建国の父は偉大なり |
〜 Ankara |
現在のトルコ、すなわちトルコ共和国は1924年に成立した。それまでのオスマン帝国と比べると領土は大幅に縮小したが、そのことが逆に民族の結集を促し、名実共に「トルコ人の国」として生まれ変わったのだ。 建国の立役者を問うならば、100人が100人ともムスタファ・ケマル・パシャの名を挙げるだろう。トルコにとっての彼はインドにとってのガンディー、パキスタンにとってのジンナーのような存在だ。そのため「トルコ人の父」を意味する「アタテュルク」の尊称で呼ばれることも多い。 「アンカラは彼の一声で首都となりました。街としてはイスタンブールの方がずっと大きいのですが、国全体のバランスを考えてほぼ真ん中のアンカラにしたようです。アタテュルク自身も亡くなったのはイスタンブールでしたが、遺体はここに埋葬されています」 死して後、首都(パキスタンの場合は元首都)に葬られるところもガンディーやジンナーと同じだ。そのアタテュルク廟だが、ギリシャ神殿のような形をした建物本体も大きいが、その前に拡がっている中庭の広さがまた半端ではない。 「うわ、広ーい。それに、回廊に囲まれていて、まるでモスクみたい」 「葬式に集まった国民がひとりでも多く入れるように、と考えて造りました」 霊廟は市内を一望する丘の上にある。アンカラの建物は伝統的に茶色い瓦屋根をしているとのことで、そんな家々が建ち並ぶ向こうに、東京と変わらない高層ビルが霞んで見える。あの辺りが中心街なのだろう。 「それにしても、これ、端から端までいったいどれくらいあるんだろう」 言った傍から弟がダッシュした。全力疾走。見る見るうちにその姿が小さくなっていく。しかし、いつまでたっても向こう側に辿り着かない。遠目にも、だんだんバテてくる様子が手に取るようにわかる。 「建国の父って、偉大なんだね」 ムスタファ・ケマル・パシャの業績や人となりについての知識がほとんどなくても、この広さを見ればわかる。 巨大な墓廟は誰にでも建設できるわけではない。裏付けとなる何らかのエンパワーメントが必要だ。権力、資金、カリスマ。その手段は問わないが、大勢の人々を納得させて動かすだけの何がしかのモチベーションがなければならない。奴隷や征服民の労働力が利用できた時代ならともかく、20世紀の、しかも民主主義国家であればなおのこと、被葬者に対する国民の側からのリスペクトがなければ、こんな大規模なものを造るのは難しいだろう。 「しかし、これだけ広いと、それこそJTBとか大人数のツアーで来た時は大変でしょう。集合時間に間に合わない人も出てくるのではないですか」 「そうそう、自分ではその気がなくても、結果的にみんなに迷惑かけちゃうよね」 「その時は待ちます」 アリさんは苦笑しながら答えた。しかし、日本人に似て時間にシビアなメンタリティーを持つトルコ人のこと、内心は穏やかならぬものがあるに違いない。 「それに、広場の端まで行こうとするお客さんは、まずいませんから」 その奇特な客である弟はちょうど回廊からUターンを始めたところだった。こちらの声が聞こえる術もないのだろう、あくまで悠然とした歩みだった。 |
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