万物は流れ行く〜Varanasi
 
万物は流れ行く
〜 Varanasi
 

   夜も明け切らぬホテルのロビーに僕たちは集合した。マイクロバスに乗り込み、ガタゴトと舗装もおぼつかない道を行く。やがて視界が開け、それは静かに目の前に現れた。
 セピアとも違う濃淡だけで彩られた風景。遥か彼方に見える地平線らしきうっすらとしたものが対岸なのだろうか。ヒンドゥー教徒の、いや、すべてのインド人にとっての神と呼ばれるべき偉大なる存在、大河ガンガー。ガートと呼ばれるその岸辺に僕は立っていた。
 たかが川をなぜそこまで神聖視するのか、わからなかった。ナイル川だって、アマゾン川だって、人々の生活には不可欠だが神ではなかった。コルカタのフーグリ川で沐浴する人を見ても、宗教の違いと簡単に片付けて不思議には思わなかった。
 しかし、ここに来て初めてわかった。今、僕の目の前にあるのは単なる一介の川ではない。現世と来世の境なのだ。生者たる僕がガンガーを通じて死者の住む世界を垣間見ようとしている。生きながらにしてあの世に足を踏み入れようとしている。ガンガーとは、そのようなことを可能にしてくれる一種の装置なのだ。
 小舟に乗り込む際に花の形をしたろうそくを買った。ちょうど片手に収まるサイズのその中央に小さな炎が点っている。後ほど、沖に進んだところで川に流すのだという。ガイドが何も説明しないのはツアーメンバーが日本人だからだろう。僕たちはみなそれがどのような意味を持つ行為なのかを知っている。
 気がつくと、舟はいつの間にか岸を離れていた。音もなく、さざ波ひとつ立てずに進んで行く。風が少し冷たい。いかにインドとはいえ、冬はそれなりに冷えるのだ。ジャンパーの襟をそっと立てる。
 やがて舟が停まり、ガイドの合図で僕たちは一斉にろうそくを川に浮かべた。ゆらゆらと揺れる炎が時の経過とともに少しずつ遠ざかっていく。
 行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。澱みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まることなし。
 まるで命のようだ。水面に揺れる炎は、まるで僕たちの命そのもののようだ。運命に翻弄され儚い生涯を閉じていく。これまでどれだけの命がこの世に生を受け、消えていったのだろう。ささやかな営みが、いったいどれほど繰り返されたことだろう。
 ガートにやぐらが組まれていた。きらびやかな布に包まれた物体がその上に乗せられたかと思うと、やがて火が放たれた。最初はおとなしかった炎が次第にめらめらと勢いを上げて立ち昇っていく。
「あれは火葬場です。荼毘に附した遺灰はそのまま川に流します」
 火葬場の近くでは死を待つ老人たちの姿をよく見かけるという。階段に座り、日がな一日何をするでもなく、じっとお迎えの時を待っているのだそうだ。死期が近い彼らにとって、人生で残された唯一の希望は灰となってガンガーに流されることなのだ。
 再び漕ぎ出した舟の脇を大きな固まりが通り過ぎていった。カラスが飛んできてその上に止まり、がつがつとついばみ始める。牛の死体だとガイドが言う。
 ガンガーでは、金持ちも貧乏人も、聖人も犯罪者も、あらゆる人は貴賤や美醜に関わらず最後は等しく灰となって流される。だが、それだけではない。牛もカラスも、いや、廃棄物や汚物でさえも同じように流れていく。
 何という絶対的な平等なのだろう。ここではあらゆるものが等価なのだ。
 

   
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