明治24年(1891年)山陽鉄道開通時のレンガ積み橋脚(上流側)が現役で頑張っています。また大正12年(1923年)複線化(下流側)で完成した鉄筋コンクリートの橋脚も現存。 ちなみに山陽鉄道の開通と明治31年には福渡まで鉄道敷設されたことが、県北から京橋を結んだ高瀬舟による旭川水運の衰退の始まりとなります。 
         岡山市古京町出身の小説家内田百閧フ小説「阿房列車」に、百關謳カの思い出話の舞台として、この鉄橋が登場します。  
         
          
         
         
        
          
            
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               右側が完成から100年を越えるレンガ積み橋脚。水流に負けないように花崗岩で補強されています。 
              (図クリックで拡大) | 
             
          
         
        
          
            
                
              
              
               
              
                
                  
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                     阿呆列車がこの鉄橋を渡るとき、百關謳カの回想が始まります・・・「小さな子供を負ぶった女性がこの鉄橋を歩いて渡っていたところ、汽車が来て逃げられなくなった!」 
                     
                     結局女性は無事なのですが、この話の顛末、真偽の程は川面から眺めて判断してみてはいかが。 
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