因果は巡る〜Efes
 
因果は巡る
〜 Efes
 

   不思議なもので、海外旅行に来ると僕はなぜか寝起きが良くなる。日本にいるときは毎朝あんなにぐずぐずしているのに、少なくとも1時間は早く目が覚めるし、頭も起きがけからすっきりしている。人間、環境が変わるとこうもやる気が違うものか。
 今朝も朝食開始時刻の1時間以上前に起きてしまった。ひとりが起きて活動を始めると、同じ部屋で寝ている者たちが影響を受けないわけにはいかない。仕方なく妻や弟もつられて早起きになった。
「朝ご飯までまだ全然時間があるよ。どうする」
「せっかくビーチリゾートに来たんだから、海に出てみましょうよ」
 ホテルの前がすぐ海になっている。敷地の延長という感じで砂浜が拡がっている。プライベートビーチなのだろう。
「さすがに誰もいないね」
「ていうか、寒くない?」
 エーゲ海というと紺碧のイメージがあるが、目の前に打ち寄せてくる波はまったく違う。灰色だ。空も雲が厚く垂れ込めていて、水平線との境界がよくわからない。昨夜はあんなにリゾートっぽかったのに、一夜明けるとずいぶん違うものだ。
「行ったことないけど、冬の日本海ってこんな感じなんじゃないの」
 ビーチパラソル、デッキチェアー、サーフボード。お約束の品々は一応揃っているが、逆にそれが寒々しさに輪をかけている。妻も弟も無言のままだ。この状況にどう反応すべきか戸惑っている。
「あっ、犬!」
 沈黙を破ったのは弟の叫びだった。波打ち際でじゃれ合っていた二匹の犬が、突然向きを変えてこちらに突進してくる。本能的に何かまずい気がした。間違いなく野犬だろう。予防接種などしているわけがない。万が一噛まれたら、即、狂犬病なのではないか。
 俺たちのシマを荒らす他所者は許さんとばかりに、近づいてきた彼らはひとしきり後ろ足で砂をかけて去って行った。畜生の分際で人間様に何をすると思いはしたが、ここは大人の態度で事なかれ主義に徹するのが正しい。悔しいが泣き寝入りしよう。
 しかし、弟はよほど我慢がならなかったらしく、大声を上げながら彼らの後を追いかけていった。こうなると人間の方が強い。犬たちはクモの子を散らすように逃げて行った。
 落ち着いたところで記念写真を撮る。一昔前のアイドルのように、砂浜にしゃがんだ妻が手を伸ばして波に触れるポーズだ。題して「エーゲ海制覇!」。イスラエルのテルアビブでも同じ構図で撮った。今後、訪れる国が増えるたびにコレクションが充実していくことも期待できそうだ。
 デッキチェアーに腰掛けハイシーズンの砂浜に思いを馳せる。きっと大勢の白人が訪れるのだろう。そう想像しながら後ろを振り返った僕は思わず目が点になった。犬がいたのだ。それも四、五匹。やられた。さっきの奴らが今度は仲間を連れてきたのだ。
「何とかしろよ。おまえのせいだろ」
「そんなこと言われたって、これじゃ勝ち目ないですよ」
 弟を盾に使いながら、じりじりと後ずさりを始める。ホテルまではまだ距離がある。どこまで持ちこたえられるか。あまりの緊迫感に、眠気が遥か彼方に吹っ飛んでいった。
 

   
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