ソォールマン〜Marmara Denizi, Istanbul
 
ソォールマン
〜 Marmara Denizi, Istanbul
 

   手を伸ばせば届きそうなほど近くに、沈没した船の残骸が錆ついた船腹をさらしている。ボロボロになった外見からは相当な時間が経過したようにも思われるが、水面に突き出した船首は現代のものと変わらない。意外と最近の出来事なのかもしれない。
 沖合に向かうにつれ、そんな景色が次から次へと目に飛び込んでくる。海岸美を色彩どる岩礁のように、あるいは無差別にばら撒かれた地雷のように、素知らぬ顔でいくつも波間に転がっているのだ。ひとつ、ふたつ、と数え始めたが、途中で切りがないことに気づいた。世界でも最も過密な水路のひとつであるこの海峡を、かつてどれだけの船が通り過ぎたことだろう。ギリシャ・ローマの昔から現在に至るまで、マルマラ海は主要な海運ルートであり続けている。ということはつまり、船の墓場でもあり続けているということだ。
 そんな残骸の合間を縫うように、旅客フェリーが、コンテナを積んだ大きな貨物船とそれを先導するタグボートが、はたまた地元の漁師と思しき漁船が、右に左にそれこそ縦横無尽に行き交っている。よく座礁しないものだ。それとも、どこに何が沈んでいるか覚えているのだろうか。まさか。
 風が頬に冷たい。だが、最初に到着した日と違って、冷たさの中に一筋の生暖かさがある。イスタンブールを出発してイスタンブールに戻ってきたこの二週間近くの間に、季節が確実に進んだことを実感する。春はもうすぐそこまでやって来ているのだ。
 散歩から戻ると出発の時間だった。いよいよこの国ともお別れだ。覚えたてのトルコ語でホテルの人たちに挨拶を言い、マイクロバスで送ってもらう。フライトまで少し時間があるので、空港の喫茶エリアでひと休みすることにした。
「リラがちょっと余っちゃったな。このインフレだから、持っててもどんどん価値が下がるだけだよね」
「使い切る? でも、お土産はあらかた買っちゃったしな」
 その時ふと、パムッカレからアンカラへの車中でアリさんがよくかけてくれたトルコの曲が浮かんできた。哀愁漂うメロディーがどこかひと昔前の日本の歌謡曲を思わせる。歌詞はわからないもののサビだけは覚えやすかったので、流れてくるたびに三人とも曲に合わせて「ソォールマン、ソォールマン」とよく口ずさんだものだ。
 何気なくハミングを始めた僕につられて妻と弟も歌い出す。無言の合意が形成された瞬間だった。こうなればやることはひとつ。僕たちはおもむろに席を立つと、ハミングしながらスーベニールショップへと向かった。レジのお兄さんの前に並び、揃って「ソォールマン、ソォールマン」を合唱する。
 傍からはさぞかし怪しい外国人に見えたことだろう。しかし、お兄さんはにっこり微笑むと、後ろの棚からカセットテープをひとつ取りだし、レジ台の上に置いた。フランク・シナトラ調の気障な衣装に身を包んだ男が椅子に腰かけて足を組んでいるジャケットだ。
「ムスタファ・サンダル。そうそう、これ。これだよ」
 いまどきCDでなくミュージックテープなのかとか、衣装があまりに時代錯誤ではないかなど、突っ込みどころは満載だが、それでもこれぞ求めていたものだ。
 そして、僕たちは再び「ソォールマン、ソォールマン」を歌い始めた。最もトルコらしいトルコ。最後の最後にそれを手に入れたという喜びに浸る僕たちにとっては、周りの目などもう全然気にならなかった。
 

   
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幻想のトルコ
 

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