ミッシング〜Sarnath
 
ミッシング
〜 Sarnath
 

   バラナシの郊外に仏教四大聖地のひとつ、サールナートがある。釈迦が悟りを開いた後、初めて説法をしたとされる場所だ。今ではインド国内ではすっかりマイナーな宗教となってしまった仏教だが、いくつかの史跡は公園として整備され保存されている。サールナートもそのひとつだ。
 赤茶けた大地に大木が点在している。樹々はみな豊かに葉を茂らせ、幹は太く、幾重にもしわが寄った樹皮や四方に複雑に伸びた枝が遥かなる樹齢を感じさせる。遠い昔、それこそ釈迦の時代から生えていたとしても何ら不思議はない。
 聞こえてくるのは風の音くらいのもの。人影も僕たちの他には皆目見当たらない。まるで現在のこの国で仏教が置かれているポジションを象徴しているかのようだ。諸行無常。盛者必衰。そんな言葉が頭をよぎる。夕暮れ間近なこともあり、傾き始めた陽が黄昏れた佇まいに一層拍車をかけている。
 歩いて行くと、広大な敷地の中心に巨大なストゥーパが建っていた。ヒンドゥーのリンガを思わせるずんぐりとした形で、間近に寄ってみると小山のように大きい。最盛期は周囲に僧院が建ち並び大勢の修行者で賑わったことだろう。しかし今となっては、かつてこの場所が世界の仏教センターであったことを留める、これが唯一の証人だ。
 ストゥーパの前で4人の僧侶が熱心に読経を上げていた。チベット人だろうか。中国系の顔立ちをしている。しかし、ストゥーパがあまりに大きいが故に、彼らがあたかも芥子粒のように思えてきてなんだか哀しくなった。しょせん人間の存在など塵芥のようなものでしかないのかもしれない。
 そんな感傷に浸りつつ、公園の一角にある寺院を訪れた。日本人絵師の手によるフレスコ画が残っているという。がらんとした建物に入ると、壁一面に釈迦の生涯が描かれていた。子供向けの絵本のようなタッチで、キリスト教会で見られるフレスコ画のように荘厳な感じはしない。字が読めない人のためのパンフレットみたいだ。芸術作品というより教育目的で制作されたのかもしれない。
 ぐるりと一周見て出ようとした時、ふと入口に貼られた一枚の紙に目が止まった。
 A4サイズのその紙には上に大きく「Missing」の文字。そして、明らかに日本人とわかる青年の顔写真のコピー。
 日本人バックパッカーにとってインドは一種のメッカだ。中には沢木耕太郎の「深夜特急」や小林紀晴の「アジアン・ジャパニーズ」に触発されただけという人もいるだろうが、内面に何かを抱え、答えを探しに訪れる彼らの多くにとって、地上のありとあらゆるものが揃うこの国は格好のフィールドなのだ。そして、そのうちの何人かは特に理由もないまま何日も同じ場所に留まることになる。いわゆる「沈没」だ。
 写真の下には、青年が最後に見かけられた日の様子やその時の服装などが英語で記され、連絡先の電話番号が書かれてあった。この寺院が日本人ゆかりの場所とあって貼っているのだろう。訪問者が多ければ、そのネットワークに何かしら情報が引っかかることもある。
 いたたまれない気持ちが湧き上がってきた。もしかしたら、彼は自ら進んで行方をくらましたのかもしれない。どこかの街に腰を落ち着け、この多様なインド社会の一員として溶け込んで暮らしているのかもしれない。しかし、もしそうではないとしたら。そして、可能性としては圧倒的にそちらの方が高いのだ。
 

   
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