がんばれ、リキシャワーラー〜Kolkata(Calcutta)
 
がんばれ、リキシャワーラー
〜 Kolkata(Calcutta)
 

   「カルカッタ」という写真集がある。タイトル通り、コルカタの風景やそこに暮らす人々のさりげない日常を全編モノクロで切り取った秀作だ。今はもう絶版となってしまったようだが、思えば地元の図書館の棚に並んでいたそれを手にした時から、僕はこの街が気になり始めたのだと思う。
 とりわけ心魅かれたのが人力車夫の写真だった。リヤカーのような荷台に客を乗せて走るあれだ。他のアジア諸国や、インドでも他の都市では自転車やバイクで引くタイプが一般的だが、この街では文字通り人力。車夫は自らの腕と脚だけで荷台を引っ張るのだ。
 「カルカッタ」にはそんな車夫たちの写真が何点も収められている。首にタオルを巻き、額に汗を浮かべながら必死の形相で走る彼ら。痩せこけた腕や脚の筋肉が今にもちぎれそうに張り詰めている。
 土砂降りの雨の中を走る写真もある。客席には申し訳程度に屋根がかかっているが、車夫はもちろんびしょ濡れだ。全身水浸しになりながら、それでも彼らは手を抜くことがない。そこからは「生きるために走るのだ」という切実な思いが鮮烈に伝わってくる。
 カースト制度が今も生きるこの国において、彼らの社会的地位はおそらく低い。そもそも自分の肉体以外に何の資本も持ち合わせていないが故に車夫になった。食べるためにはこの究極の肉体労働しか手段がなかったのだ。
 人力車のことをインドでは「リキシャ」という。聞いてわかる通り語源は日本語だ。車夫は「ワーラー」。職人という意味だ。だから彼らは「リキシャワーラー」。コルカタで物乞いに次いで就業人口の多い職業だ。
 仕事を求めて周辺の農村からやって来た男たちの多くは、まずリキシャワーラーになるという。中には大稼ぎをし、それを元手に新たなビジネスに進出する者もいるが、大方の者にとって現実は厳しい。人力車はレンタルなので賃料以上に稼がなければ食べていけないし、怪我や病気になれば一巻の終わりだ。
 そんなリキシャワーラーを街から一掃するという政府の政策が一ヶ月ほど前に発表された。「イメージが悪いから」というのが理由だ。旅行に来る直前、日本の新聞でその記事を見つけた僕は大いに憤慨した。バカなことを言うな。リキシャワーラーこそコルカタ最大の観光資源じゃないか。これを生かさなくてどうする。しかし、政府の方針は着実に浸透し、その数は徐々に減っているのだという。
 確かに、朝からずっと探しているが一度も見かけない。ようやく出会えたのはジャイナ教寺院の入口だった。家族連れらしき3人を乗せた彼は、数メートル先の路上を一心に見つめ黙々と走ってきた。もちろん靴など履いていない。小石が転がる路地を裸足で駆けている。車上で談笑する乗客たちと比べ、何と対照的な姿なのだろう。
 現実は色がついている分「カルカッタ」のシーンほどではなかったが、それでも少し感傷的な気分になった。近い将来、彼はどうなってしまうのだろう。他の仕事に無事ありつけるだろうか。この街に暮らすすべてのリキシャワーラーたちが、より明るい未来を迎えることができるのだろうか。
 頑張ってほしい、と痛切に思った。この先、彼らを待ち受けるであろう幾多の困難を想像すると、一介の旅行者である僕が軽々しく何かを言える立場ではないけれど。だからせめて心の中で叫びたい。頑張れ、リキシャワーラー。
 

   
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