瑪瑙色のプロムナード〜Siq, Petra
 
瑪瑙色のプロムナード
〜 Siq, Petra
 

   ホテルの前を川が流れている。水のない、石ころだらけの川。その横を、河道と大差ない砂利の下り坂が続いている。
 朝だというのに陽射しが強い。湿度が低いせいか気温ほど暑くはないが、直射日光が当たるとチリチリ痛い。帽子の下に仕込ませたタオルで首を隠す。上着の袖を先まで伸ばす。日焼け止めを塗ってはいるが、温帯に育ったひ弱な肌にはそれだけでは心許ない。
「馬に乗りましょう。今日はたくさん歩くことになります。体力を温存しておきましょう」
 ヨルダン人ガイドの勧めに従いツアーメンバーは馬上の人となり、一列になって坂道を下る。鞍上は視点が高く、なかなか快適だ。乗り心地も悪くない。昨日の4WDとはえらい違いだ。
「こいつの名前はインディージョーンズって言うんだ。前のやつはメスなのでマドンナ、その前はマラドーナさ。どうだい、いかしてるだろ?」
 くつわを引く男が陽気に話しかけてくる。カッポッ、カッポッと、蹄鉄の音が牧歌的に響く。
 やがて道は小さな広場で行き止まりになった。岩山が行く手を塞いでいる。だが、よく見ると岩と岩の隙間に人なら通れるほどの裂け目がある。1km以上にわたって続くペトラの「参道」、シークだ。ここからは徒歩になる。
 山奥に隠された遺跡というイメージから、シークはてっきり登り坂なのだと思い込んでいた。だが実際には下り、しかも最初のうちはかなり急だ。うっすらと砂をかぶった路面は滑りやすく、岩が迫り出しているため身をかがめなければならない箇所もあり、何かと注意が要る。
 それでも進んでいくうちに平坦になってきた。両側を巨大な岩に挟まれた道は車一台が通れる程度の幅。岩壁は見上げる先まで屹立し空は文字通り「覗く」程度だ。当然、直射日光は下まで届かず、ひんやりとして気持ちがいい。鍾乳洞に来たかのような気分になる。
「シークは昔、川でした。水が岩を削ったため、このように不思議な地形ができたのです」
 つまり浸食だ。なるほど、ワディ・ラムと同じように岩肌に無数の線が刻まれている。しかしその様子は少し違う。さまざまな種類の土色が、地層というよりグラデーションの模様となって、絵の具のような趣を漂わせながら壁面を色彩っている。ワディ・ラムがごつごつと荒々しかったのに対し、シークのそれは優しくやわらかい。岩石というより磨かれた瑪瑙のように見えるものまであり、切り取ったらそのまま高値で売れるのではないかとさえ思えてくる。
 歩いているうちに岩壁に人工的な溝が刻まれているのに気づいた。高さはちょうど腰のあたり、緩やかに蛇行する道に沿って延々と続いている。
「それは水道です。ペトラは昔も砂漠でしたから、遺跡の奥まで水を引く必要がありました」
「シークが川で岩壁が水道なら、その頃、人はどこを歩いてたの?」
「わかりません。謎ですね」
 ユーモラスな口調とも相俟って、ガイドの日本語はどこまでが本当なのかわからない。
 岩壁から一本の木が生えていた。植物を見るのはシークに入って初めてだ。強烈な陽に灼かれながらも生き生きと葉を茂らせている。緑がひときわ鮮やかに映える。
 シークにはロータリーのような空間があるかと思えば、頭上は岩壁が接するほど狭いところもある。真っ直ぐかと思っていると不意に曲がる。予想していた以上に変化に富んでいて、一本道なのになかなか飽きない。
 そして終わりは突然にやって来た。緩やかなカーブの先、まるで闇の世界を切り裂くように、聳え立つ漆黒の岩と岩との間から一筋の白い光が射し込んでいる。
 ヨルダン観光最大のハイライト、ペトラ。隊商の民ナバテア人が岩山の奥に築いた秘密の都市。そのヴェールが今、明かされる。
 

   
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茫漠のヨルダン
 

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