安達太良山 箕輪山の下りから鬼面山

前から、安達太良山に入って南から北に縦走し、そのまま吾妻の浄土平に出て吾妻山を東から西に縦走して白布温泉か磐梯高原の檜原沼に出たらさぞ歩きがいがあるだろうと思っていた。これこそ山旅というものだ。どうせ歩くのなら紅葉の季節がいいだろう、東北地方は行くならやはり秋がいい。たとえ山の中が雨でも、登山道の脇にはぜいたくなまでの紅葉がひっそりと広がっているのが見られるからだ。


安達太良山への鉄道の玄関は菊人形で有名な二本松だ。10月5日にここに着いてみると、日本三大提灯祭りの一つという本松の提灯祭りの中日だった。(残りの二つはJTBのガイドによれば秋田の竿灯、愛知県の一色提灯祭りだそうだ)。そういうわけで駅前の通りはタクシー以外通れず、安達太良山登山口である岳温泉へのバス停留所は移動されており、もうひとつの登山口である塩沢温泉へのバスはいつ来るかわからないという状態だった。仕方ないのでタクシーを奮発して塩沢温泉に向かう。
小雨模様の登山口はスキー場入り口でもあった。あまり考えないでまっすぐ進んだら踏み跡はすぐ脇の林の中で沢の中に消えてしまう。初っ端から道に迷っているな、とゲレンデに戻ると道はその中央を通っている。スキー場奥まで行くと森の中に入るが、予想していたより道幅は広い。岳温泉ルートよりはるかに歩かれていないのでは、と心配していたのだがかなり安心する。右手に終始沢音を聞きながら人気の少ない山道を歩く。いくつかの滝を眺め、6回ばかりの浅めの渡渉(と言うほどでもないが)をこなして岳温泉からの道と合流し、ほどなく今夜の宿のくろがね小屋に到着する。
この小屋は温泉つきで、ちょうどいい湯加減の真っ白な湯の風呂が湧いており、気持ちがよいので二度ばかりはいる。本日の泊まり客は20人ほどなので混雑と言うほどではなく、幸いにゆっくりと浸かっていられる。窓から眺めると鉄山方面の岩壁が見上げられ、紅葉が映えていい景色だ。部屋では中学生の息子さんを持つ横浜在住の男性といっしょになる。とある大学の農学部を出て公立公園設計のコンサルタント会社に入ったそうだが、役人の横暴さに嫌気がさして脱サラしたという。「『ここが公園に最適だという報告を出せばいいんだ』とね、まず結論ありきなんだよ。コンサルタントも何もありはしない」。まったく、日本の国土は予算消化のためにあるのではない。もう少したいせつに扱ってほしいものだ。


翌朝の稜線は全てガスの中。小屋の中では天気予報が「午前中は雷雨、午後は晴れ、現在濃霧注意報が発令中」と繰り返している。うーん、どうするべきか。野地温泉まで歩き通すのを諦めて山頂往復にとどめ、本日の宿である幕川温泉には塩沢温泉からタクシーで回ろうか....などと迷ったが、あまりにまずい状態なら鉄山からでも下れることだし、少しは稜線を歩いてみよう、あとは鉄山まで行ってそれから考えようということにした。
歩き出してみるとガスの中とはいえペンキマークのおかげで迷うことはなさそうだが、岩と砂しか足下に見えないところでは踏み跡が定かではないのでマークを見落とすと下りではちょっと危険な気がする。登る分には稜線までは楽に出られる。左手方面に岩峰が見えるが、山頂のものとしてはいやに小さい。近くに標柱があったので見てみると「馬の背」と書いてある。山頂まで直上するルートを選んだつもりが、馬の背に出る道を歩いてきたようだ。人はこうして道に迷う危険を犯すというわけだろうか。ともあれ自分の位置がわかったのでザックを置いて山頂往復にでかける。
巨大な岩峰を回り込むようにして登るとそこが山頂だった。視界皆無。三角点を確認してすぐに下る。ザックを回収して鉄山を越える。左手に沼の平の大火口があるはずだが想像するほかない。近年(1997年)、火山性ガスで亡くなられた方が出たところだ。その少し前には八甲田で二酸化炭素中毒で命を落としたという事件もあった。山はやはり本来危険をはらむ場所であるようだが、これを「中高年登山の落とし穴」といった世代的な問題に矮小化した言い方で片付けることはできないだろう。火山性ガス事故は年齢に関係なく危険なのだから。
風は強いがまっすぐ歩けるし、雨もひどくないので鉄山の先の箕輪山まで進むことにする。鉄山避難小屋があったので入ってみると自分のいる世界が文字通りぱたっと静かになる。外では風音がかなりうるさいというのがよくわかる。窓は二重になっているものの西側の窓は強風のせいか外側のガラスが破損し、内側の窓も窓枠の鉄が腐食してぼろぼろの鉄錆の山になっていて閉めることさえ出来ない。鉄線ワイヤが入っているガラスの真ん中から放射状にヒビが入っているが、これって、強風で飛ばされた石があたってできたヒビではないか?そんな石が生身の人間に当たったらと考えると、かなり怖い。
再び風がごうごうと唸る稜線の世界へ。鉄山はピークを踏まず西側を回り込んでいく。箕輪山との鞍部で、箕輪山そのものの巨体が下部だけガスの切れ目から見えかけるが、それもつかの間のこと。箕輪山を越してもガスはそのままで、ここまで来たら全部歩いてしまえとばかり最後のピークの鬼面山に向かって下り出す。これがまた滑りやすい道で、今まで歩いてきた砂礫のざくざくした道とは大違い。しかも急なので慎重に行かなくてはならず、なかなか進まない。溝のような道の両側には白色の世界をバックにして紅や黄色に色づいた灌木が覆い被さり視界を遮っていたが、ある角を曲がるといきなりこれから下る尾根筋の光景が全て一望の下に展開した。風上側のさらに張り出した別の尾根のおかげでガスが回り込まず、眺めが効くようになっているのだ。
しばらく立ち止まって見ていると、まず目の前の尾根筋の上に正面の鬼面山の全貌が見えだし、そのさらに上方、予想以上の高さに吾妻の山並みがそれこそ君臨するがごとく現れてきた。吾妻小富士、高山、「東」に「中」に「西」の吾妻山がその頭を磐梯高原方面に突き出している。ようやく大観が得られたという喜びと、何で稜線では見ることが出来なかったんだという悔しさで、そのまましばらく立ち止まったまま明日以降登る山々を見やっていたのだった。
1994/10/5-6

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