鳥海山 湯ノ台道 河原宿小屋付近から鳥海山

尾瀬の燧ヶ岳が群馬か新潟の山なら鳥海山が名実ともに東北地方一の山だったのに、と思う。岩木山や岩手山、飯豊、朝日に蔵王山安達太良山など、東北地方にはその地方ごとに名山がたくさんあるが、独立峰の毅然さの中になだらかな裾野の優美さと新旧二重の山体が醸し出すふくよかさを併せ持つという点で、少なくとも麓から見る分には鳥海山が東北一の山であると言いたい。


奥羽本線酒田駅から鳥海山登山口のひとつ鉾立行きのバスが出る。バスの座席は山を目指す人々でいっぱいだった。日本のあちこちから来た人々であることが会話の断片から推測できる。終点の鉾立には大きな駐車場があり、頂上まで行くのか散策だけなのかはともかく山道に入る人の車でいっぱいだ。それ以上にたくさんいるのが山道の赤トンボで、まるで蠅のようにまわりを飛び交い、足下の地面にすいっと止まる。思わず踏みつぶしてしまいそうになる。山の上はもう秋だということなのだろう。
全体的に平坦で歩きやすい道を歩いて御浜に到着。写真でよく見る火口湖の鳥の海が背景にトロイデ火山らしき鍋森を従えて庄内平野をバックに浮き上がる。ここで鳥の海を眺めながらちょっと一休み。
さて、御浜から七五掛を経て千蛇谷に入ったとたん、季節が五ヶ月くらいは逆戻りしてしまった。谷は雪渓になっており、正面にあたる山頂側から風がうなり声をたてて吹き下ろしてくる。風があるにもかかわらず谷底にたまったガスは動かず、日も射さないのでろくに先も見えないまま前進する。しばらく雪渓上を歩いていると、先ほどまでは前後に人がいたのに、雪渓上は全くの自分一人。それもそのはずでルートをはずしていたのだった。
両脇の谷壁からときどき岩が落ちる音がする。岩にあたらないように雪渓の中央部を歩いていくと、いつしか広かった谷底も幅が狭くなり、傾斜も増してくる。踏み跡を左岸に辿り、ガラガラした岩の急斜面を絡むようになる。ここはすでに中央火口丘である新山の山裾にあたり、斜度が増して足が上がらなくなるほど疲れた頃にあとから来た中年の女性二人組が追いついてきて、へばっている私に挨拶して追い抜いていく。元気だな、と思ったものの、それでこちらの体力が戻るわけでもなく、どうにかこうにか山頂小屋の入り口にたどりつく。登山口からちょうど4時間であった。本日はここに泊まる。


翌朝、朝食後に鳥海山最高点の新山に登り、影鳥海を期待するが、東の空に低く雲がかかっているため影はできなかった。それでも周囲の眺めは素晴らしく、岩木山から始まって岩手山栗駒山、八甲田山、月山を見渡して気分は東北地方の主のようだ。男鹿半島方面から伸びる秋田の海岸線はのびやかで、同じ方向の山頂直下には北方に開いた鳥海山のカルデラ地形が溶岩流とともにはっきり観察できる。その先に象潟があり、陸の松島と呼ばれる昔は島であった小丘が田んぼの中に点々と望まれる。
夜明けの新山山頂
新山の夜明け
新山に別れを告げ、そのまま外輪山に登り返す。稜線に出たところでザックを置いて七高山に向かう。稜線には樹木がなく視界を遮るものがないので、右手下方に裾野がのびやかに広がっているのが見え、高度感は十分だ。裾野から低い轟音がここまで響いてくる。なんだろう、と目を凝らすと、遥か下に高さの割には幅の広い滝が白く見える。音の出所はこれだ。鳥海山を源にするのに鳥海山を正面にするという法体の滝である。二年前に間近で見たが、50メートルだったかの落差を持つ末広がりの形をした水量豊富の美しい滝だった。こういうのを名瀑と言うのだろう。
法体の滝
以前に訪れたときの法体の滝
湯ノ台への下り
お花畑の中、湯ノ台への下り
さて頂上部の外輪山稜線を下り、途中から山腹南面を下る湯の台コースに足を踏み入れる。正面に明日登る予定の月山を終始眺める闊達な気分の下りだが、石だらけの急坂と雪渓の斜面の連続で気疲れもする。心字雪渓という大きな雪の斜面が途中にあるが、夏の雪渓は締まっているとはいえ、ただでさえ滑りやすい上にでこぼこしていてまっすぐ歩くのがなかなか骨だ。ようやく歩ききってしばらくすると滝の小屋で、ガイドブックにはここでタクシーを呼べるとあるが、管理人さんが不在のため連絡のしようがない。しばらく待っても誰も来ないのでしかたなく湯の台温泉まで車道歩き三時間を決意し下り始める。


とはいうものの、長年使ってきた軽登山靴の浸水が激しく靴ずれができそうで気分は挫折寸前だ。足をひきずるようにして歩いていたのが見えたのだろうか、後ろから車で下ってきた酒田市在住の方に拾われ、山や花の話をしながら酒田駅まで送っていただいた。お礼をしようとしたら固辞され、気持ちだけ伝えてお別れする。鳥海山は気持ちのいい山だったが、さらにいい思い出の山になった。 
1993/8/6-7

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