*プラーナの概念

自然治癒力の構成概念に特に大きな関わりを持つと思われるのがプラーナ(サンスクリット語)ですが、プラーナという目に見えないエネルギーの存在を机上で理解することは容易ではありません。プラーナの起源は古代インドで、「万物に活力を与える原質」「生命の源をなすもの」といわれ、生命のある者は皆このプラーナを体内に有し、プラーナが不足した者は病気になり、プラーナが亡くなった者は生命も終わると言われます。また、インドだけでなく、地中海、中国など世界各地の伝統医療の中でもプラーナの存在は明確に位置づけられています。古代哲学の多くはこの概念を、根源的自我という究極の問題の中で理解し、宇宙の真理についての解釈にまで反映しています。

長生上人も超人的プラーナを持った人と伝えられています。衆人の見守る中、身障者(聾唖や肢体不自由)を全快させ、競馬の勝ち馬から、自らの死まで予言したという超能力的逸話が数多く残されています。こうした影響からか、長生医学会にもプラーナの力を物質移動、透視、予知、等サイキックパワーに置き換え実証しようとする会員は珍しくありません。研究会の中で、手を触れず糸につるした紙を揺らすトレーニングが行なわれる事もあります。これは「気」あるいは「プラーナ」と呼ばれる生体エネルギーを外部に向け意図的に操作しようとするもので、中国の「外気功」や、ヒーラーの名で知られるセラピューティック・タッチと同様の概念を持つものと思われます。

 

*癒しのプラーナ

しかし、長生医学認定師として確固たる実績を残し、気功師という側面も併せ持つ研究家は、「気のパワーと癒しは別」という見解を、機関紙「長生」(1999年2月号)に寄せています。自分の「気」を意図的に人を飛ばす事が可能なレベルまで高めても、直接患者さんの癒しには結びつかなかったそうです。しかし、内省的手法により、心の奥底に潜む自分の傲慢さに気づき、それを反省し、人を心から思いやる気持が生じた時、気が治癒力を発揮し始め、周囲の環境までもが変わり始めたと述べています。

つまり、プラーナは性質の限定されたものでなく、自分が向ける意識の方向によりエネルギーの特性に違いが出るようです。こうした報告から、「癒すプラーナ」の源は、古代哲学や仏教において自己の本質にある3つの特性のひとつといわれる「慈悲のエネルギー」であることが、その文献から推測出来ます。

 

*愛の力とは

これは釈迦の「慈愛」孔子の「仁」といった、人類の歴史に名を残す聖人たちの最終的な教えに共通性を見ることが出来ます。(彼らは奇しくもソクラテスやヒポクラテスとほぼ同じ紀元前5世紀前後に出現しています)長生健康読本では新約聖書から、イエスの奇跡として有名な病気の治療も「隣人愛」からなるプラーナの力である可能性が高いと推察しています。人類の精神革命に大いなる足跡を残した思想の源に「慈悲のプラーナ」という大いなるエネルギーの存在があったとは考えられないでしょうか。「世界の宗教はただ一つ、それは愛の宗教である」サイババの言葉です。

 

*二元論と煩悩

長生医学ではこうした現象を「正思念」「逆思念」の概念で説明し、術者が患者に対し抱く慢心、金欲や情欲を戒めています。仏教においてそれは「怒りと貪りから離れていれば途絶えることがない」と説かれています。つまり人は、物事を常に「好き嫌い」や「良い悪い」といった二元論で判断します。つまりそれが自分にとって好ましいもの、良いものであれば欲しいと思い、それが自分にとって嫌なもの、悪いものであれば拒絶し、排除できなければ怒りを生じます。これがかの有名な二つの煩悩「貪欲と怒り」の正体と言われます。こうした煩悩とはどうやら自分の感情が作り出す産物のようです。例えば、誰かを好きになるということは愛でなく煩悩なのです。しかし現実に私たちがこうした感情の支配から逃れることが可能なのでしょうか。

 

*煩悩からの解放

それには、「自分の内面的な心のどん底を聞くことが大事である」そうした自分を観察することにより可能になると長生上人は説きます。苦しみや問題があり困っている自分の「他をも惑わせているあまりにも醜い心、なさけない心」知ることで、心の混乱や興奮、執着がなくなるというのです。これは感情の影響や支配を受けないことで、心の苦しみから解放され安心得る事が出来ると言い換えることができます。

その時、「目に見えない仏に出会う」と長生上人は表現します。つまりその時、本当の意味でのリラックスが生じ、自己の持つ潜在エネルギーが解放されるのかもしれません。患者さんを癒し、その生命力と交わる愛のプラーナを意図的に操作するには、やはり長生上人のいう「治療者の自己洞察」という過程が不可欠のようです。

 

*プラーナの成長

近年、絶対的スピリットに定理を求めるトランス・パーソナル心理学という分野が注目されています。この世界では、意識の基本的構造を、肉体、精神、魂(スピリット)に区分します。この概念はチベット仏教や長生医学と同一ですが、これをさらに詳しく9つのレベルに区分した理論家は、意識の成長は、第一段階の物質レベルの次にプラーナの位置するレベルがあるといいます。この成長は生後7ヶ月位から始まるといわれ、比較的早い時期に成長を始めるようです。(ユングは、乳幼児のこうした初期の意識こそ再獲得すべき境地と主張します。すなはち、人間は生まれつきひとりひとりが宇宙の中心として自己を経験する意識が備わっているが、見せかけの二元論に惑わされ真の本姓を見失っていくのだという見解を示しています)乳幼児に発達したプラーナが置かれる意識の場は、痛い所を手で抑え痛みを緩和させるような無意識の行動として誰もが足を踏み入れるようです。

 

*意識とプラーナ


聖灰の出現
バガヴァン・シュリ・サティア・サイババ

意識が更に高次の霊的レベルに成長すると、サイキック能力や深い洞察に満ちた鋭い直感が生まれる光明意識と呼ばれる段階に達するようですが、こうしたスピリチュアル・フォースを高めるため長生医学では呼吸法と振動法と呼ばれる修練を施術者に課します。このプラーナを高めるための鍛錬法に共通するのは、意識の集中です。プラーナは意識の集中するところに集まると言われ、こうしたことから、プラーナの本体は自己の意識と密接な関係があると推測出来ます。

それを利用し、精神集中によりプラーナを意識の動きに従わせる事や、呼吸法を用いプラーナと取り組むことにより、意識のバランスや統合も可能と思われます。(プラーナは呼吸に合わせて流れているといわれるため)

 

*密教の解釈

密教経典には、人間の身体には7万数千といわれる微細な脈管が、樹木のようなシステムを形成し、そこに様々な種類のプラーナが循環していると書かれています。その多くは真理を隠す煩悩的意識の支えとなっているもので、それが循環している限り自己の本質(悟り)には到達しないといいます。しかしプラーナの本質形態(エッセンス)が集中している重要なチャクラにある中央管(脊柱の中)にプラーナが入ると、そのエッセンスが活性化し脈管に入り、そこを循環していた好ましくないプラーナは超越され悟りが成就すると言われます。つまり循環しているプラーナをこの中央管に導きいれる事がプラーナの修練の目的といわれ(死と睡眠は別)、呼吸法はその準備に有効と認められているものです。こうして修行が進み、意識が感情による支配から解放されると、潜在的エネルギーも解放され、その副産物として先に述べた数々のサイキック能力が現れると言われますが、こうした能力の開発は修行の目的とすべきではないとも言われます。

 

*プラーナとプラシーボ
下記の画像をクリックすると拡大します。


(1)E.K. 5歳 牡馬  治療前
 
(2)プラーナを送り筋肉を柔らかくし、
少しずつ矯正

 

(3)3人で呼吸を合わせプラーナを送る。
「このとき、術者の集中力があからさまに結果に出るので気が抜けません。
良くなりますように・・・と強く念じると驚くほど早くゆるみますが、
集中力に欠けるといつまでたっても効果が上がりません」(術者談


(4)「尻尾が力強くなり、肌に張りが出ました。
これで存分に実力を発揮できるでしょう」(術者談

多くの医学関係者はプラーナの作用を、「神秘的なものに対する興味、あるいは治療を信じる事により得られるプラシーボ効果」という否定的見解、あるいは「ヘルスケアに関する知識が乏しい人々を欺くペテン」と主張しています。

プラーナのプラシーボ効果について、私の経験では、矯正音を伴う矯正法で治療効果の認められなかった聾唖者や精神薄弱児にもその有効性は確認されました。これは治療を信ずる心の働きとは明らかに違います。乳児に行なう治療にもプラーナ療法は不可欠です。はたして生後数ヶ月の乳児の消化不良が改善したのはプラシーボ反応でしょうか?また動物の治療にもプラーナ療法の有効性が確認され、競走馬の治療にプラーナは欠かせないと主張する治療師も存在します。こうしたケースの正確なデータはありませんが、プラシーボの有効率に匹敵する結果が報告されています。つまり、プラーナはプラシーボ効果のように、患者にプラーナ療法を行なう事を伝える必要もなければ、患者がプラーナを信じる必要もありません。唯一、施術者がプラーナを信じることが何より必要と思われます。

 

*個人的意見

長生医学3本柱の中枢に古代人の非科学的概念が置かれているのは、創始者が宗教家であった事だけではなく、その効果が治療においても、診断においても、理論ではなく体験として実証できるからではないでしょうか。ラリー・ドッシーが「非局在的な心」という概念を提唱しています。この単一の心が全ての生き物を結び付け、情報伝達もなされるというのです。これが事実とすれば、遠隔プラーナ療法(距離の離れた人を治療対象とするプラーナ伝達法)の有効性も証明できるかもしれません。プラーナの存在を、低周波信号、放射線、生体が発する微小な電気、電磁波、オーラといった概念で証明しようとする研究者もいます。また無作為対照試験でその効果を実証すれば、プラーナの有効性を主張できるかもしれません。しかし、プラーナは人類が6000年以上にわたりそれを体験し、その治療効果を結果として証明し伝えられてきたものです。施術者は十分の正当性を持って、一定の理論、一定の定理を主張しても良いと思います。その存在は頭で考えた理念でなく、古代からずっと報告されてきた、直接かつ即座の体験なのです。はたして科学的に検証する必要があるのでしょうか。

 


T.CONCEPT  II.RELIGION  III.THERAPIES  IV.DIAGNOSTIC

V.SPINAL MANIPULATION  VI.PRANA  VII.PSYCHOTHERAPY

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