被団協新聞

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「被団協」新聞2000年 1月号(252号)

2000年1月号 主な内容
 
1面南の島で原爆展
2面20世紀に思う−神山征二郎
中央相談所講習会−九州、中国ブロック
3面安井原爆訴訟始まる
在外被爆者への手当要請
在外被爆者はいま(3)
4〜5面34カ国で語り継がれるサダコ
7面埼玉で原爆展
8面相談のまど「原爆症の認定申請について」

南の島-パプア・ニューギニア-で「原爆と人間展」

   21世紀が戦争も核兵器もない真に平和な世界であるようにとの願いを込め、東京マイコープは12月5日から11日までパプア・ニューギニアを訪問。パプア・ニューギニア総合大学のマイケル・ソマレ図書館ギャラリーで「原爆と人間展」を開催しました。
 東京マイコープとパプア・ニューギニアとの交流は、1998年に同国を襲った津波被害に対し組合員から支援の声が上がり、約380万円の義援金を送ったことから始まりました。
 これを縁に、同国の駐日大使が仲介してくださり、同大学および図書館が協力してくれることになったのです。
 学長らの取り組みも積極的で、同国にある核保有国の大使館(アメリカ、フランス、中国、インド、パキスタン)に招請状を送ってくれました。核保有国の人びとこそ、核兵器が絶対に人類と共存できないことを知るべきだと考えたからです。残念なことに1人も来ませんでしたが…。
 しかし、学生をはじめ2,000人もの人びとが熱心にパネル展を見てくれました。みな真剣に時間をかけてパネルに見入り、熱心に質問し、用意したアンケートにも応えてくれ、現地の新聞にも大きく報道されました。
 パネルの中でもっとも注目されたのは11番の「地獄」でした。「これは本当にあったことなのか?」「恐ろしい」「悲しくなる」など、私たちに直接話しかけてくる人がたくさんいました。
 ある人は、「たたかう被爆者」のパネルを見て「この裁判の結果はどうなったのか」と原爆松谷裁判に関心を示してくれました。  パネルの展示はクリスマス休暇まで継続されました。同国の新年度にあたる3月には、同図書館が主催して再開するとのことでした。

 現在、多くの生協が「世界の都市で原爆展を」と取り組んでいます。
 東京マイコープでは、平和と核兵器廃絶をめざし、とくにアジアの人びとと手を取り合ってゆきたいと考え、この三月には韓国とフィリピンで開催する予定です。

安井原爆訴訟始まる−札幌地裁

 原爆症の認定申請への却下処分の取り消しを求めた北海道の「安井原爆訴訟」の第1回口頭弁論が11月29日、札幌地裁で開かれました。
 開廷に先立つ支援者の集会では、「支援連絡会」副会長の八木靖彦さん、28人の弁護団を代表して高崎暢弁護士があいさつ。国側が全面的に争う姿勢を示していることから、裁判は長期化が予想されるが根強く支援する、と力強く述べました。
 原告の安井晃一さんは、「国の被爆者行政是正のため立ち上がった。勝つまでは絶対に死なない」と決意を語りました。 法廷では、90の傍聴席は被爆者25人を含む支援者で埋まり、入りきれない人が法廷外にあふれるほどでした。
 意見陳述にたった安井さんは、裁判長の眼を見つめつつ、被爆当時の惨禍と54年、苦痛に耐え、病魔とたたかってきた半生を語り、弁護団がこれを補強しました。
 国側は訴状の微細な点は認めたものの、安井さんのガンが原爆放射線によるものという点などについては、根本的には争う姿勢は崩しませんでした。
 次回の口頭弁論は、2月21日です。

在外被爆者への手当の継続支給要請

 在外被爆者への健康管理手当の継続支給を求めて、大阪地裁で審理中の郭貴勲裁判で11月12日、アメリカ被爆者協会の倉本寛司名誉会長と、ブラジル被爆者協会の森田隆会長が、在外被爆者の実情について証言しました。
 森田さんが証言のなかで、戦傷病者等援護法の傷害年金や軍人恩給は外国にいても支給されているとのべたことに関連して、裁判長が国側にたいして「傷害年金とくらべて、被爆者の手当を海外に送金することが立法技術上、運用上困難だという理由について、くわしく説明してください」とうながしました。  次回は、2月9日。

世界に広がるサダコ 34カ国で語り継がれて

 広島の被爆少女、佐々木禎子さんが、被爆から10年後に骨髄白血病に冒され、千羽鶴を折りながら12歳で亡くなった物語は、小説や映像で34カ国語で世界に伝えられています。日本より世界で有名なサダコ物語の広がりを、NHKの報道を交えて見ると−−。

アメリカ

アメリカ西南部・ニューメキシコ州の州都サンタフェに、地球を型どった「子どもの平和像」が建っています。
 サダコの物語と、広島に「原爆少年少女の像」が建つまでの話を聞いて感動したアルバカーキの小学生たち40人が、1990年2月に始めた運動に、世界195カ国、約5万人の子どもたちが協力し、1995年8月に完成したのです。
 子どもたちの願いは、この像を原爆発祥の地・ロスアラモスにおくことです。そのために1万人の署名も集めました。しかし議会に拒まれため、100キロ離れた州都におかれているのです。
 像には、子どもたちの見学が絶えず、折鶴がいつも飾られています。

クロアチア

クロアチアという国は日本ではほとんど知られていませんが、ここではサダコ物語が小学校の必修読本となっています。
 旧ユーゴの内戦で難民となった子どもたちは、「サダコは生きるために死とたたかった、大切なのは生きる希望を持ち続けることだ」と、サダコに励まされていると、NHKは伝えています。

スペイン

NHKが昨年8月6日に放映した特集「サダコ」によると、スペイン・バルセロナには、「サダコ学園」があります。
 31年前に、サダコ物語に感動した学校創立者が、「最後まで生きることをあきらめずにたたかう気持ちを、子どもたちに持たせたい」ということで、サダコを学園名にしたといいます。
 スペイン語の押しつけに屈せず、この地方の独自の言語であるカタロニア語を教え続けるこの学校の創立者は、「サダコは1人1人が理不尽なものに抵抗する象徴」だとも語っています。

オーストラリア

オーストラリア南部のアデレート。ここにはボスニア、クロアチア、ソマリアの内戦で親を殺され、家を焼かれた難民が祖国を離れて暮らしています。
 ここのアデレート英語学校には、対立した民族の子どもたちが同じ教室で勉強しています。
 最初は机を離して勉強していましたが、サダコの本を読み、話し合い、鶴の折り方を学ぶうちに机を寄せ合うようになったといいます。
 NHKの映像は子どもたちの言葉を伝えます。「みんな同じ人間です。過去は過去として将来にはきちんと向き合わなくてはならない。敵対していた人たちとも話し合わなければならないことをサダコが教えてくれた」。

日本では

日本ではいま、高校生と中学・小学生もふくむ「世界の子どもの平和像」を創る運動が東京、広島、京都で起きています。
 「核兵器のない21世紀に」を合い言葉に、「2001年1月1日に除幕式を」と東京では募金目標を1千万円とし、子どもたちに100円募金を訴え、デザインを募集し建立地を探しています。
 連絡先=国立市中3−1−10桐朋高校内「世界の子どもの平和像を東京につくる会」

横浜

神奈川県横浜市にあるフェリス女学院の学生たちがつくった「絵本を通じて平和を考える会SHANTI(シャンティ)」は、絵本『さだ子と千羽づる』を朝鮮語と英語に翻訳して核兵器廃絶を世界に訴えています。
 ホームページでは「核のない世界を望む人びとへ」「いま原爆を語ることとは」などのメッセージを送っています。