政敵〜Phnom Penh
 
政敵
〜 Phnom Penh
 

   プノンペンの中心街から少し離れたところに独立記念塔がある。第二次世界大戦後のフランスからの独立を祝して建てられたもので、アンコール・ワットの尖塔をモチーフにしたカンボジアならではのデザインだ。
 塔の周囲は円形のロータリーになっていて、四方八方に道路が延びている。まるでフランスの広場のようだ。植民地時代の都市計画の名残りなのかもしれないが、見方によってはインドシナ戦争の勝利を記念する凱旋門のように思えなくもない。もっとも、ずんぐりとしたその出で立ちは周囲の景色から多少浮いている感もあるのだが。
 ガイドブックなどで紹介されていたので観光名所と思っていたが、実際に来てみると驚くほど閑散としている。道幅の割に車が少なく、歩行者もあまり見かけない。時々、けたたましい音を立ててバイクが通り過ぎるくらいだ。
「この辺りはプノンペンきっての高級住宅街です」
 なるほど、確かに一軒当たりの敷地が広い。ほとんどが平屋か二階建てなので、視界に占める空の割合が多く、開放感がある。
「ラナリットさんの家がありますよ。ほら、あれです」
「ラナリットって、今の国会議長?」
「そうです。シアヌーク国王の息子さんです」
 白い塀に囲まれ中の様子はわからないものの、緑色の切妻屋根を持つ二階建てがいくつか組み合わさった造りをしている。大邸宅と言ってよい。しかし、第一印象としては意外に質素。要人の家に付き物のSPも見当たらない。
 ラナリットは王子だ。しかも、日本で言えば皇太子にほぼ相当する序列のはずだ。いずれシアヌークの跡を継いで国王になる可能性もある。そう考えると、高級とはいえ通常の住宅地に家があるのは何だか不思議な気がする。
「ラナリットって、次の国王じゃないの?」
「どうでしょう。本人は政治がやりたいみたいですからね」
 カンボジアの統治形態はわかりにくい。日本の天皇家と同様、王家としてノロドム家があり、代々直系の男子を国王として輩出してきた。一方で、国の最高権力者が必ずしも国王ではないという厳しい現実もあった。ポル・ポト時代にシアヌークは亡命を余儀なくされていたし、その後の三派連合政府では鼎立を支える勢力のひとつでしかなかった。
 そうした歴史も背景にあったのだろう。ラナリットは「政治家に専念する」として王位継承の打診を一度断っている。お飾りの権威でいるよりは自分の手でこの国を直接治めたいという判断なのかもしれない。
 しかし、彼の戦略は今のところ必ずしも成功していない。シアヌーク国王のもと、第一首相として頂点に上り詰めたかに思えた1997年7月、第二首相であったフン・セン率いる人民党とラナリット率いるフンシンペック党が武力衝突。プノンペンを制圧したフン・センはラナリットを事実上の亡命に追い込み、自身は単独の「首相」に就任する。その後、ラナリットは帰国して国会議長に就任するものの、国の最高権力は現在に至るまでフン・センが掌握している。
「当時はこの辺りが戦場になりました」
「じゃあ、ラナリットの家も」
「ええ。おそらく攻撃を受けたでしょうね」
 そこでひと呼吸おくと、ガイドは絞り出すように小さな声で呟いた。
「フン・センさんは……怖い人です」
 

   
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