被団協新聞

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「被団協」新聞1997年 6月号(221号)

【原爆展パネルかかげ、若者たちといっしょに平和行進】

 8月の広島・長崎をめざして東京を出発した平和行進は、5月19日に静岡県に入りました。

静岡県被団協会長の杉山秀夫さんは、 日本被団協が制作をすすめている『原爆と人間展』パネルの見本を かかげて行進。 通過する自治体に、そのつど要請を行ない、自治体での原爆展の開催、そのための パネルの購入などを訴えています。

若者を動かす力

 平和行進には、東京から広島まで歩き通す行進者がいますが、そのほとんどが二十代の若者。最年少は19歳の女の子です。

 通し行進者の団長を務める大阪いずみ市民生協の山重俊也さん(28歳)は、歩き通そうと決意したきっかけを、「いっしょうけんめい運動する被爆者の姿に感動したから。ぼくも何かしなければ、と本気で思った」と語ります。

 ほかの若者たちの行動のきっかけも、「被爆の事実や被爆者の願いにふれたこと」と、不思議に一致していました。

 原爆とたたかう人間の姿が、若者の心に感動を与え、行動にかりたてているようです。

 「被爆者といっしょに歩ける機会を大切にしたい」と、若者は被爆者と心をひとつにして歩きます。

 『原爆と人間展』 は各地で待たれています。

【在韓被爆者への健康管理手当】

 被爆者援護法にもとづいて、日本にいるときには健康管理手当をうけていたのに、韓国に帰ったら打ち切られてしまった、これは被爆者援護法の趣旨からいって不当だとして、厚生省に行政不服審査法による再審査請求を出していた案件で、厚生省は4月8日、この請求を却下しました。

 請求をしていたのは、韓国釜山市に住む沈載烈(シム・チョエル)さん(71歳)です。

 広島市皆実町で被爆した沈さんは、昨年1月渡日治療で来日、運動器機能障害で健康管理手当の認定をとり、2月分と3月分を受給しました。しかし、3月に帰国したところ、4月分から打ち切られました。

 沈さんは、「同じ被爆者なのに、国外の被爆者に手当が支給されないのは納得いかない」として、広島県に不服審査を請求しました。

 県は、「国内にいないものには支給しない」と却下。このため、昨年8月、国に再審査請求を出していました。

 厚生省の裁決書では、「被爆者援護法は、国内にいる被爆者を対象とするものであり、在外被爆者には適用されない。居住地を国外に移したら失権する」としています。

 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の豊永恵三郎支部長らは、4月30日に記者会見し、「被爆者援護法にないことを制度などという国の主張は認められない」と国の態度を激しく批判しました。

 広島大の田村和之教授や弁護人も、(1)援護法には国籍条項や居住地の規定はない、(2)戦傷病者遺族等援護法など、公的年金は国外に出ても失権しない−などとのべ、支援をする構えです。

 在外被爆者への援護法の適用は、日本被団協が政府、政党、国会議員へ強く要請している問題です。広島での今後のとりくみが注目されます。

【化学兵器の全面禁止−なぜ核兵器は禁止しない】

 化学兵器の開発、貯蔵、使用を全面禁止し、現存する化学兵器も10年以内に全廃する化学兵器条約が4月29日発効しました。

 2007年には、この地球上から化学兵器が一掃されることになるわけで、画期的な意義を持ちます。

 化学兵器の残虐さは、ベトナム戦争のさいアメリカ軍が使った枯れ葉剤で、生きている人びとを殺傷したうえ、生まれてくる子どもたちに異常をもたらしたことで知られています。製造の段階から危害を加えることでは、広島県大久野島で、旧日本軍の化学兵器製造にたずさわった人びとが、生涯治ることのない後障害に冒され、今も苦しんでいる事例で明らかです。

 このような兵器が全面禁止されることは、被爆者も全面的に歓迎です。

 しかし、私たちが何としても理解できないのは、化学兵器が禁止されて、なぜ、核兵器が禁止されないのかということです。

 核兵器は広範囲、無差別に人間を殺傷し、生き残ったものにも生涯にわたる苦痛を強い、、二世、三世にもつづく不安を与える兵器です。比較するのは適切ではないかもしれませんが、その無差別性と残虐性においては、化学兵器より何倍も残酷な悪魔の兵器です。

 核兵器を「国際法違反」といわない日本政府も、化学兵器禁止では38番目に批准書を寄託しました。

 化学兵器を禁止した人間の英知があるのなら、核兵器を禁止する英知もあるはずです。化学兵器を禁止させた世論と運動を、核兵器禁止へつなげ、実現させていくチャンスです。