釣の渡し場       



 旭川に面して標高80mの妙見山(三野公園)がある。中世(鎌倉〜室町)の時期、山陽道は、高島(現在の今在家あたり)から旭川を渡って、妙見山の麓に着いたようです。
 この旭川西岸の渡し場は、「鑵子の釣の渡り(かんすのつるのわたり)」などと呼ばれており、足利尊氏(観応元年(1350年)の中国遠征)や、豊臣秀吉(天正10年(1582年)高松城水攻め)が、この渡しを通ったと伝えられています。
 参考文献 御野郷今昔物語 丸山赳志郎 
      御野学区連合町内会HP

 

清水の早瀬が終わるころ、妙見山が大きく立ちはだかって来ます。
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 地形がわん曲して、ちょうど鑵子(かんす)のつるのようになっていたことから「釣りの渡り」(温故秘録)、「鑵子の釣の渡」(和気絹)、「つるの渡り」(備前名所記)などといわれていたようです。
 ちなみに、中世以前の山陽道の渡し場は、ここから北へ5km「牟佐の渡し場」でした。
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