セーメーバン付近から宮地山宮地山

大菩薩といえば黒川鶏冠山から滝子山に至る主脈の連嶺と源治郎岳、雁ヶ腹摺山くらいしか認識していなかったのだが、雁ヶ腹摺より派生するいくつかの尾根筋とそこに隆起する山々も大菩薩の山域内に数えられることを最近になって知った。


雁ヶ腹摺山からは北に派生してすぐ東に曲折する楢ノ木尾根、東南に姥子山を起こす尾根、南に野分ノ頭に達する尾根の三つが流れ出る。このうち最後のものは野分ノ頭より二分し、南に走って花咲山に達するもの、東に大岱(おおぬた)山に盛り上がるものとなる。さらに大岱山からは東に宮地山を起こす尾根、南にセーメーバンを経て岩殿山に達する尾根の二つに分かれる。
大月周辺の山々からすると、背後の奥秩父の山々を隠して天と地を区切る楢ノ木尾根はその名を知らなくとも目にとまることは間違いないのだが、他の尾根はこの楢ノ木尾根の手前にあって低く目立たない山々が多いせいもあり、気にして見ないことには存在すら把握できないにちがいない。そのなかでも宮地山は比較的大きな台形の山容をしており、少し目を凝らせば容易に見分けられる。自分もこうして宮地山をまず見分けた。
浅川峠から宮地山(中景の右)
浅川峠から宮地山(中景の右)、大岱山(中景の中央)、セーメーバン(中景左、尾根が別れるところ)
手前の低い尾根は楢ノ木尾根の末端近く
後景は南大菩薩
昭文社のガイドマップだとこのあたりは経験者・マニア向けとされている。要するにヤブ山だということなのだろうが、春浅いころであれば少なくとも草葉のもたらす蒸し暑さとは無縁だろう。ついでに人の訪れにも縁が遠いに違いない。静かな山を求めて出かけて行くには手頃なところと思える。こうして3月の下旬に訪れてみた。


宮地山に直接登るのであれば大月から上和田行きバスに乗って奈良子入口で下車し、林沢戸入口のバス停まで歩く。ここまで入ってくるバスはあるものの一日3本くらいしかないのであまり当てにできない。沢をまたぐように家が軒を連ねる小さな集落に入ると、そのなかに紛れるように807年に創建と伝えられる宝鐘寺の薬師堂が建っている。再建とはいえ築200年を数えて縁側の板など波打っているが、質素な佇まいは寂しくも落ち着いたもので、踏み跡もあるか否か不明な山に登ろうという心を鎮めるにはちょうど良い場所だ。
宝鐘寺薬師堂 手前は仁王門
宝鐘寺薬師堂 手前は仁王門
薬師堂の裏から尾根末端の急坂を上がり、林道を越えて無住の牛舎を横目にして過ぎる。左手下には集落の屋根など見え、これが意外と近い。行程がなだらかとなったところで頭を上げると、赤松の堂々とした巨木が立ち並ぶなかを歩んでいることに気づく。巨大宮殿の柱廊のなかを行くかのようで荘厳であり、歩みを緩めて味わうべき場所だ。尾根道は再び急となり、いつしかその長さに呆れて振り返ると勾配の激しさに驚く。登り着くのは山頂の肩で、丸石に刻まれた「山神大権現」の文字が出迎えてくれる。いまのいままでが激しい登りだったので石碑の丸みがどこか拍子抜けさせるものすら感じさせる。
そこから広い頂稜をしばしで小広い山頂に着く。ここには大菩薩山域に四つしかない二等三角点の一つが置かれており、往時は見晴らしがよかったものと思われるが、夏はいざ知らず冬でも樹間に楢ノ木尾根の泣坂ノ頭と大峰が近々と見えるくらいか。それでもあたりは単調ならざるリズムを醸す雑木の群れなので灰褐色の木の幹を眺めているだけでも楽しい。寒さにめげずお茶を入れたくなるところだ。


宮地山は山頂だけではなく、その西隣の大岱山とを結ぶ区間にも訪れるべき価値がある。そこはかつては名だたるヤブ地帯だったという。宮地山と大岱山の両方を踏むと帰路がややたいへんになることから、あまり好まれて歩かれるところではないらしい。しかし宮地山の山頂を踏むだけでは急坂を往復するだけになりかねず、面白いとは思えない。
宮地山の頂稜から泣坂ノ頭(左)、大峰
宮地山の頂稜から泣坂ノ頭(左)、大峰
本日は朝は好天だったものの空には不穏な雲が広がってきていて、いつまた降雪があるかわからないような状態になっており、踏み跡不明瞭地点があるという行程に一人で入るにはどうにも不安をかきたてられる。なんといっても山頂周辺の雪上に靴跡を付けているのは自分だけ、後ろはともかく前には誰もいない。しかし宮地山往復にとどめる気はやはりしない。いつものように行けるところまで行ってみよう、時間はまだたっぷりあり、戻るのは自分の足跡をたどればよいから簡単だと考えて足を踏み出す。冷たい風がうなりを上げるなか、昨日の雪でうっすらと覆われた稜線が続く。赤松の林に隣り合って真っ直ぐに立ち並ぶカラマツの林が、幾何学的で寒々とした美しさを見せている。
踏み跡は雪でわかりにくくなっているのではと心配していたが、むしろ逆で、そこだけ融けている。人の歩いたところには落ち葉が溜まっておらず、直接地面に接すると積もりにくいのかもしれない。黒々とした一条の道をたどること小一時間ほどして、眼の前に屏風のように見える尾根が近づいてきた。あれが大岱山からセーメーバンにつながるものだろう。とすると、少なくともこの時節では踏み跡も明瞭で見通しもよいということだったようだ。こうして大岱山東肩下にある送電線鉄塔の足下に着いた。ここまで来ればもう迷いようがない。
岩科小一郎氏は1959年刊の『大菩薩連嶺』で、「大岱から宮地山の間はほとんど平坦で、眺めはよし、今少し鉄路に近ければ良好なハイキング地になる惜しいところだ」と評している。往時からすれば樹木が生育して眺めは劣化したかもしれないが、それ以外は現在でも首肯し得るところだろう。この区間は、その不便さゆえに、いましばらく静かなまま置かれることと思われる。


大岱山からは尾根沿いにセーメーバンを踏んで高ノ丸、笹平を越え、稚児落としの岩壁を覗き込んで車道に下り、大月駅まで歩いた。この尾根道は山梨東部の山々全てを見渡すコースである。右を見ればいつものように滝子山が、左を見れば意外なことに百蔵山が、競うように鋭い尖塔の容姿を見せていた。振り返れば雁ヶ腹摺山が大きい。その他ここに書き並べるのも煩わしいほどの山々を眺めた。ここ数年に歩いた中央本線沿線の山の中間決算にも思えるコースで、来し方の山歩きと、これから歩くべきルートとをあれこれ考えながら下っていった。
高ノ丸の下りから百蔵山、扇山(奥)
高ノ丸の下りから百蔵山、扇山(奥)
2004/3/21

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