衛生観念について〜Delhi
 
衛生観念について
〜 Delhi
 

   海外旅行を楽しむための必要条件と言えば、まず何をおいても健康であることだ。旅先で熱を出したりお腹を壊したりしていては、本人が辛いばかりか周囲にも迷惑をかける。日本と異なる気候、ハードスケジュールから来る寝不足など、注意すべき点はいくつかあるが、特に気をつけなければならないもののひとつに水がある。
 さすがに今では日本でも「水と安全はタダ」という表現は死語になったようだが、かつては誰もがそう思っていた。しかし、世界基準に照らしてみれば生水を飲むなど論外だ。飲料水はお金を出して買うものなのだ。
「ホテルの部屋に置いてあるミネラルウォーターは飲まない方がいいです。私たちインド人は平気ですが、日本の方はよくお腹を壊します」
 一見きちんと封をしているように見えても、水道水を詰めていることが多いのだという。日本人が免疫を持っていない細菌も多く、うかつに飲んでしまうと当たるリスクが高い。
 水道水が危険なことはわかった。そこで、僕は念には念を入れることにした。歯磨きにも買ってきたミネラルウォーターを使うことにしたのだ。過敏かもしれないが、何しろここはインドだ。石橋を叩いて、しかも渡らないに越したことはない。
 シャワーも要注意だ。口を開けていると飛沫が入るかもしれないので、髪を洗う時などは意識して固く口を閉じることを心がけた。
 しかし、何日か経つと、さすがに自分でもやり過ぎのような気がしてきた。
「毎日少しずつ飲んでいったら、そのうちに慣れるんじゃないかな」
「慣れてどうするの。あと何日かで日本に帰るのに」
 ところで、インドのホテルはたいていシーツがべたべたする。ツアーで来ているのだから外国人向けのそれなりに高級なところに泊っているはずだが、それにしてはパリッと折り目正しく乾いている感じがしない。時にはざらざらと砂が混じっていたりさえする。「清潔」という概念自体がないのではないかと思える。
 こうした衛生観念の違いは宗教に根ざしているのではないかと思う。
 ヒンドゥーというとカースト制度から連想されるように格差が激しいイメージがあるが、コルカタやバラナシで感じたのはむしろ絶対的な平等だった。それも極端な平等だ。
 聖と俗、富と貧、美と醜といった、明らかに価値観に優劣がありそうな概念がどれもみな横一線に並んでいるように感じられるのだ。このような思想に立つと、汚いものより綺麗なものの方が望ましいという発想は出てこない。人間も、砂や泥、塵や埃と同じ、世界を構成する一要素に過ぎないということになるわけだ。
 翌朝、ツアーメンバーの何人かが見たことのない虫を発見したという話題で盛り上がっていた。ベッドの隅を這っていたのだという。どうやら寝ている間に刺されたらしい。傷口を見せてもらったが、なるほど、確かに見たことのない咬み形だ。
「あれが南京虫ってやつなのかな。捕まえて、日本に持って帰りたいな」
 格好のネタを見つけたとばかりに、屈託なく面白そうに話す。しかし、僕は半ば引きつりながら聞いていた。彼らの部屋にいたということは、当然僕たちの部屋にもいたと推測するのが自然だ。気がついていないだけで、実は自分も刺されているのではないだろうか。
 虫との共存なんて無理だ。どうやら僕にはヒンドゥー教徒になる資格はない。今回ばかりはしみじみとそう思い知った。
 

   
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