタンの核実験でした。この報道を見た生協の組合員も、核兵器の危険性についての認識が乏しい人びとがあまりにも多いという事実にショックを受けました。これが、今回の行動につながったのです。
 1997年の後半から2000年1月までに、全国各地の24生協から36カ国70カ所に原爆展パネルを贈りました。世界各国の協同組合や研究機関、広島市を議長都市とする世界平和連帯都市などによびかけて、受け入れに協力してもらいました。今年は世界NGOネットワークに呼びかけており、受け入れの回答をもらっています。各地の生協も、99年度になって取り組みを本格化したところが多く、今年がヤマ場になるものと期待しています。
 2000年は、国連の「平和の文化国際年」です。核兵器のない21世紀にむけて世界の人びとが考える年になるように取り組みをいっそうすすめていきたいと話し合っています。

三重県被団協、パネルを県内前自治体に普及

 三重県原爆被災者の会(三友会)は一昨年来、県内の全自治体に非核平和行政の取り組みの具体化として、自治体主催で原爆被害の実相を後世に伝えるための「原爆写真展」を開催するようよびかけ、粘り強く「原爆と人間展」パネルの購入を要請してきました。
 この2月18日、最後の未購入自治体だった紀伊長島町から購入の申し込みが三友会に届き、これで県および69市町村すべてが「原爆と人間展」パネルを購入したことになります。
 三重県では、三友会が核兵器廃絶の運動を草の根から取り組み、昨年度は山村・漁村を含め自治体主催の「原爆写真展」が61市町村で開催されました。
 今回の全自治体パネル購入の成果に確信を持ち、今年は69すべての自治体での開催実現を目標に取り組んでいます。(三重・嶋岡静男)

アメリカの臨界前核実験に抗議

 アメリカは2月4日未明(日本時間)、「オーボエV」と名付けた9回目の臨界前核兵器実験をネバダ核実験場で行ないました。
 アメリカ政府は「核兵器の安全性と信頼性を調べるため」といっていますが、地下290mの水平坑内で、高性能火薬の爆発力を使ってプルトニウムを圧縮し、核兵器を起爆する際に飛び散るプルトニウムの破片が核爆発力におよぼす影響を調べたのではないかと伝えられます。
 いずれにしても、核兵器の性能を研ぎ澄ますための実験であり、「核兵器なくせ」という世界世論に逆行するものです。  日本被団協はこれに抗議し、4日午後、アメリカ大使館に、首都圏の被爆者20人とともに抗議に詰めかけました。クリントン大統領あての抗議文を大使館員に手渡し、「いかなる核兵器実験も許さない」「国連決議に従い、核兵器廃絶を誓約せよ」「ノーモアヒバクシャ」など、怒りと抗議の唱和をぶつけました。

ロシアにも抗議−半年間に7回も核実験

 アメリカの臨界前核実験発表の直後の4日、ロシア原子力省報道部も、ノバヤゼムリャ島の核実験場で、昨年9月23日以降計7回の臨界前核兵器実験を行なったと発表しました。
 日本被団協はこれに抗議し、プーチン大統領代行あての抗議文 をロシア大使館に送りました。

バングラデシュで平和会議

 2月18日から20日の3日間、バングラデシュの首都ダッカで開かれた、「南アジア・東南アジアの非核化をめざす平和活動者会議」に、被爆者の代表として招待され参加してきました。
 この会議を主催したのは、タイとインドに事務所を持つ「フォーカス・オブ・サウスアジア」とダッカに事務所を持つ「コミュニティ・デベロップメント・ライブラリ」という2つのNGOで、それぞれ南アジアの平和、発展などへの援助を手広く手がけている組織です。
 私がホテルに到着したときから、参加者中ただ1人の被爆者として名前が知られており、一人一人の温かい歓迎を受けました。開会式でのキャンドル点火、開会のスピーチが準備されていて、役割の大きさにたじろぐほどでした。
 会議には、南アジア、東南アジアのほとんどの国から百五十人におよぶぶ代表が参加していて、アメリカから3人、中国、韓国、日本からもそれぞれ1人の参加者があり熱のこもった討論が行なわれました。
 討議の中心は、一昨年地下核実験を行なったインド、パキスタンのこれからの核施策にどう対処した運動を構築していくか、アジアの非核化をどう広げていくか、アメリカをはじめとする核保有国に核兵器廃絶を迫る運動をどう展開するかなどでした。
 持参した「原爆と人間展」パネルは会場入り口に展示してもらい、参加者の関心を集めました。
 会期中、私は6回近いインタビューを受けました。会議の参加者もマスコミ関係も、被爆直後の体験に強い関心を持っていました。ただ、当然といえば当然ですが、現在の被爆者の要求や運動の話にはあまり関心がないというのが印象です。この点は、最近の日本国内での関心のもたれ方との違いを感じました。
 「この会場で、核兵器のことをどんなに熱心に議論していても、現実の被爆体験をしている人はあなた一人しかいないのですから」という言葉に、被爆者の海外での証言活動の重要性をあらためて痛感させられました。(田中煕巳)

「福祉事業」の全国化へ

 厚生省保健医療局は、1月27日に行なわれた全国主管課長会議で、現行法の「福祉事業」についてつぎのように説明しました。  「被爆者が数多く住んでいる広島、長崎両県市では、従来から被爆者を対象とする各種福祉事業が実施されており、国はこの経費の一部を補助しているが、昨年来、広島、長崎以外の地方公共団体からも福祉事業にたいする補助の要望がなされている。これらの要望については、平成13年度予算の概算要求で検討することにしている」。
 広島、長崎で実施されているのは、家庭奉仕員の派遣、デイサービス、ショートステイの補助、原爆養護老人ホームへの補助などです。
 しかし広島、長崎以外に住む被爆者への福祉事業はなにもありません。
 「同じ被爆者なのにおかしい」と、昨年12月には三重県議会が全会派一致で意見書を採択しました。全国からの要望の声をいっそう高めることが望まれています。