約束

-目次-
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 雨が止み程なくしてマチアは家に戻ってきた。リビングにはレジーヌがいた。
「……あ」
「……よお」
 お互い、顔を合わせるも黙ったままであった。レジーヌはマチアが帰ってくる少し前に帰ってきていた。地下道からはリカルドのお陰で無事に抜け出したのだが、リカルドに今回の事はマチアとアルベルトには秘密にするように言われたのだ。もしこんな事が知られたらもう呑気に友達とショッピングになんて出かけられなくなるよ、と。実はリカルドとしてはマチアに余計な心配を掛けたくない気持ちから言ったのだが、レジーヌもそれにすんなり納得したのだった。マチアはマチアで二人を置いて行ったこともあり、二人と別れた後の事を話すのは気が引けて言葉が出なかった。
「おや二人とも、お帰り」
 ばつの悪そうな二人の間に、部屋の奥からアルベルトがやってきた。
「先生、ただいま帰りました」
 マチアは間が悪い状況を切り開くように口を開く。
「マチア、さっきミリガン夫人が来たんだよ」
「え? ミリガン夫人が?」
「今度ミリガン家が主催する夜会に私たちも参加して欲しいとのことだ」
 それを聞いてマチアは少し安心をした。レミとリカルドから手紙でその夜会については聞いていたのだが、実際行って良いのかミリガン夫人からは連絡が無かったからだ。レジーヌは突然のことでびっくりして尋ねる。
「それ、私も行けるの!?」
「ああ、3人で来て欲しいとの事だ」
「わーい楽しみ! 何着ていこうかな。いつも演奏で着ているので大丈夫かなあ」
 嬉しそうにはしゃぎ部屋に戻るレジーヌであった。
「マチア、ちょっと良いかね」
 アルベルトはマチアに呼びかけた。
「はい、何でしょうか。先生」
「ミリガン夫人は君の事を心配していたよ。音楽の勉強は順調かと」
 ガスパールの所に居た他の子供たちを全て受け入れてくれてたミリガン夫人。当然、パリに置いてきたマチアの事を今でも気に掛けてくれているだねとアルベルトは話した。
「……」
「突然来られて私もびっくりしたよ。お会いしたのは5年前に一度だけだったからね」
 アルベルトは夫人の突然の来訪に、もしかしたらマチアをイギリスに連れて行くためにパリにやって来たのではないかと恐れた。この5年でアルベルトにとってのマチアも特別な存在となっていて今更夫人がマチアを連れて行こうとしても、絶対に渡さないとは考えていた。実際の所夫人の来訪はそうではなく、ただマチアの近況についてと夜会の招待だけであったのだが。
「君は勉強にも真面目で優秀だし、将来が非常に楽しみだと伝えておいたよ」
 穏やかに微笑みながらアルベルトは告げる。
「そんな……。でもそう言っていただきありがとうございます」
「今度の夜会で夫人が君とも是非話したいと言っていたので、挨拶をしに行く良い」
「はい、分かりました」
 マチアはその場を後にして自分の部屋に戻った。
 
 数日後マチア、レジーヌ、アルベルトは馬車でグランドホテルに向かっていた。今日はミリガン家主催の社交界がグランドホテルで予定されている。レミ達が今回パリに来た一番の理由がこれであり、この社交界の予定が終わればレミ達はイギリスに帰ることになる。グランドホテルの大広間にてミリガン家の社交界は主催されていた。今回の社交界はパリの貴族はもちろんミリガン家由来の貴族以外に学術関係者や政治家、作家、文化人なども招待されていた。

「よぉ、マチア」
 大広間に入るなり、マチアはリカルドに声をかけられた。
「リカルド……。これが終わったらまた当分会えないな」
「どうせ俺に会えない事なんてどうでも良いと思っているんだろ」
 真面目に切り出すマチアに辛気臭くならないよう配慮か、おどけた様にリカルドは返した。
「まぁでもマチア、お前はすごい。俺が心配する事なんて何もないなって思ったよ」
 1人でうんうんと頷くリカルドにマチアは不思議そうに尋ねた。
「? 何のことだ」
「何言ってるんだ。この間の事に決まっているじゃないか。いやー俺には全く真似は出来ない。お前はすごいよ」
 一瞬考え込み記憶をたどるマチアだったが、すぐに顔を赤くし焦って声を上げた。
「!! もしかしてレミに聞いたのか!?」
「え? あぁもちろん。っていうか、聞かなくても分かるけどな」
「な……女の子って口が軽いんだな……」
 マチアは内心穏やかではない様子で呟いた。
「いや、本当にお前はすごいよ」
 そんなマチアをからかうようにリカルドはマチアの肩を叩く。いらついたマチアはリカルドを睨み付けて言った。
「何だよ……お前だって向こうでやっているんだろ」
 私学のシニアスクールであれば、学業以外にもスポーツ、礼儀作法、部活動、野外活動などやることは活発であることは予想されるが、同じように異性との交流もそこそこあるだろう。皮肉ったようにマチアは言った。
「え? いやぁー無理無理。俺絶対そんなことできないね」
 リカルドは手のひらと首を大げさなくらいに横に振る。
「嘘付け。今だから白状しておけ」
「いや、出来ないね。女の子にネックレスをプレゼントするなんてそんな洒落たこと」
「え……」
 ここで初めてマチアは自分の思っていた事と話が違うことに気がつく。
「レミすごく嬉しそうな顔をしていたぜ……聞くだけ野暮って分かってはいたけど、綺麗なネックレスだなっていったら……お前から貰ったってもう満面の笑みだったよ」
「……なんだそのことか……」
 マチアは肩を落として言った。その姿を見たリカルドは不思議そうに尋ねる。
「? 他にも何かあったのか?」
「……いや、何でもない。リカルド俺はもう行くからな」
 落ち着きを取り戻したマチアはリカルドを後にする。
「おいマチア、残念だけど今日はレミは駄目だぞ。ゲストの方々に挨拶で忙しくてお前と話している暇はないからな」
「そんなこと分かっているよ。俺はさっき校長を見かけたから挨拶してくるの」
 マチアは今これ以上リカルドと一緒にいると更にからかわれそうな気がして、早々とその場を後にした。

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