●伝説のタイニーゼビウス〜松島氏のこと
【藤岡】私なんか、ソフィアツールという機械を与えられたから、それに頼りきっていたけれど、松島君あたりなんか、そういうの全然なしで、頭の中だけでPC-6001mkIIのゼビウスなんか、よくつくったと思うよね。

【寺町】出たー!タイニーゼビウス!!(^^。

  (当時の広告を指しながら)P6用のスペースハリアー、これも松島さんですね。そうそう、だから藤岡さん作のX1ゼビウスと、ミチウラさんのFM-7ゼビウスの前に、すでにマイコンソフトから、ゼビウスがひとつ発売されていたわけです。

【藤岡】うん、最初にね、ゼビウスという形で出たのが松島くんの(ゼビウス)。

【寺町】私、発売日に買いました。あの非力なPC-6001で、タイニーゼビウスという。ものすごいことでしたよね。
当時の記事を見ると、えー・・・と、ここですね。「発想の逆を取り、キャラクターを大きく、キメを粗くして、何とかスピードを確保し、ゼビウスを創ってみよう」と。

【藤岡】 (しみじみと)これのライセンス取りにいくときは、さんざんナムコに頼み込んで・・・。うーん、10回くらい行ったかな。なかなか「この動きとキャラクターじゃ、ゼビウスの名前はやれん」とか言われてね。それで、さんざん手直しして、結局「タイニーゼビウス」って名前だったらいいだろう、ということで、ナムコの企画開発のセクションからOKもらったの。

【寺町】タイニーってことは、つまり、ミニ・ゼビウスってことですよね・・・。しかし、10回って言うのはスゴイ・・・。じゃあ、最初もっていった時っていうのは、もう全然ダメだったということですか。

【藤岡】 まあ、最初はだからね。持っていったら「ああ、じゃあ見ておきます」って感じでつれなかったけれど、何回も行くうちに「じゃあ」って、ちょっと見たり意見してくれたりとか。

【寺町】協力的だったんですね。

【藤岡】慣れてくるとね。親しくもなったし。

【寺町】しかし、10回ってウゲーですね。嫌になりませんでしたか。

【藤岡】 いや、まあ他の関係でも行っていたから、これだけで10回というのはちょっと言いすぎかもしれないけれど、まあとにかくよく足を運んだよ。もうこれでダメだったらどうしようと言いながら、悩みながら。

【寺町】これは藤岡さんなり部長さんが「松島君、やってみないか」って?

【藤岡】 いや、これはね。松島君、中学生・・・小学生だったかな?

【寺町】!!

【藤岡】「こんなん作ったんです」と投稿で持ってきて。「なんか、スゴイものがあるぞ」ってことで見に行ってね。「これはおもしろい」ってことで。

【寺町】持ってきてって・・・。松島さんって地方にお住まいだったんでしょ?

【藤岡】 お父さんといっしょに来たな。

【寺町】あいや〜(^^。天才と呼ばれる方はやはり違うなあ。



 ※当時、松島氏は中学生だったそうです

 (「みんながコレで燃えた! NEC8ビットパソコン PC-8001 PC-6001」:藤岡忠氏インタビュー:p113/アスキー/2005年/・・・にてご確認のこと.)




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