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Digital Photo Gallery  八ヶ岳の詩・御柱特集

 序章  2004年の御柱祭に向けて 


        薙鎌が打たれ(左)   「本宮一の御柱」に決まった樅の大木 

     

故松本宮司の「・・に決めます」の呼びかけに、集まった2千人の氏子から拍手
と「ヨイショ、ヨイショ」のかけ声が返る


胴回り3b前後、樹齢200年近い樅の木 8本が最後の冬を越す       蓼科山北麓1600m付近

[早朝祈願・御柱抽籤式]      2004年元日〜2月15日  


 2月15日  抽籤式場は本宮幣拝殿(上) 籤は和紙コヨリ8本が三宝上の竹筒に(中)
 境内に詰めかけた氏子らが抽選総代が引く結果に一喜一憂(下)

[御神木 伐採式]            2004年 3月18日



斧とのこぎりだけで約2時間、直径1b樹齢200歳の樅の木は大地を震わせて倒れた 
遠巻きにした4千人の氏子から歓声とどよめきが上がる

[綱置き場へ搬送]     2004年 3月25日        


長さ18b余 1本9d 4台の車に分けて、曲がりくねった山道を運ばれた 
ビーナスライン笹丸平の交差点を曲がる御柱 

  [綱打ち]              2〜3月 各地         


村民総出でフジの根蔓を集め、細く撚りあわせた物を束ねてどんどん太い綱に撚り上げる
 御柱の曳き綱作りは地域によって材料が違う。稲藁だけで撚る地区、藁と根フジの混織も。
(3月21日 原村で )

綱置き場で[木づくり]      祭り出発点 3月31日  


巨木にメドテコを付けたり、曳き綱を付ける「木作り」作業は祭りが始まる直前まで続く 
ベテランの作業を見つめる若手−技の継承が行われる (本宮一)


「わなぐり」「元綱」係りのおじさんたちは伝承の技術で祭りの準備を終え、楽しそう (前宮二)

〈メモ〉御柱祭に向けての諸行事で、伐採時期、御柱の担当地区の決め方を
除けば、上社と下社の間に余り違いはない。今回は上社の行事の中から主な
地点を見学したが、お祭りに向けての準備に当たる諸行事にこそ諏訪の人た
ちの御柱祭にこめる心情が宿っているように感じられた。「本見立て」の日、祭
りの始まる9ヶ月以上前で未だ自分らの柱がどれか決まっていないにもかか
わらず、はっぴ・腹掛け・地下足袋の祭り衣装で2000人からが集まり気勢を
上げた。「抽籤式」までの早朝祈願にも地域の結束が見られる。諏訪市・茅野
市・原村・富士見町にまたがる旧町村別に割り振った御柱8本の担当地区は、
それぞれ抽選総代を決めて臨む。「地区に相応しい御柱が当たりますように」
と口をそろえるが、総代も氏子一同も「より太い柱」、「本宮一」を引き当てたい
に決まっている。初詣以後、各抽選総代は精進潔斎して午前2〜3時起床、午
前5〜6時諏訪大社本宮
参拝の毎日が続く。総代支援の氏子らは「大願成就」
の幟旗、地区旗をなびかせて週日でも数十人、土日・祭日ともなれば木遣り隊
を伴い広い斎庭を埋め、参道に屋台がでる。曳き綱を作る「綱打ち」、命綱や
足場を仕掛ける「メドテコ作り」は地域の公民館や農協の集荷場に材料と人を
集めて行われる。御柱に曳き綱・メドテコを取り付ける「木つくり」は綱置き場
だ。いずれもベテランと若い衆の共同作業となり、確実に技術と方法の伝承が
行われる仕組み。それにしても、無料奉仕の作業に良く人が集まることだと、
感心させられた。

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Ver.1.1     Nov.18,2004.

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