●当時の開発期間と開発機材

【寺町】MZ-700ギャラクシアン。MZ-700はCPUがZ80でしたっけ。Z80のアセンブラを習得されていて、それでプログラムを組まれていたわけですね。あ、当時マシンは何をお使いになっていたんですか。

【藤岡】 MZ-80の…C。MZ-80Cかな。

【寺町】う!渋いっスねえ。(^^

ということで、83年に入社されて、ライセンスも取られて、いよいよナムコソフトを作る体制ができたわけですね。

【藤岡】 体制ってもね。最初は、電波新聞社の別会社で電算室(電波ビル6F)ってのがあったんだけれど、そこが「環境的に温度管理もされていてよいだろう」ってことで。朝会社に出てくると、会社(7F)に顔を出して、そこにひとり寂しく働いて、みんな帰ったあと、フロアに戻って帰るというパターンだったね。

【寺町】タイムカード押しに?(^^

【藤岡】 そうそう(笑)。その時はPC-8001MKIIのギャラクシアンを作っていたんだけれど、結局4ヶ月くらい続いたよね。その時大橋部長(当時課長)に「まだできないのかよ。お前の実力はそんなものか」って感じで言われた時には悔しかったなあ。(笑)

【寺町】えー?、でも、グラフィックからサウンドからお一人ですべてされたわけでしょ?どんなソフトだって4ヶ月くらいかかるものでは?

【藤岡】 そうだなあ。7月に入って年末だから、5ヶ月くらいかかっていたかなあ。

【寺町】オールアバウトナムコ1を読むと、開発期間はだいたい半年から長いので3年と書かれていますね。3年というのは、えっと、ここに書かれているPC-6001MKIIのディグダグ・・・ですか。

【藤岡】 だからね、外注で出して、もう忘れていた頃にできてきたってのは何本かあるよ。

【寺町】あははは(^^

当時は、ホスト(開発)マシンとターゲット(ソフトを動かす)マシンはいっしょだったんですか?

【藤岡】 いや。さっきビデオにも出ていたけれど、ばかでっかいこんなね、8インチディスクもあったソフィアシステムの開発ツール、これが300万円ぐらいしてね。 これは思い出があるんだけど・・・、社長がね「これぐらい高いツールだけど、あれば役に立つか?」って聞かれて、そんなの絶対回収できないって声もあったんだけれど、「君がやって役に立つんだったら買ってもいい」って言ってくれて。

【寺町】うわー!太っ腹ですねー!

【藤岡】 あれはうれしかったね。だから、今だに捨てずにその辺りに眠っている。

【寺町】その割りに「その辺り」ってのも(^^;。

ソフィアツールってソフィアって会社が作ったんですよね?あまり聞かない名前ですけど。

【藤岡】 いやいや、開発ツールのメーカーでは、未だにちゃんとしたとこだよ。この間も1台、ロジアナのパソコン版買った。未だに広告載ってるよ。

【寺町】あ、そうなんですか、勉強不足ですいません。ともかく、そのシステム、X1のゼビウスとか開発された・・・。それって、X1以外にも対応できたわけですか。

【藤岡】 もちろん。もちろん。Z80系統は。

【影の声】I/Oまわりだけ?

【藤岡】 いや、CPUに直接差し込むタイプなんだ。

【影の声】ああ、なるほど。それいいですね・・・イーサー・・・ブツブツ

【寺町】え?なんです?

【影の声】インサーキット・エミュレータ

【寺町】インサーキット・エミュレータ・・・。何です?よくわかんない。なんか難しい名前ですね(^^;

【藤岡】 うん、つまりCPUの変わりにアダプタを差す。そうすると、いろんなデバック機能を追加して開発効率が上がると。で、難しいバグなんかもそれがあると非常に簡単にわかる、と。

 





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