3月の百蔵山山頂から泣坂ノ頭(左)、大峰(中央)、尾越山(右)

雁ヶ腹摺山と楢ノ木尾根(二)

雁ヶ腹摺山から楢ノ木尾根へは、富士に背を向け、北に向かって樹林のなかに入っていく。踏み跡は明瞭だ。最初に目指すのは大樺ノ頭という隣のピークだが、そことの鞍部に下る左手斜面の植林はいまだ幼樹で、間近に小金沢連嶺が眺め渡せられた。このまま歩き去るのは惜しく、山頂で大休憩を省いたのでここでと考え腰を下ろし、湯を沸かす準備を始めた。


楢ノ木尾根はかつてはヤブ尾根だったそうだが、大月市による整備が進んでいるのか道標も立っていればスズタケの刈払いもされていて十分に歩きやすい。左に小金沢連嶺を見渡しつつ達する大樺ノ頭からは奈良倉山方面も望めて、眺めも悪くない。カラマツの新緑が目に優しく、周囲の雑木林と相まって紅葉時はもとより、葉末に霧氷の付く冬場も美しいものだろう。右手には梢越しに泣坂ノ頭が望める。その向こうに北都留三山の権現山、百蔵山、扇山が意外に高く見える。標高はそれほどでなくても、山体が比較的大きいからだろう。
大樺ノ頭からの下りになると行程は完全に東走するようになり、雁ヶ腹摺山の登りで見上げた姥子山を裏側から眺めるようになる。大樺から離れるにつれ、その背後にあった雁ヶ腹摺山が膨大な図体を現し始め、その傍ら、姥子山の上空には霞みがちだが富士山も顔を出してくる。このあたりになるとそれほど高低もなく気持ちよい稜線歩きが続く。樹林に囲まれた中を行くうちにかなり広い笹原に飛び出しもした。唐松立というピークの手前である。ときおり左手の眺めが開け、手前にやや低い牛の寝通りが長々と伸び、その向こうに奥秩父東半の稜線が遠く霞む。穏やかだった道のりが細かいアップダウンを繰り返すようになると、泣坂ノ頭は近い。
新緑(セーメーバンの尾根にて)
手前のコブから見る泣坂ノ頭はうっすらとした新緑に覆われ、伸びやかに斜面を広げていた。泣坂のタルと呼ばれる鞍部に下ればまるで切り通しのようだが、これは本当に切り通しらしく、岩科小一郎氏の『大菩薩連嶺』には「昭和八年ごろに開通した小金沢中腹林道の名残り」とある。山名の謂われとなった急坂を登り返すと、斜度が緩んで明るい肩に出る。少し先にある山頂は木々に囲まれて眺めのない、閉塞感を受ける場所だった。ちょうど昼になったところだが荷を下ろして休む気にならず、大峰まで行ってしまうことにした。
広くなった尾根筋を半時ほどかけて登り返すと木の祠が建つ大峰の山頂だ。先の『大菩薩連嶺』によれば”大峰の権現さま”は雨止みに霊験あらたかで、葛野川沿いの和田集落の人たちが祀っているとある。土台を守るかのように石がいくつか寄せられていたのでまだ大事にされているのだろう。大峰山頂も泣坂ノ頭に似て開けた眺めはないが、木立がまばらなぶんいくらか見通しがよく好ましい。振り返ってみると木々を透かして雁ヶ腹摺山を遥かに望み、昨夜テントを張った大岱山あたりも窺える。よく歩いてきたものだと思いつつ荷を下ろし、朝から数えて三度目のお茶とした。


大峰からのコースは南下を始める。山頂からのやや急な下りが1,298メートル峰あたりで緩んでほっとしていると、前方に空が明るく広がっているのがわかる。光溢れる中に出てみると、そこは山上の大舞台だった。
急斜面の伐採地上端で、世界がとつぜん抱えきれないほどに広がる。深い谷を隔てて目の前に鈍重な台形の山がどっしりと座っている。宮地山だ。その手前から奈良子川が左手へと広い谷を作り出し、とりとめのないほど視線をさまよわせる。その左方に低まりながら伸びるのは、これから下りに辿ろうとする楢ノ木尾根の末端部分だ。そのさらに左手には北都留三山。
巨大なカルデラの外輪山から火口原を眺め渡しているのにも似た光景で、その大きさにしばらく立ちすくんでいた。大岱山近くからの雁ヶ腹摺山といい、大樺ノ頭に向かう途中からの小金沢連嶺といい、今回辿っている行程は予想外に大きな眺めが展開する。伐採地のへりを下っていくあいだも開けた眺望を堪能できたが、左後方を振り返ると大峰が少しよそよそしくこちらを見下ろしていた。じつは大峰山頂に達したときの感慨はそれほど沸いていなかった。尾根縦走を主として大峰はその一部分としたからで、それはそれでしかたがない。次はあれだけを登りに来よう。
再び樹林のなかに入ると行程の傾きも緩み、落ち着いた風情の水無山に導かれる。上和田に下る山道が稜線から何事もないように分かれていくが、今回はこの道筋に入らずそのまま尾根筋を辿る。急激に頼りなくなる踏み跡を追って、1,098.9メートルの尾越山まではかなり楽に歩けた。ここからは再び急激に下り出すが、その下り口が不明瞭で多少迷った。とにかく尾根筋に忠実にを基本として進むが、さすがにここを歩く人は少ないらしく、以前は明瞭だったはずの道筋は途絶えがちで、倒木も少なくない。進むのを妨げるほどではないが、ヤブも少しばかり被さっているところもあった。
新緑(セーメーバンの尾根にて)
すでにかなりの距離を歩いてきたので疲れもだいぶあり、正直言ってこの水無山からの尾根筋はかなり長く感じた。左手には人家がすぐ近くに見えるものの標高がなかなか低くならないのもそう感じた理由だろう。しかしコース自体は悪くない。やや荒れているとはいえ尾越山の下り以外は迷うようなところもなく、左右の木々も風情がある。何度か幅広の峠道が越えていくのも目に入る。道標もなく地図に表記もないので名はわからないが、その広さから少なくとも昔はよく歩かれていたということは窺われる。
もう末端近くだろうと地図から判断できるところで尾根筋から左手に別れる山仕事のものらしい道筋があり、そちらに入った。ジグザグを切って下っていく山道が着いた先は、予定の金龍寺前ではなくて、バス停として3つほど手前の上平というところだった。水無山から2時間半ほどかかっていた。バスに乗る前に顔と手を洗い、できればビールが飲みたいと思いつつ来たので、あと一時間以上バスが来ないとわかっても失望はしなかった。しかし停留所を5つ以上越えて歩いても、使わせてもらえそうな水道も、酒を売っている店もみつからなかった。
田無瀬という停留所まで来てさすがにくたびれて荷を下ろした。5時半過ぎの終バスを待つ一時間弱ほどのあいだ、散歩に出てきた近所に住む老人に話相手になってもらった。このあたりは釣りが盛んなようで、山には登らない老人はカバーに収めたステッキを釣り竿と思っていたそうだ。貸家に住まわれているとのことで賃料を伺ってみるとこのあたりはさすがに安い。「ここだと買い物もしないしできないから年金だけでもなんとかなるけどね」と言われていたが、高尾の向こう、中央本線沿線に住みたいとも言われていた。


今回の山行で問題は水だった。稜線上に水場はない。百軒干場で沢を渡りはするが、林道脇なので飲料には適さないだろう。大峠には水場があるらしいが雁ヶ腹摺山頂からわざわざ楢ノ木尾根の反対側へ下る気はしない。というわけで当初予定の二泊三日に備えて3リットル半ほど担ぎ上げた。結果的に一泊二日で済んだので日中は暑い初夏とはいえ使用は2リットル強で済んだ。もっぱら水は飲料のみで、食事にはほとんど使わなかったことにもよる。
なお、再三引く『大菩薩連嶺』では奈良子の山村を記述する項にて雁ヶ腹摺山のことを地元では「雁腹(がんばら)」と呼ぶとある。大樺ノ頭は単に「大樺」、大峰から南下する尾根は「瀬戸境」と呼ばれていたらしいが、現在でもこれらの呼称が使われているかはわからない。また本書では「楢ノ木尾根」という呼称は現れず、「大樺尾根」とされている。
2005/4/30~5/1

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