被団協新聞

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「被団協」新聞1999年 4月号(243号)

1999年4月号 主な内容
 
1面原爆症認定を5年も放置
「松谷」支援する会が総会
2面相談活動、研修各地で
3面『被爆者からの伝言』に感想文
3.1ビキニデーに1700人
●「核かくしかじか」
4面相談のまど

原爆症認定申請を5年も放置−異議申立てた9件に

 長崎の被爆者・松谷英子さんへの原爆症認定をめぐる裁判は、厚生省側の不当な上告によって、最高裁判所に審理が持ち込まれています。原爆松谷裁判弁護団は、一日も早く上告棄却の判決をかちとろうと、厚生省側の上告理由を打ち砕く「答弁書」の作成を急いでいます。

 これまでにまとまった分のなかで、原爆症認定についての国側の冷酷な仕打ちによって泣かされている被爆者と家族が、現在訴訟中の松谷さんと京都のKさん以外に9人もいることが明かにされ怒りをよんでいます。

 広島で28歳のとき1.5キロ地点で被爆したKさんは、95年に「肝臓がん」で認定申請を出しましたが却下され、翌年3月に異議の申し立てをし、97年6月には口頭審査もあったのに、まだ結論が出ていません。

 広島で17歳のとき1.7キロ地点で被爆したK子さんは、96年に「子宮体がん」で申請。却下されたので97年に異議を申し立て、口頭審査も求めましたがいまだに審査は実施されず、異議への結果も出ていません。

 13歳のとき広島で1.65キロで被爆したTさんは、97年に「下咽頭がん、胃がん」で認定申請をしました。翌年却下されたので異議の申し立てをしましたが、結果は出ていません。

 Mさんの場合、長崎で26歳のとき爆心から1.4キロ地点で被爆、94年6月に「白内障」で原爆症の認定を申請しましたが却下。97年9月に異議を申し立て、口頭審査も行なわれましたが結論はまだです。

 Sさんの場合、16歳のとき広島の1.8キロで被爆。1995年7月に「甲状腺機能異常」で認定を申請しました。12月に却下されたため、翌年異議を申し立て、さらに「大腸がん」でも申請しましたが、結論が出ないうちに死亡。代理人による口頭審査も行なわれましたが、いまだに結果は出ていません。

 これらの例をあげて「答弁書」は、「異議申し立てから口頭審査が行なわれるまでに2年半もかかり、その後2年近く放置されている。この間に2名が死亡した。認定審査の大幅な遅れ、全く配慮のない対応などは、冷酷無比な国の原爆症認定行政の象徴といえる」と批判しています。

 「答弁書」には、過去40年間の原爆症認定件数の推移(別表)も載っています。認定者数に大きな違いがないことについて答弁書は、「認定被爆者数を制限しているとしか考えられない」とのべ、それは「被爆から53年たっても、原爆症で発病している被害者がいることが世界に知らされることは、核兵器使用に批判が起こり、開発、保有まで禁止させられることになるからである」と断じています。

1日も早く上告棄却を−長崎「松谷」支援する会が総会

 長崎原爆松谷訴訟を支援する会は、2月27日、長崎被災協講堂で定例総会を開きました。

 総会には熊本、福岡などの代表もかけつけ、50人が参加しました。

 総会では、短期間に32万人の署名を提出できたネットワーク活動の経験に学び、100 万署名と支援する会の会員1万人の実現を柱とする今年度方針を決定しました。

 総会は、「被爆者は原爆被害を受忍しない」の決議を採択しました。

 総会第二部では、完全勝利となった京都原爆症裁判を担当した尾藤廣喜弁護士が、裁判の経過と判決の意義を報告。連帯の寄せ書きを原告と弁護団に贈られました。