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「被団協」新聞1998年 7月号(234号)

1998年7月号 主な内容

日本被団協定期総会
●特別決議
中央相談所が第21回定期総会
「原爆と人間展」パネル

核兵器廃絶へ命のかぎり

日本被団協が第43回定期総会

 日本被団協の第43回定期総会が、6月8、9の両日、東京・本郷のホテル機山館で、40都道府県の代表120人の参加で開かれました。

 開会冒頭、伊藤サカエ代表委員はインド、パキスタンと核保有国をきびしく批判し、「来年は88歳。抗ガン剤を飲みながらきている。死んだ人になりかわって、いまこそ命のかぎり核兵器廃絶のためにたたかおう」と力強く挨拶しました。

 議事では、「私たちをとりまく情勢」と「活動報告案」を小西事務局次長が提案。決算報告と監査報告とあわせて質疑討論をして採択しました。  2日目には冒頭で「原爆松谷裁判の最高裁での審理」と題して、弁護団の安原幸彦弁護士が最高裁への運動について分かりやすく話をしました。

 つづいて原告の松谷英子さんがたたかう決意をのべ、あたたかい激励の拍手をうけました。

運動方針提案は藤平事務局長、国民運動要項の提案は山本事務局次長、予算提案は飯田事業財政部長がおこないました。

 討論では「原爆と人間展」パネルを使っての実相普及、アメリカ、インドなど海外遊説の経験、松谷裁判勝利をめざす運動など、実践をふまえた発言がつづき、三提案を採択しました。

 役員については選考委員会の報告をえて、三代表委員と事務局役員全員の留任を承認しました。

 総会決議と、特別決議を採択し、全員合唱のなかで総会を終えました。

 総会ではまた、日本被団協史委員会がまとめた『日本被団協史−時代のあらまし−』(14ページ)と『都道府県被団協史(抄)』(50ページ)が刊行・配布されました。

核廃絶の国際条約結べ

特別決議で核保有国に要求

 日本被団協総会は、二つの決議を全会一致で採択しました。

 総会の一般決議では、被爆の実相普及と原爆被害への国家補償実現の運動の強化、原爆松谷裁判の勝利をめざす運動の強化を確認しています。

 今総会の特徴は 特別決議 で、インド、パキスタンの核実験によってつくり出された情勢に即して「南アジアでの新たな核危機にあたり核保有国と日本政府に要求する」決議となっています。

 核保有5カ国と、新たに核保有をめざす国に廃絶条約の締結を迫り、日本政府が尽くすべき責務を怠ったことを糾弾して、廃絶のための努力をせよと要求しています。

「核容認」だから「補償」拒む

運動方針

 総会に提出された議案は、5月初旬までの情勢にもとづくものでしたので、5月末に行なわれたインド、パキスタンの核実験と、それによって引き起こされた新たな情勢が補足提案されました。

 このうえにたって運動方針は、「核兵器のない21世紀」「ふたたび被爆者をつくらせない」ために、いまこそ核兵器廃絶国際条約の締結を迫っていくときであり、被爆者は命のかぎりその実現にむけて運動をすすめていくことを確認しました。なかでも日本政府が核兵器廃絶を「究極的」課題としていることが核の拡散を許してきた根源の一つになっており、原爆被害への国家補償を迫っていく運動を、核兵器廃絶運動と一体のものとしてすすめていくことを確認しました。

 運動方針を具体化する「国民運動要項」では、7月〜8月を被爆の実相普及強化月間、9月〜10月を原爆松谷裁判運動強化月間、11月に全国代表者会議と中央行動、12月〜1月を相談活動強化月間とし、節目を設けた活動を全国的に行なうことにしました。

 実相普及月間では「原爆と人間展」パネルを累計800セット普及し、現在すすめている国会請願署名を10月末までに100万人分集めること、地方自治体の首長・議長、国会議員に賛同署名を訴えること、原爆松谷裁判運動では最高裁への要請署名を11月までに百万人分集めることなどを確認しました。

 これらの国民運動をすすめる資金として、地方還元分を含めて今年は1,700万円を、7月と12月に被爆者と国民各層に訴えることにしました。

原爆展で多彩な実践

活動報告

 活動報告では、97年7月に、著名71氏による「つたえよう ヒロシマ ナガサキ」のアピールが出たことが励みになって、「原爆と人間展」パネルをつかっての実相普及、被爆体験の語りつぎ運動が多彩に広がったことが確認されました。目標を立てて普及した経験も出されました。

 アメリカの臨界前核実験、インド、パキスタンの地下核実験に全国の被爆者が抗議の声をあげたこと、核兵器問題が53年前のことでなく世界政治のいまの問題であることが強調されました。

 福岡高裁で長崎原爆松谷訴訟が全面勝利したことは、被爆者みんなを確信づけました。厚生省の不当な上告への強い怒りが語られました。

 現行法を活用して特別葬祭給付金の受給をすすめたり、慰霊事業の活用の経験も出されました。

 広島市が原爆資料館を外部委託にすることについての広島県被団協の反対要請に、日本被団協はじめ各地から反対声明が寄せられて励まされたとの報告もありました。

「総当たり」で相談強化

中央相談所が第21回定期総会

 中央相談所の第21回定期総会が6月8日、東京・本郷のホテルで開催され、全国から85人が参加しました。

 総会では、相談が昨年度は5,221件寄せられたこと、高齢化に伴って老人ホームや葬祭料などの相談が増えていることなどが報告されました。

 高齢化する被爆者の問題は、被爆者対策だけでは解決できません。医療や社会福祉の後退がすすむなか、これ以上の後退を許さないために、地域の関係団体といっしょに運動することの大事さが強調されました。

 また、「被爆者総あたり運動」にとりくみ、相談・援護活動を強め、原爆展などで体験を語る被爆者を発掘するなどの事業計画を決めました。

 今年度の相談事業講習会は、北海道、山形、埼玉、愛知、奈良、山口、高知、宮崎の8カ所で行なわれる予定です。

5党と要請懇談

県代表は地元議員訪問

 日本被団協総会翌日の6月10日、21都県の代表72人が参加して政府・国会要請行動が行なわれました。

 政党要請で、民主党は「松谷訴訟では、厚生省に上告の断念を求める党談話を出した」と説明。

 公明は、「いまの援護法には反対であり、国家補償をするよう全力をつくす」と約束。

 社民党は「核兵器廃絶の国際条約を結ぶよう政府に強く要請する」と述べました。

 共産党は、「核兵器保有国と日本政府に、期限を決めて核兵器廃絶の交渉を開始するよう書簡を出した」とのべました。

 改革クラブでは広島選出の議員が「核の恐ろしさはよく分かっている」とのべました。

 国会議員要請では、各県代表が地元選出議員を訪ねて懇談しました。ある県の代表が議員を訪ねると「うちの県に被爆者の会があることを初めて知ったといって驚いていた」と報告、議員訪問の大事さを教えました。

 政府交渉は、厚生省と外務省にたいして、予定時間を大きく超えての要請をおこないました。

「原爆と人間展」に大反響

 神奈川県では6月4日から8日まで、横浜駅そごうデパート地下正面入口の通路を会場に「原爆と人間展」を開催。これは神奈川県原爆被災者の全会も参加する実行委員会が主催したものです。

 今回は、ひとりでも多くの人の目にふれることを意識してこの会場を選定。パネルのほかに広島の資料館から借りた遺品、県内の被爆者が描いた「わたしの見たあの日」の絵も注目を集め、「原爆と人間展」は大盛況となりました。

 背広姿のサラリーマンから茶髪にピアスの若者、買い物袋を持った主婦など、あらゆる層の人が熱心にパネルに見入り、連日数千人が来場。最終的には3万人以上の参観と60万円を超えるカンパが寄せられ、私たちの方が驚くほどでした。

 神奈川県被団協ではこの成功をバネに、今後は各地域で網の目に「原爆と人間展」を開いていく方針です。(中村雄子)

全都レベルで初の「東京原爆展」

 「つたえようヒロシマナガサキ 東京原爆展」が6月20日から30日まで、JR大崎駅前のO(オー)美術館で行なわれました。

 「原爆と人間展」パネルのほかに、広島から95枚のパネル、27点の被爆資料、長崎から30枚のパネルと10点の被爆資料を借りての大がかりな原爆展でした。

 「広島、長崎に行けない人のために」という思いも込めたこの原爆展を成功させようと、実行委員会に28団体、賛同団体には155、賛同個人は700人を超える支持が寄せられ、320万円の賛同金が寄せられました。

 原爆展には、小・中の生徒や高齢者の会員の集団参観や、昼休み時間にのぞいてみたというサラリーマンなど、合計3,000人が参観、30万円の会場カンパ、300人の国会請願署名が寄せられました。感想文は1,000通に達しました。