推理小説はお好き?〜Kolkata(Calcutta)
 
推理小説はお好き?
〜 Kolkata(Calcutta)
 

   昨夜、霞棚引くロビーを見た時からただものではないと思っていたが、昼食のため戻って来た時に改めてそう感じた。僕たちが泊っているグレート・イースタン・ホテルのことだ。
 建物自体はかなり古い。大理石の廊下、高い天井、部屋に置かれたアンティークな調度品など、いたるところイギリス趣味で染め上げられ、いかにも植民地時代から続く歴史と伝統を感じさせる。壁も床もセピアな色調で、自分がいつの時代にいるのか一瞬わからなくなるほどだ。
 内部の構造も特徴的だ。きっと長い年月の間に増築が繰り返されたせいだと思うのだが、やたらと複雑で、ホテルというより迷宮と言った方が相応しい。僕たちの部屋がロビーから離れているだけになおさらそう感じる。何しろ、何度も廊下を曲がり、階段を上り、体育館のような広間を通り抜け、階段を下り、再び長い廊下を回り込んでようやく辿り着くのだ。最初だけは案内してもらえたが、二回目からは自力で試行錯誤せざるを得ず難儀した。
 しかし、そうした諸々の要素が絡み合って醸し出される独特の雰囲気には魅かれるものがある。まるでアガサ・クリスティーやエラリー・クイーンの推理小説に迷い込んだかのようなのだ。妖しげで、それでいて格調高い。
「その角を曲がると、背中にナイフを突き立てられた紳士が倒れてたりして」
 以前、NHKのBSで「名探偵ポワロ」シリーズを放映していたが、あれがまさにこんな感じだった。時代設定は確か20世紀前半だったか。空気感がよく似ている。まるで自分がドラマの登場人物のひとりになったような気分になる。
 機能性や快適さという点では他の近代的なホテルに劣るだろうが、古き良きイギリス植民地時代の雰囲気を味わいたいという人にはぜひお勧めしたい。もっとも、欧米並みの近代的なホテルがコルカタにどれだけあるかというと、それはそれでまた別の問題だが。
 ところで、お勧めと言えばもうひとつある。紅茶だ。ホテルのレストランで昼食のカレーとともにチャイ、すなわちミルクティーが出されたのだが、一口飲むや、あまりの美味しさに目を見張った。僕はかなりの紅茶好きで毎朝必ず飲んでいるし、ある程度なら利き紅茶で銘柄を当てることもできる。そんなヘビーユーザーをも唸らせるとは。
 おそらく今までの人生で飲んだ中で一番美味しい。ベースの葉はアッサム。それを牛乳で割っているのだが、乳成分の濃厚さに茶葉がまるで負けていない。かといって煮出し過ぎというわけでもない。ストレートでも飲んでみたが、茶としての風合いをしっかり出しつつもクリアな味わいで、こちらもとても美味しかった。
 何より驚いたのは、飲むごとに全身から疲れが抜けていくことだ。スパイスが入っているせいかもしれないが、茶葉自体に力がないとこうはいかない。一杯の紅茶でこんなにも幸せになれるなんて、これはもう一種の薬膳と言っていい。「癒し」のお茶なのだ。
 加えてウエイターのサービスが良い。僕のような素人をして「これがイギリス流のマナーなんだろうな」と思わせるほどの洗練された立ち居振る舞いなのだ。皿の出し方、客に声を掛けるタイミング、食べ残した料理の片付け方、どれをとってもさりげなく、しかし確実に仕事をこなしていく。
「昨夜はどうなることかと思ってたけど、ここ、良いホテルだね」
 お湯が出ずに冷たい水で髪を洗ったことや、共用のトイレがあまり清潔でないことなど、だんだんたいした問題ではないように思えてきた。
 

   
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