■碧海猿渡駅第1展示室

その1:EF58の活躍

名古屋よりも東では1975年の急行「桜島・高千穂」の廃止によって日中の優等列車の運転がなくなり、EF58は定期では荷物列車のみの担当となりました。(深夜〜未明には特急「紀伊・いなば」急行「銀河」を牽いていました。)しかし、臨時列車については1980年に新製のEF65PFが進出して来るまではほとんどEF58の独壇場でした。
 1970年代までが全盛であったEF58には晩年、塗装(お召し列車用60、61号機のみ茶色)正面窓の形態、パンタグラフ、エアフィルターなどが製造時期、配置機関区、検査担当工場の手法の違いからかなりのバラエティーが発生しました。その結果、同じEF58型でも個性があり、趣味的にはあたりはずれが大きかったため、やってきた番号によって一喜一憂しました。


(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。
リバイバルトレイン特急「つばめ」
EF5861牽引のリバイバル特急「つばめ」

「つばめ」といえば東海道線の名門の特急でしたが、1964年の新幹線開業時に姿を消しました。
 1981年、増収のためのアイデアをひねっていた当時の国鉄はその「つばめ」を客車列車当時のダイヤで東京ー大阪間を走らせるイベントを計画しました。企画は大当たりで、乗車券は即日完売しました。
 牽引機は期待どおりEF5861で、茶色の車体に白いヘッドマークが映え、沿線ではファンの熱い視線を浴びました。
 定期列車のダイヤを変更して、快速をも待避させる殿様列車はまだ電車の本数が少なかった時代であったために実現できたものでした。

EF58129+43系相撲巡業列車
EF58129牽引43系相撲列車

相撲の場所間の地方巡業には臨時列車が仕立てられました。上下関係を重んじる相撲界のこと、一般車だけでなくグリーン車が連結されていました。青い43系客車で組成された編成は急行「桜島・高千穂」の半分の長さでしたが、同列車を彷彿させるものがありました。当然ながら乗客は力士ばかりで、威圧感を感じました。
 7月の初め、吾妻線に撮影に行ったときお会いした同好の方から今月の臨時列車情報をいろいろと教えていただいたために得られた成果でした。教えられたとおりにやって来る臨時列車は夢のようでした。

EF5836 臨時荷物列車
側面窓が多いEF5836牽引の臨時荷物列車

宅配便の隆盛が国鉄の荷物列車が廃止された原因の1つに挙げられるのは間違いありません。しかし、1970年代には年末には荷物輸送量が増加するのに伴って、臨時の荷物列車が増発されるほどに活気がありました。
 従来のデッキ付き車体で製造途中に流線型の車体に設計変更された2両の内の1両、36号機は側面窓の数が多い変形機で、ファンの人気の的でした。
 正面窓を支持するゴムの色が白いゴハチは好きではありませんでしたが36番だけは別格でした。

EF5860 ミステリー401
EF5860の実質上のさよなら運転、ミステリー401

お召し列車用の指定を解除されてからは青いEF58に混じって荷物列車の牽引に当たっていた60号機は、老朽化と検査期限の関係で1983年に引退することになりました。検査期限が迫り、浜松機関区で長らく休車になっていましたましたが、春休みに静岡鉄道管理局主催の行き先不明列車「ミステリー401号」を牽引し、それが実質上のさよなら運転となりました。
 かなり前からファンの間ではこの列車のことがひそかな話題となり、行き先不明のため苦労しましたが、直前までになんとか往復とも刈谷を通るとの情報を入手することができました。
 復路の写真はこちら

EF585 長野局のスロ81系
EF585牽引長野局のスロ81系お座敷列車

この頃からだったと思いますが、鉄道ダイヤ情報に団体臨時列車の運転情報が掲載されるようになりました。この頃のダイヤ情報は年4回発行の季刊であったため、3ヶ月も先の情報などあまり当てにはならないほど変更、取り消しが多発しました。○○駅何時頃程度の精度しかなく、かなり早く行って待っていなければなりませんでした。
 来なくて元々の覚悟が必要でしたが、先台車が変形の最若番5号機がスロ81系お座敷客車を牽いて来れば寒い中延々待った努力が報われたというものです。

EF5860 輸出用電車甲種輸送
輸出用の甲種車両を牽引する元お召し予備機EF5860

元お召し予備機EF5860を撮りたくて中学生の頃、学校帰りに1ヶ月間毎日荷33列車(PM6:00頃通過)を狙いに行ったことがあります。同機の荷物列車はひどいぶれ、大アンダー、シャッターロックなどこれでもかというほど失敗し、とうとうまともな写真がありません。
 しかし、写真の海外向け電車の甲種鉄道車両輸送は転校を間近に控えたM(1)君ととりあえずのお別れとなる日、全くの偶然に撮影できた「たなぼた」でした。(ほんとうにぼた餅のような色で・・・)荷物列車の時間でもないのに近づいてくる茶色のボディーに目を疑いました。
 人生並々ならぬ努力が報われないことがあれば、なんの努力もなしに思わぬ収穫にありつけることもあるものです。

EF5891 12系お座敷客車「白樺」
この地に初めてお目見えした長野局のお座敷客車「白樺」

 1983年夏、長野鉄道管理局のスロ81系は12系を改造した「白樺」に置き換えられました。色が違うらしいと噂は聞いていましたが、当時、客車は青か茶色が当たり前と思っていたため、オリジナルの12系とは全くイメージの違う塗装は奇抜に思えました。「白樺」はその後廃車までに2回の塗色変更を受けますが、個人的には最初の塗装がいちばん良かったと思います。
 宮原区のEF58またはEF65の共通運用の予定で、EF65が牽いて来る覚悟をしていたところ、浜松のEF5891が牽いてきました。

EF5812 14系欧風客車「サロンエクスプレス東京」
毎年大晦日恒例、お伊勢さん参りの団体さん。

 欧風客車「サロンエクスプレス東京」はデビュー以来、毎年のように大晦日に名古屋まで下り、1月2日に帰ってゆく運用がありました。EF58が牽いている頃はこの列車を撮り納めにしたものです。

EF58150 スロ81系お座敷客車
暖房の供給が必要なスロ81系お座敷客車だけはEF58の限定運用。

 各地に配置されていたスロ81系は老朽化のため12系への置き換えが進んでいましたが、改造後の経年が浅かった東京南鉄道管理局(品川)と大阪鉄道管理局(宮原)のスロ81系はまだまだ元気でした。1984年2月のダイヤ改正では団体臨時列車の牽引はほとんどEF65PFの担当となりましたが、冬季のスロ81系は暖房の蒸気を供給する必要があったためEF65化できませんでした。そのために、東京、宮原両機関区に各3両のEF58が残され、冬場のスロ81系の団体臨時列車はしばらくの間EF58が限定で使用されました。特に宮原の3両はいずれも前面窓がゴム支持に改造されていない原形のもので、ファンを喜ばせました。
 春休みに帰省した翌日、宮原のスロ81が好天の下をEF58150(宮)に牽かれて下っていきました。同機は一旦廃車になったものの車籍復活され、JR西日本に引き継がれました。

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