幽閉〜Agra
 
幽閉
〜 Agra
 

   白大理石のタージ・マハルと対を成すかのように、アーグラにはもうひとつの世界遺産がある。赤砂岩のアーグラ城だ。
 典型的なインド・イスラム様式と言われるこの城は、ムガール帝国第3代皇帝アクバルによって建設され、第4代ジャハーンギール、第5代シャー・ジャハーン、第6代アウラングゼーブと、およそ150年にわたり歴代皇帝の居城となる。この間、帝国は最盛期を迎え、アーグラはデリーやラホールと並ぶ都として栄華を極めることとなった。
「まるで要塞だね」
 優美なタージ・マハルとは似ても似つかない山城のように質実剛健な造り。周囲には堀と壁を二重に張り巡らせ、各所に見張り台を設置している。軍事目的で建てられたことが明白だ。内部は城というよりひとつの都市と言えるほど広く、敷地のあちらこちらに代々の権力者が増築していった建物が残されている。
 中でも最大の見どころはシャー・ジャハーンの宮殿だ。象眼細工を多用した装飾の数々、複雑な幾何学模様にデザインされた窓枠の透かし彫り。美的センスに卓越した彼独特のこだわりが随所に見受けられる。
 しかし、建築面での輝かしい業績とは裏腹に、アーグラ城での日々は不遇なものだった。特に晩年は、跡を継いだ息子のアウラングゼーブにより城内の塔に幽閉され、失意のままに生涯を終える。
「向こうに見えるのは、ひょっとしてタージ・マハルですか」
 厚い壁に小さくくり抜かれた窓から、遥か遠くに薄ぼんやりと浮かぶ白い建物が見える。あの特徴的なドーム屋根はそうざらにあるものではない。
「アーグラ城は、街の真ん中を流れるヤムナー河を挟んでタージ・マハルと反対側の位置にあります。ちょうど、タージ・マハルを裏側から見るような感じになりますね」
 これはこれでなかなか趣がある。正面から見た時の雄大さとは異なり、女性的な柔らかさが前面に出ていて印象深い。「いとをかし」という感じだ。川向こうというシチュエーションも一役買っている。蜃気楼のようで、手を伸ばせば消えてしまうのではないかという儚さを醸し出している。これを眺めながら囚われの日々を過ごしたシャー・ジャハーンの胸の内は果たしていかばかりだったか。
「タージ・マハルは本当はもうひとつ造られるはずでした。黒大理石で全く同じものを川のこちら側に建てる予定だったんです。あちらはムムターズの、こちらはシャー・ジャハーン本人のお墓として」
 対称性の美しさで評価が高いタージ・マハルだが、ランドデザインとしてもシンメトリーだったのだ。しかも一方は白、もう一方は黒という、色彩の対照も備えた形で。
「黒い方も完成していたら、さぞかし凄かっただろうね」
「そうかしら」
 興奮気味の僕をなだめるように、しかし、きっぱりと妻は言った。
「私はこれで良かったような気がする。ひとつしかないから、ここまで心に残るんじゃないかしら。それに、黒いのを建てられなかったからこそ今、奥さんの隣で仲良く永遠の眠りに就いていられるわけでしょう。結局のところ、シャー・ジャハーンにとってはそっちの方が幸せだったんじゃないかしら」
 

   
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