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●X68000だって人力移植
【寺町】さて、1987年にシャープのX68000(以下X68K)が登場します。マイコンソフトもこのパソコンの代名詞メーカーのひとつになりましたけれど、私には別世界の話でした。X68Kは30万円近いゲームパソコンでしたし。 【藤岡】 いや、もっとしたもんなあ。40万・・・くらい。 【寺町】X68Kもソフィアシステムで作られていたとか? 【藤岡】 私が?それとも全員? 【寺町】全員です。 【藤岡】 全体的にはX68上でつくっていたよ。あれのデバッグ機能、もちろん68のデバッガってのもあったけれどね。ほとんど内蔵のデバッガが動いていた。 【寺町】X68K上で、システムIのエミュレートなどされたってことは? 【藤岡】 エミュレート?・・・ああ、ROMの吸出しはやったよ。 【寺町】それはキャラクターだけ? 【藤岡】 キャラクターとね、アルゴリズムと。 【寺町】へえ、そういうこともできたんですか。 【藤岡】 うん。ROMの吸出しだしたのはいつ頃だろ。X68前後だろうね。一番最初にやったのはPC-9801のね・・・ドラゴンバスターかな。これをつくる時に最初じゃあ、ROMを吸い出してみようということでやり始めて。データが取れるんだから、プログラムもとれるだろうということで。アルゴリズムを解析し出したのはドラスピ(ドラゴンスピリット)ぐらいからかな。それで出来るってことで、みんな一斉にやり始めた。 【寺町】ドラスピあたりになると、制作レベルも移植レベルもたいへんじゃないですか。ユーザーの目もきびしかったでしょうし。そういう流れで、2月に1本くらいは出ている。どうやって開発されているのかな?って思ってました。 【藤岡】 この時は効率的にはそんなに良くはなかったよ。まあ、なんというのかな、全盛期だったから、いろんな人が担当してソフトをつくっていたから、まあわりと3ヶ月に1回のペースで出せたんだろうね。 【寺町】ということはこのあたりになると、1ソフトにつき、何人ものひとが関わっておられるわけですね。 【藤岡】 いや、メインのプログラムをつくる人、あと音楽関係、でまあ、ROMの吸出し担当。まあ、それは私がほとんどやったんだけど。 【寺町】解析してリプログラム・・・。ってことは、やっぱり手作り再現だったんですねえ。あのX68Kをもってしても。 【藤岡】 そうだね。その頃はまだね。 |
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