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Digital Photo Gallery  八ヶ岳の詩・御柱特集
2010年 庚寅 諏訪大社御柱祭
下社 山出し祭4月9〜11日 
下社秋宮三の御柱(下諏訪町担当)の記録

[東股川沿い]

棚木場で曵行を待つ御柱  下諏訪町大平で(3月22日)

霧ヶ峰を背に東股川沿いの山間部を下る秋宮三の御柱の列。
(4月10日 午前)

[萩倉の大曲]

集落に入り曵行の難所大曲にさしかかる。「カーブの外側に曳いて下さい」150mにも延びた引き綱の力を弱めず捌く
のがポイント。ここでは御柱がカーブにつっかえることは先ずない。曳き子が民家の塀と綱に挟まれる事故が多いとか。


[子供らも活躍]

綱先を受け持つ小さな曳き子たち。2km近く曵いてきた。「・・・おねが〜いだ!」声張り上げる木遣り少年。  

氏子たちを御柱に乗せて気勢を上げる。お祭り気分の共有で一体感が盛り上がる。(4月11日午前)

[曳き綱は超過密]

家族連れも、おじさん連も舗装上や曳き綱に腰を下ろして昼食をとる。迂闊に席を外すと小綱を付ける場所を失うほど。
(4月11日 木落坂上で)

[木落坂を下る]

急傾斜で滑りやすい坂を小綱に頼ってソロソロ下る。綱を離すと坂下まで滑落しそうで写真を撮るのも大変だ。

半分下った位置から下を見る。消防団員・救急隊員・警官らが落石や滑落事故を防ぐため取り巻いているのが見える。

[木落し・華乗り]

御柱の先頭に乗る「華乗り」 地域の氏子達から選ばれた男衆は名誉と勇気をパフォーマンス。

朝方の雨の影響で御柱はよく滑った。3〜40m落ちた付近で最高スピード、乗り手は全員振り落とされなかった。

坂下で止まった御柱に駆け寄る関係者。乗り手の無事を称える人、我がちに御柱に乗ろうとする人達の混乱。

[木落し終えて]

山出し祭最大のイベントが無事終わり、曵行責任者からのメッセージ

木落坂に滑り落ちた条痕が残る(左)        (右) トレース刻んで注連掛へ曵行される秋宮三

[注連掛]

サクラの下、里曳き祭を待つ御柱。「立派な木だね」呟きながら。そっと手を合わせる老婦人。
(4月28日 下諏訪町で)


前回の下社御柱祭の時、下諏訪町長は元職場の同僚・ブンタカ(故高橋文利君)だった。彼は祭りの後、下諏訪
町内で写真展を設営してくれ、小宮祭へ招待してくれたりした。その直後、彼は急逝した。故郷・下諏訪町の改革
に強い情熱を燃やしていただけに大変残念だった。 今回は同町高木地区の知人の好意で秋宮三の御柱を山出
し曵行させてもらった。曵行ルートは上社とは違った自然環境、氏子連の人情も少し変わっていて、新たな雰囲気
の御柱祭を堪能した。有名な木落坂を曳き綱にすがって、上から降ってくる同輩氏子を受け止めながら下り終えた
時すぐに木落が始まったのには驚いた。前回、観覧席で待ちくたびれた思いがあったが、坂下りにはそれだけの時
間と緊張が伴ったのだ。 下社山出し祭には3日間で53万6千人の人がでて、前回より1万3千人増だった。   

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Ver.2           Apr.29、2010.

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