被団協新聞

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「被団協」新聞1998年 9月号(236号)

1998年9月号 主な内容
 
1面 つたえよう ヒロシマ ナガサキ
世界300ヵ所で「原爆と人間展」を
2面アメリカ遊説団実相普及
島根・大田市で相談員研修会
3面各地で「原爆と人間展」
原爆死没者の肖像画
『核の20世紀』にJCJ賞
4面相談のまど

つたえよう ヒロシマ ナガサキ 実相普及へ被爆者一丸

なまの証言交え'98のつどい 原爆展運動の広がりスライドで 広島

日本被団協と広島県被団協が主催する「つたえよう ヒロシマ ナガサキ '98広島」のつどいが8月5日、広島市中区のJA会館で350人が参加して開かれました。

 伊藤サカエ日本被団協代表委員が、「命ある限り人間の生きる世の中をつくるためにがんばる」と主催者あいさつ。

 つづいてスライド構成劇「つたえよう ヒロシマ ナガサキ―証言とスライドでつづる被爆53年」の上演。被爆者7人と子どもが朗読役、それに「原爆と人間展」パネルに載っている伊藤代表委員、坪井直広島県被団協事務局長、松谷英子さんが本人証言をし、聴衆の感動をさそいました。

 藤平典事務局長が「日本被団協からの訴え」を行ない、池田眞規弁護士が「松谷裁判の意義と最高裁でのたたかい」を講演。インド、パキスタンの代表らが連帯のあいさつをおくり、アピールを採択して閉会しました。

 なお、この日のつどいに合わせて「原爆と人間展」パネルの証言部分をパンフレットにした小冊子(1部200円)が発行され好評をよびました。

「松谷裁判」勝利へのつどい 長崎

 「原爆松谷裁判の最高裁での勝利をめざすつどい」が8月8日、長崎市民会館で開かれ120人が参加しました。原爆松谷裁判ネットワーク、長崎原爆松谷訴訟を支援する会、日本被団協が共催したものです。

 まず、日本被団協の山口仙二代表委員が主催者あいさつ。日本青年団協議会の佛木完事務局長をはじめ、ネットワーク参加団体の代表がそれぞれ決意を述べました。

 安原幸彦弁護士は「最高裁でのたたかいについて」を明快に講演。最高裁勝利で政府の被爆者対策の抜本的見直しを―と結びました。

 初上演の笑劇「『マッチャ裁判』―何を裁くか最高裁―」には、大魔王アメリカニウスや魔女ジャポニアなどが登場。会場は爆笑につつまれながらも、身勝手な魔王・魔女たちへの怒りがふつふつ。「裁判の本質がよくわかる」と評判でした。

 松谷英子さんは「支援の広がりに励まされています。最後までがんばります」と決意表明。

 最後に、(1)最高裁要請100万署名の達成、(2)裁判官への上申書運動、(3)シナリオ「マッチャ裁判」の普及と上演運動―の3つが行動提起され、参加者で確認しました。

「世界300ヵ所で『原爆と人間展』開こう」 日本生協連が海外贈呈運動を提唱

 日本生活協同組合連合会(日本生協連)は、8月5日に広島で開いた「虹のひろば」で、原爆展パネルを世界に贈る運動を推進することを決めました。

 これは、全国50以上の生協が贈り主となり、世界各地の300以上の団体に「原爆と人間展」パネルをはじめとした資料を贈呈する運動で、2000年までを目安に取り組まれます。

 すでに、生協ひろしまのよびかけで、ロシア、イギリス、イタリアなどの友好関係のある生協に「原爆と人間展」パネルが贈られていますが、今度の提起では、原爆展開催を約束してくれる団体であることを前提に、各生協のある地元自治体の姉妹都市などにも贈り先を拡大します。

 とくに非核地帯化が進展していない北半球の国ぐにを重視しています。

日本被団協アメリカ遊説団、18日間ワシントン、ニュージャージーで実相普及

 7月26日から8月12日まで、日本被団協遊説団がアメリカで、被爆の実相を広げました。参加した4人の代表のレポートと感想を編集部でまとめて報告します。

 遊説団参加者は、上本重雄(70歳=埼玉・和光市)、向井宏子(59歳=神奈川・川崎市)、木原千成(67歳=山口・防府市)、山田ヤスヱ(55歳=長崎市)各氏。

婦人の国際会議で被爆体験切々と

 7月26日夜ワシントンに着いた一行は、ルイーズさん、ジョンさん夫妻など10人の温かい歓迎を受けました。

 28日の婦人国際平和自由連盟(WILPF)定期総会軍縮問題分科会で山田さんと向井さんが体験を語りました。

 3歳のとき長崎で被爆した山田さんは、祖母とおじ、父、母、祖父の順で次つぎに家族を失ったことを語り、「50年たっても原爆は被爆者とその家族に苦痛を与えている」と語りました。

 5歳のときに広島で被爆した向井さんは、弁当箱を学校に残したまま消えた兄のこと、家の下敷きになっていた少女を助けた母のことなどを証言し「命あるすべての生物、植物と共存する美しい地球を」と訴えました。

 上本さんは全体会で「二度と核兵器は使われてはならない」と訴え、参加者全員から立ち上がっての拍手をうけました。

キング図書館で「原爆と人間展」

 31日には、ワシントンのマーティン・ルーサー・キング図書館で8月4日から開催される「原爆と人間展」を前にして、20分ずつのインタビューをうけました。

 木原さんは、広島で被爆し裏山に逃げたこと、翌日爆心地を通ったときの惨状と怖さは53年たっても忘れえないと語り「かけがえのない地球のために核兵器廃絶を」と訴えました。 8月3日、上本、山田両氏はニュージャージーへ向かいました。

ぼくの体には平和がいっぱい

 ワシントン組は、4日の「原爆と人間展」オープニングレセプション、5日のリンカーンメモリアルでの100人参加の広島・長崎祈念行事、6日のホプキンス大学前広島祈念行事、7日の子ども平和キャンプ、8日のホワイトハウス前長崎祈念集会などに参加しました。「子ども平和キャンプ」に参加しての帰り、向井さんは、母と子の会話を聞きました。「お母さんはいつから平和運動しているの」「あなたがお腹の中にいるときからよ」「ではぼくの体は平和がいっぱいつまっているのだ」。向井さんは書いています「何と美しい母と子の会話ではないか」「私はアメリカの真摯な平和運動家の輝ける目を心を決して忘れない」。

 木原さんは、ホワイトハウス近くの路上で被爆写真を展示して、17年間も反核平和の座り込みをしているピシオットさんと話し合いました。

 予定外に8日、「防衛情報センター」を訪ねました。ペンタゴンとは仲良くない民間団体だそうです。「日韓駐留米軍は帰国すべきだ」「アメリカの核政策は間違っている」など、きびしい情報を公共テレビ、ケーブルテレビで伝えています。

テレビで生中継  プールで灯ろう流し

 ニュージャージーへ向かった組は、5日夜にプリンストン大学で200人参加の広島祈念式典で証言しました。体験はテレビ、ラジオで生中継されました。女性9人による水中鎮魂ダンス、プールに灯ろうを浮かべての追悼などがありました。

 7日にはペンシルバニアのニュータウンで広島、長崎合同祈念式が80人で行なわれ、「体験を聞いて被爆の実態がよく分かりました」と励ましのことばをうけました。

 9日にはフィラデルフィアの公会堂で50人の長崎祈念式典。「原爆を落としたアメリカが悪かった。被爆者のみなさんには長い間辛い思いをさせてごめんなさい。核兵器廃絶に向けていっしょにがんばりましょう」と堅い握手を求められて感動しました。

ニールさんに感謝、感謝

 最後に、17日間宿舎を提供してくださったニールさんに心から感謝します。コシヒカリ、ノリにコンブ、味噌、箸、どんぶり、茶碗まで用意してくださいました。遊説団が健康で過ごせたのもニールさんのおかげです。

鎮魂の思い込め各地で「原爆と人間展」

 今夏も被爆体験を語り継ぐ活動が各地で取り組まれ、反響をよんでいます。編集部に寄せられた通信から紹介します。

 福井市原爆被害者福友会は8月12日から19日まで、市役所1階市民ホールで「原爆と人間展」を開催。1800人が参観し、国会請願署名が360人分寄せられました。福友会としては初めての取り組みで、大成功でした。(三上正治)

 愛媛では8月4日から6日まで、松山市の愛媛新聞社1階ロビーで「原爆と人間展」を開催。2日には、三津浜の商店街でもパネルを展示しました。(古川唯雄)

 秋田では、7月30日から8月2日まで秋田市のアトリオンで「原爆と人間展」を開催。1100人以上が参観し、感想が多数寄せられました。

 群馬では、群友会の高崎支部が8月初旬に、市内の4公民館を巡回する「原爆と人間展」を開きました。パネルは高崎支部のすすめで市が購入したものです。(宮原文雄) 

 三重では、被団協が原爆展を開く一方、自治体に主催を要請。非核宣言をした県がパネルを購入したのをはじめ、7月末から年内にかけて50県市町村が「原爆展」開催計画を決定。このうち8月末までに38市町村が実施しました。

 兵庫では、神戸市原爆被害者の会が8月21日から25日まで、神戸市のハーバーランド・デュオ・ギャラリーで「原爆と人間展」を開催。国際都市だけあって外国人の来館も多数あり、8000人を超える市民が参観しました。

追悼碑除幕に500人 石川

 

石川県原爆被災者友の会が建立をすすめていた原爆犠牲者追悼碑「平和の子ら」(5月号報道)の除幕式が、8月9日に金沢市の卯辰山公園で行なわれました。

 式典には、被爆者・遺族をはじめ、知事・市長など約500人が出席。除幕された碑に、20校にもおよぶ小・中学校の児童代表が折り鶴を飾りました。

 碑文は「忘れまい広島・長崎を/ふたたびつくるまい被爆者を/核のない平和な世界を子どもらに」と、被爆者の切なる思いが刻まれています。(西本多美子)

原爆死没者の肖像画 第46回平和美術展で25点展示

 

第46回平和美術展が7月30日から8月11日まで、東京・上野の東京美術館で開かれ、原爆死没者の肖像画25点が展示されました。

 地下展示室の石の壁面いっぱいに並べられた肖像画は、訪れた人々を静かに見つめ、無言のうちに原爆のむごさと平和の尊さを訴えているかのようでした。 この肖像画は、各都道府県被団協を通じて遺族に贈られます。

 会場で30,892円のカンパが寄せられ、日本被団協に届けられました。

『核の20世紀』にJCJ賞

 平和博物館を創る会と日本被団協が編集・出版した『核の20世紀』が、1998年度の日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受賞しました。  会場で30,892円のカンパが寄せられ、日本被団協に届けられました。

 受賞理由は、「多くの市民と写真家の協力をえた長年にわたる努力の結果、核の恐怖、ヒバクの実態を21世紀に伝え、遺すすぐれた写真集をつくりあげた」というもの。

 8月15日には、贈賞式が「8・15ジャーナリストと市民の集い」で行なわれ、創る会の市田真理さんが受賞のあいさつをしました。