■ 大村長生館沿革
1950年、石炭産業の斜陽化に苦悩する炭鉱労働者救済のため、長生医学の創始者柴田純宏法師(長生上人)は、病身を案ずる周囲の反対を押し切り、自ら北海道の炭鉱を拠点とした最後の布教活動に乗り出しました。しかしその願いも半ばの1953年、北海道岩見沢市における講習会を最後に横浜への帰館を余儀なくされました。
その頃、長生医学普及のため全国を巡講していた大村基實が、その志を引き継ぐため長生上人の命を受け1953年初めて北海道の地を踏みました。
医師や医療施設の不足する時代に、大村基實の伝える長生医学の治療はどの会場でも救世の神として迎えられたという記録が残っています。以後3年間北海道を訪れ、道内各地に会場を設け講演と講習会を続けました。その頃講習会を受講した多くの炭鉱離職者が、長生療術師として経済的社会的基盤を確立し、また1960年に設立された日本長生会北海道連合会の中枢として活躍する多くの人材が輩出されています。
日本長生医学会本部より正式に「北海道における10年間の布教活動」を任ぜられた大村基實は旭川市にその地を定め、1956年、旭川市旭町2条4丁目に「大村長生館治療所」を開業しました。翌1957年、結婚と同時に旭川市4条15丁目に転居。
1958年、旭川市3条16丁目に移転、長女出産に伴い北海道での永住を決意しました。1975年10月30日、旭川市4条16丁目において現在の「大村長生館治療所」を新築。北海道における長生療術の草分けとして、また旭川市内で営業するタクシ−乗務員なら誰もが知る著名な老舗治療院としてその地位を確立しています。
その間、多くの長生学園(長生療術師養成の専門学校)卒業者が内弟子として入門しました。ここで臨床経験を積んだ研修生は全員独立開業し、北は北海道、南は九州、四国に至る津々浦々で有能な長生療術師として活躍中です。また日本長生医学会会員として、地方における会員の親睦、研修活動、後進の指導にも中心的役割を担っています。