コンボイ〜Varanasi
 
コンボイ
〜 Varanasi
 

   さすがヒンドゥーきっての聖地なだけあってバラナシには牛が多い。日本で犬や猫を見かけるよりもよほど目につく。といっても、牧場があるわけではない。あちらこちらの路上に平然と佇んでいるのだ。
「雌はたいがい飼われています。インドはまだ貧しく、お乳は貴重な栄養源になるからです」
「雄は?」
「飼われていません」
「じゃあ、野良ってこと?」
「そうなりますね」
 野良牛。想像できるだろうか。これだけ大型の哺乳類が誰にも管理されることなく市井に放たれているなんて。しかも一頭や二頭ではない。街をざっと歩いた感じでは自動車と同じ程度の頻度で出くわすのだ。
「野良ってことは、自分で食べ物を探さなきゃいけないんだよね」
 ふと感じた疑問は的を得ていた。
 とある交差点に差し掛かった時のこと。そこは小さなロータリーになっていて、中央には円形の東屋が建っていた。その柱に貼られたポスターを必死になって剥がそうとしている牛がいたのだ。
 人間と違って手が使えないので口で何とかしようと四苦八苦している。何をしているのか不思議だったが、やがて剥がれた紙をムシャムシャと食べてしまった。そして、すぐに次のポスターを剥がしにかかる。そこで合点がいった。お腹が空いているのだ。
 ヒンドゥーの世界観では牛は神の使いであることから聖なる生き物とされている。だから当然大切にされているのだと思っていた。しかし実際はそうでもなさそうだ。しばらく見ていたが誰も餌をやろうとしない。それどころか、道行く人のほとんどは明らかに牛の存在を無視している。
 さらに注意深く観察すると、野良牛の多くはあばら骨が浮き出るほど痩せこけていることもわかってきた。悲しいことに誰も彼らの面倒を見てくれていない。宗教上は聖なる生き物と持ち上げられながら、現実には厳しい境遇に置かれているのだ。
「なんだか悲哀を感じるね」
「少なくともインドでは雄牛には生まれたくないな」
 そんな話をしながら歩いていると、何やら地鳴りのような音が響いてきた。ドドドドっと前方から着実に近づいて来る。もしやと思い立ち止まって待つ。やって来たのは案の定、牛の一団だった。立派な角を生やした漆黒の雄牛たちが隊列を組んで駆けて来ている。
 その瞬間、子供の頃に見た映画のコマーシャルが頭をよぎった。タイトルは「コンボイ」。大型トレーラーでハイウェイを疾走するトラック野郎たちを描いた、アメリカのアクション映画だ。ある年代以上の人なら、この有名なキャッチコピーを覚えているに違いない。
「走り出した。もう誰にも止められない」
 恐怖のあまり僕たちはパニック寸前になった。もしあの牛たちが突っ込んできたらと思うと気が気ではない。自動車事故ならまだしも、牛に轢かれて死にましたでは残された遺族も泣くに泣けないだろう。葬式の参列者にも笑われかねず、情けないことこの上ない。
 頼むからこっちに来ないでくれ。そう祈りながら必死で身を寄せ合った。
 

   
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