■碧電雁八駅第1展示室

20.1.2 古い記述を修正
荷物列車、貨物列車(電気機関車)

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。

EH10
パンタグラフがPS22に取り換えられた11号機

2車体連結で雑誌などではマンモス機関車と表現されました。晩年にはパンタグラフが下枠交差型のPS22に交換されたものが現れましたが、大型の車体にはアンバランスに感じられました。
 まっ黒な車体で小学生の頃はあまり好きではありませんでしたが、1980年、まだ30年も走っていないのにいよいよ消えていく時にはいとおしく思ったものです。

EH10(試作機)
EH10の試作機は失敗作のこの1枚しか撮れていない。

1号機から4号機までは試作機で、パンタグラフが中央寄りに設けられ、5号機以降とは印象が異なりました。小学生の初心者らしい失敗作ではありますが、試作機の写真はこの1枚しかありません。
 次位は自動車運搬車で、専用列車だったのかと思いましたが、その次はネガの隅っこに「ワム」が写っていました。車運車は「バラ」でも運用されていたことがわかります。

EF58
EF58の1号機が牽く荷物列車

1975年3月に急行「桜島・高千穂」が廃止されると、日中の定期列車は荷物列車のみの担当となりました。EF58は初期のものから引退して行きましたが、1号機は比較的遅くまで残っていました。
 同機は最後まではもちませんでしたが、僚機は1984年3月、EF62に交代して荷物列車の仕業から降りるまで活躍しました。

EF58(茶色)
荷物列車を牽くEF5860。60号機晩年の日常であった。

碧海猿渡駅第1展示室ではEF5860の荷物列車の撮影はことごとく失敗で、まともな写真がないと書いています。ポジフイルムを使い始めて間もない頃に撮ったこの写真も、露出を正しく計る技量が身についていないがための失敗でした。それでも、デジタル化の過程で暗さをかなり救済することができました。
 この日は8103列車でスロ81系(大ミハ)の団臨があり、そのついでに撮ったものです。60番に当たる可能性は低かっただけにラッキーでした。
 翌1983年には検査期限接近のため臨時列車をたまに牽く程度になりました。

EF60
1つ目のEF6054が牽く貨物列車

ED60から始まった直流高性能電気機関車の6動軸タイプ最初の形式です。83号機まではヘッドライトが1つですが、84号機からは2つとなってサイドの窓、エアフィルターの配置も変わりました。EF65基本型と外観上の区別は事実上できないほどよく似ています。
貨物列車の減少によって余剰気味となり、一部は高崎第2機関区へ転じて旧型電気機関車の置き換えに回されました。

EF60500番台(一般塗装)
EF60509が牽く貨物列車

ブルートレイン牽引機としてはEF65500(P型)の先輩格、EF60500番台が当初の目的に使われたのは1963年12月からわずか2年足らずでした。その後は貨物用に転用され、塗装も一般型と同一になりました。
 東海道を離れて八王子や高崎で過ごした後、1986年3月からは思いも寄らぬ竜華機関区に転属しました。新天地である阪和線、紀勢本線では再び定期旅客列車の先頭に立ちましたが、その活躍はわずか1年弱でした。
 黒潮薫る海岸沿いを12系や各種ジョイフルトレインを牽いて走った1年間はEF60500にとって最後の華だったのかも知れません。

EF61
EF611牽引の荷物列車

わずか18両しか製造されなかったEF61は荷物列車がEF62に置き換えられる直前まで浜松までの運用に充当されていました。EF62が運用を開始するまでのつなぎは下関に集められたEF58が担当し、古いゴハチよりも先に姿を消しました。
 クイル式という特徴的な駆動方式が発する独特の走行音や名古屋駅でSGの蒸機を吹き上げながら客車の入換をする姿が思い出されます。

EF62
東海道、山陽線で荷物列車牽引の任に就いたEF62

信越本線の碓氷峠をEF63との協調運転によって越えるために製造された形式です。荷物列車を牽引していたEF58の老朽化のため、置き換え用の機関車が検討されましたが、信越線の貨物列車廃止、客車列車の大幅な減少によって余剰となっていたこと、さらに決定的だったのが客車に供給する暖房用の電源装置を持っていたことが意外な抜擢に至りました。
 関係各所の訓練の後、1984年3月から運用を開始しました。
 元々勾配区間用に設計されたため下関までの1000kmを越えるような高速ロングラン運転には適さず、東海道、山陽線で活躍を開始した当初は故障が多発しました。
 予期せぬ活路を見いだしたEF62でしたが、1986年末には荷物列車自体が廃止され、その活躍は長くは続きませんでした。

EF65一般型
国鉄時代の典型的な貨物列車(EF6535)

EF65は東海道、山陽線の貨物列車の主力として君臨しました。いつでも撮れて番号による個性に乏しかったせいか、意外と写真が残っていません。記録のノートやネガカバーをひっくり返して国鉄時代に定期の貨物列車を牽いている写真を探したところ、モノクロの1コマがやっと見つかりました。当時はただ何気なくシャッターを切っただけで、スキャンするまではプリントすることもなかったお蔵入りしかけた1コマです。
 1984年2月の貨物列車大削減以前の撮影のため、緩急車(車掌車)あり、タンク車あり、無蓋車(屋根のない貨車)ありの当時らしい編成です。

EF65F
EF65F牽引の一般貨物列車

高速貨物列車を牽引するために登場したグループです。P型と同じ500番台ですが、513〜526、532〜534が該当します。重連総括制御、ブレーキ装置、連結装置などの仕様が一般型とは異なっていました。
 国鉄末期の頃は稲沢と沼津に配置されていましたが分割民営化を前に高崎機関区に転属して東海道を去り、全機が貨物会社に引き継がれました。

EF65PF
大型のPS17型パンタグラフ付きEF65PFの初期タイプ

正面に扉があり、塗り分けも異なるため、同じEF65ながら基本番台とは印象がかなり違います。
 貨物列車を牽引していたものは東北本線へと転属し、一時は見られなくなっていましたが、後に若番数両が稲沢へ転入して東海道に返り咲きました。
 1978年にはEF65Pのブルートレイン牽引による酷使によって故障が多くなってきたため、新製のEF65PFに置き換えられ、その後は団体臨時列車用のEF58も同型に置き換えられました。
 初期タイプが牽く貨物列車の写真を探していたところ、モノクロの1コマが見つかりました。原板はネオパンF(ISO32)を特殊現像でISO100に増感したものです。当時は現像技法もいろいろ試していました。

EF66
EF6627牽引鮮魚高速貨物列車

EF65を大幅にパワーアップし、古さを感じさせないデザインのEF66ですが、1970年代は運用に余裕があり、本領発揮とまでは行っていませんでした。思い出の鮮魚列車用の真っ白な冷凍貨車はEF66に似合っていました。
 写真は偶然にもEF6627号機。同機は貨物会社引継ぎ後の更新工事においても可能な限り外観を損なわないように配慮され、EF66基本番台唯一の稼働機であることは改めて記すまでもありません。

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