上州武尊を遠景に笠ヶ岳

燧ヶ岳・至仏山・笠ヶ岳

前日に会津駒ヶ岳を往復した私は檜枝岐からバスで尾瀬の福島側入り口である御池に向かう。着いてみると駐車場は車で溢れていた。紅葉の季節だし、そうでなくても尾瀬は人気があるから仕方ないか。でもこちら側も車両の総量規制が必要な気がする。銀山湖に釣りに行く人もいるだろうから簡単ではないだろうが。
私は今日はまず燧を越えなくてはならない。尾瀬はそれからだ。


御池からの燧ヶ岳の登りは、結論から言うと快適ではない。登りの途中に大きな二つの湿原と頂上直下での眺めがなかったら不快と言い切れそうだ。これら以外は暗い道を50〜80%の急登で岩と木の根が出たぬかるみの道を延々4時間弱。日光の男体山も中禅寺湖側は登るには面白くない道と思ったが....ここも二度と登りたくない。東京から夜行バスで来て登っているというツアー登山の中高年の方を何人か追い抜いたが、寝不足でかなり苦しそうだった。だが好きなればこそだから、「ゆっくりがんばって行って下さい」とだけ声を掛ける。

ツアー登山には参加したことがないのでよくわからないのだが、登山地点まで登山者を連れてきて「さぁ行ってらっしゃい」というツアーもあると聞く。単独行が多い私にとってはこういうのは便利だと思える半面、安全性とか集合時間までに間に合わなかったときの対処とか、どうするのだろうと心配なことも多い。そのうちこういうのに参加するときが来たら質問してみようと思う。

登り着いた山頂からは尾瀬沼が指呼の間に見下ろせる。尾瀬ヶ原は何度も行ったが尾瀬沼は20年近く無沙汰をしているので懐かしく眺める。だが尾瀬ヶ原とその向こうの至仏山は折からのガスでほとんど見えない。少々粘ってみたが晴れる気遣いがないので仕方なく尾瀬ヶ原の見晴らし方面へ下山を開始する。ときおり燧の溶岩円頂丘の伽藍を仰ぎながら下っていく。そのうち樹林帯のやや暗い中に入っていき、急な下りが続くようになる。登山道の表面は比較的乾燥しているが岩や木の根が多いので注意して歩く。尾瀬ヶ原に近づくと傾斜が緩やかになり樹林の明るさも増し、この辺でようやく紅葉が目につき出す。ほっとする頃合いだ。
朝の尾瀬
草紅葉の尾瀬ヶ原
さてひさしぶりの尾瀬ヶ原だ。もう夕暮れ近いが道は木道で迷いようがなく、拠水林をアクセントに置く一面の草紅葉を写真に撮りながら本日の宿の竜宮小屋にぶらぶらと歩いていく。着いた小屋は私とは違って本格的なアマチュアカメラマン(という言い方は矛盾しているか)でいっぱいだった。たくさんのリバーサルフィルムで撮っても気に入ったのは一枚あるかどうかで、それ以外のフィルムは捨ててしまうという話を聞いた。一度に何十枚も捨てるんですか?と驚いて質問すると、取っておいても邪魔になるだけだしね、とは皆さんの答え。贅沢でもあり、潔癖でもある。求道者というものは質素だと考えるのは誤った判断なのかもしれない。


尾瀬に泊まった翌朝、霧の中で原を逍遥し、鳩待峠に出て鳩待山荘に荷物を預け至仏山を登りに行く。登山道は全体を通して見晴らしがよい。特に稜線は岩稜なので当然だ。とはいえこれは晴れていればの話で、本日も山頂間近になってガスが湧き、昨日に続いて尾瀬ヶ原を俯瞰することは叶わなかった。かえすがえすも残念だ。だが登り1時間くらいのところで尾瀬ヶ原と燧ヶ岳、会津駒ヶ岳等が見えたのでよしとしよう。
稜線までの道は幅が広く乾燥していて平坦でまるで高尾山のように楽に歩ける。急登率は20〜50%というところか。ただし稜線では岩を乗り越えていく所があった。この日は鳩待山荘に泊まる。
鳩待山荘で夜を過ごした翌日は今回の山旅の最終日だ。本日は湯ノ小屋温泉まで長い山道を辿る。その途中にある笠ヶ岳への道は至仏山に登っていく途中で出てくる湿原のすぐ上から始まる。この点で2万5000分の1地図は湿原の下から始まるように描いているので間違いだ。ここから歩きだして20分もすると、笠、上州武尊を正面にして奥には赤城、(おそらく)榛名、右には谷川連峰から苗場の上越国境の山々の眺め(至仏山稜線も同じ眺めであろう)が味わえる。しかしその後、小笠の肩までの約1時間にわたって、眺め無しの暗すぎる樹林の中、刈払いされた笹の葉がぬかるみの狭い道を覆う上を歩かされる。陰々滅々という言葉がこれほどふさわしいところもない。
至仏山と燧ヶ岳
笠ヶ岳山頂から至仏山(手前)と燧ヶ岳
樹林を抜けて再び明るい笹原に出ると、笠頂上までは上州武尊と同行二人。直下から短い急斜面を登って着いた山頂は展望が素晴らしくよい。何せ山頂が狭いものだから真ん中へんに立てば水平方向に360度、垂直方向に270度くらいの視界が広がる。槍ヶ岳ほど尖っていないが槍の頂上もこんな感じだろうかなどと、行ったことのない山に思いを馳せる。
無人の山頂に座っていると、彼方からビルくらいの大きさの真っ白な雲がこちらに向かってゆっくりと近づいてきて目の前を横切っていく。恐ろしく怖かった。飛行機がようやく飛び交い始めた時代に書かれたコナン・ドイルの短編「大空の恐怖」が思い出された。当時の人間にとっては未開の地(というか空)である超高度にはクラゲやエイのような巨大生物がたゆたいながら生息している。一人の探検家が強力エンジン搭載のプロペラ機で上昇した結果、、その驚くべき事実を発見したのだ。だが二度目のフライトで彼が乗ったプロペラ機は墜落してしまい、その中には探検家の首無し胴体と手記が残されていた。その手記によれば、大空の禁断の領域には海で言えばサメにあたる肉食生物も存在し、しかも何匹も集まって新参者の人間に襲撃を加えてきた、という物語だ。(これはいまでも創元推理文庫<ドイル傑作集2>で 読むことができる。)


笠ヶ岳は隠れたビューポイントだ。誰も来ないし....と思っていたら、至仏山の方から3人のパーティがやってきた。これから湯ノ小屋です、と言うと、ああそりゃ誰にも会わないよ、気をつけて行っておいでと言われる。そのあと一日歩いてみてそのとおりであることを確認した。
笠の直下に小湿原と池があるが、ここまで歩いて来た身にはあまり感動も覚えなくなっていた。笠から湯の小屋までの道は前半2時間は眺めがなく、平均するとやや広めの道だが刈払いの笹の葉が一面に広がって滑りやすいのを避難小屋まで続けて歩く。
この避難小屋だが、私が歩いたこの時では膝を抱えて寝るような感じの狭さで床はコンクリだけ、ドアは壊れて開け放し状態だった。ここで秋の夜を過ごせと言われたら大いに遠慮したい。とにかく避難小屋は事前に現地に照会する必要が大だ。あまり歩かれてなさそうな山道も同様で、小屋の中にあった登山者ノートには道が仮払いされていなかったためさんざんな目にあってここで一夜を明かす羽目になった、「地元の人たちは笹の仮払いをしっかりやっておいてほしい」という内容の書き込みがいくつも見られた。
うーん、でもやはり登山者側の事前調査が必要だろう。注文を付けるのは山に入ってからでは遅いと思う。というのも笹の仮払いをしなくて地元のイメージが登山者にとって悪くなり、最終的に観光面の収益がいくらか落ちたとしてもそれは地元の問題だが、仮払いがされていなかったがために遭難して命を危険に晒すのは登山者であって地元の人ではないからだ。もちろん「仮払いはされています」と聞かされて来てみたら実際は....というのは願い下げだ。


さてこの避難小屋から湯の小屋温泉までは、ほとんど暗い植林のなかの急降下の連続といったところ。我慢して下りるのみ。だが林道に出たところで忍耐も限界に達し、そのまま林道をたどって奈良俣ダムまで出てしまい、大回りして湯ノ小屋温泉に着いたのだった。
1995/10/(8-)10-13

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