御陵山から夕暮れの天狗山(肩に男山、背後に八ヶ岳)

八王子あたりから小淵沢までは特急で行けば一時間とちょっとしかかからないが、高尾から鈍行で行こうとするとその倍以上かかる。やっとの思いで八ヶ岳を見上げる駅に着き、観光客を満載した小海線に乗り込む。清里の喧噪を離れれば車内は閑散となり、車窓から今回歩こうとする天狗山(てんぐやま)と男山(おとこやま)の鋭い岩峰を仰ぎ見るようになると今回の下車駅である信濃川上駅はすぐだった。
観光客が多い小海線沿線だが、天狗山・男山は千曲川上流右岸にごつごつとした姿で気を吐いていて登高欲を誘ってくる。山頂からの見晴らしもよいはずで、正面の八ヶ岳やすぐ近くにそびえる佐久の名山御座山(おぐらやま)を眺めるにはうってつけだろう。ただ自宅からここまで来るのは時間がかかるので、せっかくだから一泊二日の幕営山行にして、隣の御陵山(おみはかやま)にも登ってみよう。


最近では御陵山と天狗山の鞍部に当たる馬越峠(まごいとうげ)まで車で上がって歩き出すひとが多いらしい。峠の標高は約1,600メートル、今回登る中で最も高い天狗山の標高は1,882メートルだから、その差はわずか280メートル程度で、ここを起点にすれば確かに楽な山歩きができるに違いない。だが当方は大深山からの旧来の登路を辿ることに決めていて、峠に上がる車道が農道に分岐するところでタクシーを下りて歩き出した。ここは運転手氏の言う「下の登山口」で、まだ芽吹きのない高原野菜畑が左右に広がり、奧にはようやく芽吹いたカラマツの林の上に天狗山が岩壁をまとって突き出ている。
農道の舗装が途絶えて林に入ると、針金を張り渡した電気柵(「アニマルキラー」と言うそうだ)が道を塞いでいた。今の季節はまだ通電されていないようだが、それでもなるだけ針金に触れないように地面との隙間が空いているところを選んでくぐり抜ける。農作物の芽が出る頃になると高電圧がかかるのだろう。当然ながら車も通れないので林道は両側からヤブが被さってきていた。
ガイド地図によるとこの登山路はまっすぐ稜線まで進んでいくように書かれているが、実際にはそうではなく林道はいったん左に迂回し、右に折り返す。「<−天狗山」の看板に導かれて山道に入る。踏み跡は明瞭なので間違いようがない。不人気なルートでしかも昼過ぎなので登っているのは自分一人だ。山道は急傾斜になり、足元ばかり見つめて歩くことになる。
小海線の車窓から天狗山(右)、男山
小海線の車窓から天狗山(右)、男山
いつのまにか新緑の針葉樹は消え、凝結した白い精霊の群が冷ややかに出迎えている。異界にも思える木立は白樺のもので、荒れた土地に最初に根付く樹木のわりには幹の直径が30〜40センチもあるものが多い。南面にもかかわらず他の植物が侵入するのが遅れている気もする。まだこのあたりは地味が痩せているということだろうか。天狗山は岩壁をまとわせた形状から火山のように思えるが、実際には堆積岩のチャートでできている。水はけが良すぎて植物の生育に向いていない、というわけでもなさそうだ。なにか別の理由があるのだろう。
正面に大きな岩が立ちふさがっていて、岩と岩のあいだの狭い隙間から水音が聞こえる。折角の水場だが、流れが奧過ぎて手がとどかない。ここを巻いてしばしの急登で稜線だった。あたりは灌木が茂っていて、向こう側に見えるはずの御座山もほとんど見えない。左に行けば天狗山だが、明日またここに戻ってくることだし、本日はまず御陵山方面に幕営地点を探さなくてはならない。(天狗山方面に探すよりは見つかりやすいだろう。)こうして馬越峠に下っていくことにする。


とは言いながらまずは目の前の岩場によじ登るところから始まる。ここで初めて御座山(おぐらやま)が目に入る。予想以上に大きく、頂上部のずんぐりとした岩峰が一番に目を惹くが、ほとんど黒木に覆われており、全体に鋭角的なところがない。佐久平に落とす尾根はいったん大きく張り出してから高度を下げ、山頂から背後に連なる稜線は低まることなく長く続いている。無骨なしっかり者を思わせる姿だ。南東の山稜を越える高圧送電線とかなり高いところまでまとわりつく林道がこの山の重厚さを損なっているが、その程度のことでへこたれる格ではない。これから二日間、終始この御座山が北方に見え隠れし続ける。
大深山登路合流点付近より御座山
大深山登路合流点付近より御座山
天狗山の稜線が馬越峠で高度を落とした先には顕著な屋根形の山が一段高くせり上がっている。あれが御陵山だ。このあたりから見るとかなり遠く見える。峠から二時間かからずに着くそうだが、そんなに早く行きつくものか心配になる。さらにその右手、御座山とは反対側には奥秩父の山並みが見えている。とくに小川山が優美すぎるほどの三角形を描いて魅了する。左手には国師岳から甲武信岳につながる稜線が浮かんでいるが、国師はともかくその他はどのピークがどれと同定することができなかった。


目にも鮮やかな赤いよだれかけをしたお地蔵様が二体待つ馬越峠は舗装された林道が越えており、車が何台か駐車してあった。ところでこの峠は登山者以外の車もよく越えていく。大深山から登ってくる最中には出発時刻の遅さと登りの疲労とで「御陵山まで行く気力と体力がなくなるのではないか」と徐々に弱気になり、テントを立てるに適当な場所が見つからなかった場合はこの峠に幕営することもあるだろうと考えていたが、この騒がしさではあまりに落ち着かないのだった。時刻を見れば、もう3時過ぎだ。御陵山に着くのは5時前後となろうが、できれば車の往来のある場所でなく山の中でテントを立てたい。静かなところで夜を過ごしたい気持ちが疲労に打ち勝って、車道を渡って再び山道に入っていく。
馬越峠上部より御陵山
馬越峠上部より御陵山
指導標もなにもなく、ただ尾根筋に出るはずの踏み跡を追って登ってみると、それが登路だった。数メートルの岩場を越すと、あとはおおむね平坦な山道である。もちろん緩い上り下りはあるが、馬越峠の向こう側と比べれば穏やかと言っていいだろう。このあたりの絶対高度は1,800メートル前後、下に見える川上村の標高が1,200メートルくらいなので高度差はせいぜい600メートルくらいだからそれほど高いとは思えないが、さすがに植林は少なく前後左右とも自然林が広がっている。暦の上ではもう5月になるとはいえ、この山の上はまだ早春で、林床は冬枯れたままで明るく、痩尾根のあちこちで視界が開ける。両側が広い耕作地の谷のため御座山や奥秩父の遠望も利いて気分がいい。
峠の手前では御陵山はかなり遠く見えたし、行きつくまでに越えるべきコブの高低差もかなりありそうに見えたが、実際には楽な稜線歩きだった。そのため半分少しを来たところで安心して荷物を下ろし、夕方4時だというのにまだ暖かい日差しを受けて横になっているうちに眠ってしまった。日が陰って肌寒くなって慌てて飛び起き、荷物を背負い直して歩き出す。地図を見る限り御陵山の頂上部は広くゆったりしているものと思っていたのだが、直下の急な登りをこなしてたどり着いてみると、実際にはところどころ岩の出た細い稜線の一角で、テントを張れる平坦な場所が少ないのだった。ある程度の地面の傾きは仕方ないとして、山頂の祠の脇に設営した。
しかし御陵山とは不思議な呼び名である。貴人の陵墓が山中にあるのかと思わせるものの、どうもそういうものはないようだ。天狗山の麓にある大深山遺跡と関係があるのかもしれない。天狗山や男山はおそらくその突兀とした姿形から即物的に名付けられたのだろうが(ちなみに千曲川を挟んで男山に対峙する「女山」というなだらかな山もある)、御陵山は見ただけでは理由がわからない。
夕暮れの寒々としてきたなかに立って西に目をやれば、まだ山の端に隠れていない夕日が逆光となって八ヶ岳をぼんやりと浮かび上がらせ、富士山型に見える天狗山を黒く沈めている。今まで小川山に隠れていた金峰山が五丈岩を押し立てて姿を現してきており、あいかわらずよく見える御座山はすでに安心感を与える存在だ。夜半、ほーほー、ほほほとフクロウが夢現の彼方で鳴いていた。


いつものように鳥達の囀り重奏で目を覚ます。寝ぼけ眼でテントから抜け出てみると、昨夕とは逆に日の光を正面から受けた八ヶ岳がヒマラヤの高峰もかくやとばかり、藍色を残した空を背景に雪を被った姿を際だたせている。左手の奥秩父も右手の御座山も引き立て役に回ってしまった。御座山の左の彼方には茂来山や浅間山まで見えるが、雲海を足元にたなびかせた赤岳、横岳、硫黄岳を中心とする白い山々の前では影が薄い。その左後方には南アルプスの鋸岳・甲斐駒から鳳凰三山に連なる稜線が長く延びていたものの、いかんせん距離が遠すぎて輪郭があいまいで、今朝のところは主役の座を張るに至らない。背後の北岳・間ノ岳の応援も残念ながら力不足だった。
御陵山より八ヶ岳を背負った朝の天狗山
御陵山より八ヶ岳を背負った朝の天狗山
夜明け直後は快晴だったが、出発する頃には高曇りの風情になってきた。まだ日は射すものの、気温はそれほど上がりそうにない。しかし馬越峠からの天狗山への急な登りを重い荷物でたどろうとする身には、それはそれでありがたい。峠に着いてみると、すでに自家用車が6台も停まっている。御陵山に行く車一台分のパーティーに山中で会ったので、少なくとも5パーティーは天狗山方面に先行しているらしい。しかしここから男山を往復する人たちは手前にある天狗山を二度登ることになるわけで、ご苦労なことと思う。
昨日登り着いた大深山からの道を会わせるところまで戻って、ようやく天狗山への登りにかかる。ニセピークだと思って登っていた急斜面は偽ではなく天狗山本峰のもので、狭い山頂には若者4人組と単独の中年男性が一人いるだけだ。改めて御座山に挨拶し、男山への稜線を検討する。見た目はなだらかそうで、それほどたいへんではなさそうだ。男女二組の若者パーティーが、「瑞牆尾根がよく見える」と言うのを聞いて見落としていた奥秩父側に目をやると、大ヤスリ岩も顕著な岩峰の山が小川山の右肩に姿を現している。「わたしを忘れてもらっては困るね」と言いたげな瑞牆山は、残念なことに手前の小川山稜線に高圧線の鉄塔が林立していて写真にはならないのだった。十文字峠の小屋で聞いた話では、この送電線は東京電力が新潟の原発から東京まで引いてくる途中のものだそうである。
市販のガイド地図には天狗山から男山まで稜線を一直線に進むように書かれているが、そんなことをしたら天狗山西端の絶壁から転落してしまうだろう。地図はともかくガイドブックには正しく書かれていることだが、実際には南側にいったん回り込むようにして岩壁の下に下り、それから男山への稜線に乗ることになる。岩の出た痩せ尾根を行くと不意に尾根が広がって気楽になったりする。振り返ると、いま巻き下ってきた天狗山岩壁がそそり立っているのが仰がれて、逆コースを採っていたらどういう気分になるだろうかと思わせられた。
天狗山からの縦走路より男山
天狗山の縦走路より男山
男山への稜線は残雪とシャクナゲの森の中を行くかと思えば、針葉樹が密生して見通しの利かないなかを進むときもある。見晴らしの良い岩場も何度か出てくる。実に変化に富んだ、味わい深いと言ってよい縦走路だ。平坦路がないのに荒れた感じがしないのは、丹沢とかとは違ってピークを巻く道があり、左手にゴルフ場が見えはするが、斜面が崩れてトラロープがあちこちに張られているようなルートではないからだろう。


天狗山から見ると双耳峰に見える男山は手前の峰を巻き、本峰にもそれほど登らずに到達する。高木のない岩屑だらけの山頂からは目前に何も遮るものなく八ヶ岳が見えるが、下り坂の天気のおかげでかなり霞んできてしまい、今朝見たときの神々しさは失われていた。風も強くなってきおており、日差しのなくなった今ではシャツだけだと寒いくらいだ。朝テントを出てから初めてバーナーで湯を沸かし、紅茶を入れて今回最後のピークに達したことを祝い、少ないとはいえ次々と人の来る頂を辞した。
信濃川上駅に下るため、男山山頂直下から右手に別れる踏み跡に入る。岩はないがやや急なジグザグの道を20〜30分で林道の終点に出る。ここは開けた平坦地で、テントを張るにはいい場所だ。芽吹いたばかりのカラマツに見守られながら未舗装の林道を行けば、途中にはささやかながら水場もある平坦地があって、ここも幕営地として使用されているのがわかる。旅館のように見える団地の前で舗装道に出ると、目の前の川の向こうがちょうど駅なのだが、橋は少々上流にあるので、大きく迂回しなければならないのだった。
2001/4/28〜29

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