大国のはざまで〜Phnom Penh
 
大国のはざまで
〜 Phnom Penh
 

   手元にある世界史図表を開いてみる。7〜8世紀になってようやく東南アジアが歴史の舞台に現れる。インドシナ半島の中央にはアンコール朝の前身となった水真臘と陸真臘がでんと居座り、スマトラ島を中心としたシュリーヴィジャヤ王国とこの地域の覇権を分け合っている。ベトナムの先祖であるチャンパはその片隅に位置する小国に過ぎない。
 11世紀になるとアンコール朝が興隆し、現在のタイとラオスを合わせたほぼ全域を支配下に収める。チャンパやシュリーヴィジャヤの他にミャンマーにパガン朝が興り、新たなライバルとして成長していく。つまり、この時期まで東南アジアの盟主といえばカンボジアだったのだ。
 時代が変転するのは13世紀。タイにスコータイ朝が成立する。続くアユタヤ朝は順調に勢力を拡大し、東南アジアの新たな主役の座にのし上がっていく。チャンパもじわじわと力をつけ、カンボジアは東西から挟撃される形となり徐々に領土を減らしていく。
「ご本尊はタイに奪われてしまったんです」
 プノンペンきっての観光名所である銀寺。現在は宝物殿となっている本堂を歩きながら、そう言ってガイドはため息をついた。
「バンコクには行ったことありますか?」
「ありますけど」
「エメラルド寺院は?」
「名前は知ってますけど、行ったことはありません」
「あそこに飾ってある仏様は、もともとはカンボジアのものだったんです」
 バンコクのエメラルド寺院、正式名ワット・プラケオと言えば、翡翠で出来たエメラルド色の仏像で有名だ。タイでは国家の守護神として崇められ、儀式の際にその黄金の衣装を取り替えるのは国王の役目とされている。しかし、実はアンコール朝との戦争に勝ったアユタヤ朝が戦利品として持ち去ったもの、つまりは外国からの略奪品なのだという。
 同様の話はラオスでも聞いた。本来の持ち主は我らがランサン王国だと。何やら怪しい。表面的には宝物の帰属をめぐる問題のように見えるが、本質はそうではなさそうだ。一介の旅行者である僕にもそれくらいはわかる。もっとも、誰の言い分が真実なのかは見当がつかないが。
 こうした微妙な雰囲気は人々の言葉の端々にも感じられる。隣国という意味では同じなのに、タイに対する物言いはラオスに対するそれと比べると明らかに表現がきつい。ベトナムに対してはなおさらだ。旅行中あちこちで悪口を聞いた。
 人口、経済発展、国際社会における存在感。タイやベトナムとではどれをとってもカンボジアの劣勢は否めない。それが人々の心にわだかまりとなっている。きっと嫌いなのだろう。もしかしたら嫉妬かもしれない。
 ベトナムに対する感情的な屈折が大きいことは、ちょっと東南アジアの現代史を知っていれば容易に想像がつく。1979年、カンボジアはベトナムによって「解放された」。ポル・ポト政権を倒したのが他ならぬベトナム軍だったのだ。アメリカやソ連のような超大国ではなく、よりによって同じ小国である隣人に助けられたのだ。
 20世紀を通じて、東南アジアの国々の多くは植民地支配とそれに続く内戦に苦しんできた。いわば国際社会の中のいじめられっ子だった。しかし、同じいじめられっ子だと思っていた友達は、気がつくと自分に救いの手を差し伸べるまでに強くなっていた。
 小学校の頃、似たような経験をした人はいないだろうか。思い出してみてほしい。このような場合、相手に対して屈辱以外に何か前向きな感情を持てただろうか。差し伸べられた手を素直に掴めただろうか。心が狭いのは僕だけではなかったはずだ。
 

   
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静寂のカンボジア
 

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